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ブルックス・コンラッド

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ブルックス・コンラッド
Brooks Conrad
阪神タイガース #42
レイズ時代(2012年7月24日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 カリフォルニア州サンディエゴ
生年月日 (1980-01-16) 1980年1月16日(44歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 三塁手二塁手
プロ入り 2001年 MLBドラフト8巡目(全体236番目)
初出場 MLB / 2008年7月21日
NPB / 2013年3月29日
年俸 7,000万円(2013年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ブルックス・リッチフィールド・コンラッドBrooks Litchfield Conrad , 1980年1月16日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手内野手)。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。ニックネームは、"Raw Dog"。

経歴

プロ入り前

13歳の時にカリフォルニア州のボーイズリーグの代表として初来日し、大阪長崎でプレーした経験を持つ。

元々右打であったが、高校に入学する1年程前にスイッチヒッターに転向した[1]。モンテ・ビスタ高等学校[2]を経て、アリゾナ州立大学へ進学。

プロ入り後

2001年MLBドラフトヒューストン・アストロズから8巡目(全体の236番目)で指名され、入団[3]。AAAのラウンドロック・エクスプレスなどでプレー。2007年FAとなる。

アスレチックス時代

2008年オークランド・アスレチックスと契約。東京ドームでのメジャーリーグ開幕戦のためアスレチックスの一員として来日し、3月22・23日に開催された日米プレシーズンゲーム「巨人対アスレチックス」「阪神対アスレチックス」戦に出場。阪神戦では代打で出場し、藤川球児と対戦している[4]

同年7月21日のタンパベイ・レイズ戦でメジャーデビューを果たす。のちに阪神でチームメイトとなるマット・マートンと同じチームでプレーした。メジャー出場は6試合に留まり、オフにFAになった。

ブレーブス時代

12月18日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結ぶ。

2009年7月3日、メジャーに再昇格した最初の打席でメジャー初本塁打となる代打3ランを放った。

2010年は開幕当初から代打中心で起用され、5月20日のシンシナティ・レッズ戦では9回裏に3対9から6対9と追い上げ尚も1死満塁の場面で代打で出場し、レッズのクローザーフランシスコ・コルデロから代打逆転満塁サヨナラ本塁打を放った[5](3点差の場面での代打逆転満塁サヨナラ本塁打は1950年7月8日のジャック・フィリップス以来メジャー史上2人目[6])。

さらに、同年7月24日のフロリダ・マーリンズ戦では、8回表に2対5から5対5と追いつき尚も1死満塁の場面で代打満塁本塁打を放った[7]

8月10日のヒューストン・アストロズ戦では1対2とリードされた9回表にクローザーのマット・リンドストロムから逆転2ラン、8月13日のロサンゼルス・ドジャース戦では7回裏に黒田博樹から本塁打を打ち1対0の勝利に貢献した。

2010年は103試合に出場、打率.250、8本塁打、33打点を記録した。同年のナショナル・リーグディビジョンシリーズでは第1戦から二塁手としてスタメン起用されたが、1勝1敗で迎えた第3戦でディビジョンシリーズタイ記録となる1試合3失策を記録(そのうち2つがタイムリーエラーとなり2対3で逆転負けする大きな原因となった)。第4戦ではスタメンを外され、サンフランシスコ・ジャイアンツに1勝3敗で敗退した。

2011年も代打中心で起用され、5月1日のセントルイス・カージナルス戦では5対5で迎えた9回裏、1死1・2塁の場面で代打サヨナラヒット、5月25日のピッツバーグ・パイレーツ戦では2対2で迎えた延長11回表、1死1塁の場面で代打決勝2ランを放った。

ブルワーズ時代

2012年1月7日に、ミルウォーキー・ブルワーズに移籍。25試合に出場するも、打率.075、2本塁打、6打点の成績に留まった。

レイズ時代

2012年シーズン中の6月21日にウェーバーでタンパベイ・レイズへ移籍。レイズでは、24試合に出場したものの、打率.172、2本塁打、9打点の成績に留まり、8月7日にDFAになり、オフにFAとなった。一方、同年はAAAクラスのマイナー2チーム合計で、46試合に出場し、打率.331、14本塁打、40打点を記録している。

阪神時代

11月26日に阪神タイガースと契約したことが発表された[8]。背番号は42[9]。ゼネラルマネージャーの中村勝広はビデオを2分間視聴し獲得を決めたと語っている[10]

プレースタイル・人物

右打席ではパワーのある打撃、左打席がシュアな打撃であると評され、スイングの癖も少ない[1][11]。現役の選手では珍しく、バッティンググローブを使用せず、松脂をつけ、素手でバットを振る[11]。また、左右の打席で、それぞれ形状の違うバットを使い分けており、左打席の方が右打席よりやや短くグリップが細い[12]

メジャーリーグでは三塁手としての出場が最多で、二塁手としての出場も多い。一方、マイナーリーグでは内野手の他、外野手捕手として出場したこともある。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 OAK 6 19 19 0 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 0 0 0 9 1 .158 .158 .211 .368
2009 ATL 30 58 54 7 11 1 2 2 22 8 0 0 0 0 3 1 1 14 1 .204 .259 .407 .666
2010 103 177 156 31 39 11 1 8 76 33 5 1 4 0 16 0 1 45 0 .250 .324 .487 .811
2011 92 122 103 11 23 5 0 4 40 13 2 0 2 1 15 2 1 41 0 .223 .325 .388 .713
2012 MIL 25 44 40 2 3 0 0 2 9 6 0 0 0 1 3 0 0 16 0 .075 .136 .225 .361
TB 24 61 58 4 10 5 0 2 21 9 0 0 0 0 3 0 0 27 2 .172 .213 .362 .575
'12計 49 105 98 6 13 5 0 4 30 15 0 0 0 1 6 0 0 43 2 .133 .181 .306 .487
MLB:5年 280 481 430 55 89 23 3 18 172 71 7 1 6 2 40 3 3 152 4 .207 .278 .400 .678
  • 2012年度シーズン終了時

記録

NPB

背番号

  • 49(2008年)
  • 62(2008年)
  • 26(2009年 - 2010年)
  • 7(2011年)
  • 14(2012年)
  • 36(2012年)
  • 42(2013年 - )

脚注

関連項目

外部リンク