カーク・ハインリック
シカゴ・ブルズ No.12 | |
---|---|
ポジション | ポイントガード |
基本情報 | |
愛称 | キャプテン・カーク |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1981年1月2日(43歳) |
出身地 | アイオワ州 |
身長 | 191cm (6 ft 3 in) |
体重 | 93kg (205 lb) |
キャリア情報 | |
ドラフト | 2003年 7位 |
選手経歴 | |
2003-2010 2010-2011 2011-2012 2012- |
シカゴ・ブルズ ワシントン・ウィザーズ アトランタ・ホークス シカゴ・ブルズ |
Stats Basketball-Reference.com | |
カーク・ハインリック(Kirk Hinrich,1981年1月2日 - )は、アメリカ合衆国アイオワ州スーシティー出身のバスケットボール選手。NBAのシカゴ・ブルズに所属している。ポジションはガード。タフなディフェンスと長距離シュートが武器。愛称はその高いキャプテンシーから「キャプテン・カーク」(スター・トレックシリーズ登場人物のジェームズ・カークと掛けている)と呼ばれる。
経歴
学生時代
大学はカンザス大学に進学。NCAAのビッグ12に所属するカンザス大では、1年生のときからアシストを量産するなどして活躍した。翌年は成績も上昇し、年間アシスト数は、既に国内8位の成績を誇った。また、Big 12の年間優秀チームの2ndチームにも選出された。3年生のときにはチームがファイナル・フォー(ベスト4)に進出した。
NBA
カンザス大学卒業後、NBAドラフトでブルズから全体7位指名を受けNBA入り。新人ながらチームの司令塔としてプレー。1試合平均12.0得点、6.8アシスト、3ポイントシュート成功率39.0%を記録し、オールルーキーファーストチーム(その年に活躍した5人の新人選手)に選出された。
翌04-05シーズンには新加入のベン・ゴードンやルオル・デンらと共にブルズをプレーオフに導く。ファーストラウンドでワシントン・ウィザーズに敗れたものの、チームはハインリックを中心に大きな前進を果たした。
続く05-06シーズンにはチームの連敗が重なり、プレーオフ進出は一時絶望視されたが、ステップアップしたアンドレ・ノシオーニらの活躍もあり、滑り込みで2年連続にプレーオフ進出を果たした。
2006年に日本で行なわれたバスケットボール世界選手権のアメリカ代表となり、何試合かは先発出場も果たし、銅メダルを獲得した。
06-07シーズンはシュート力が向上。FG成功率、3P成功率が共に上昇、チームの勝ち星も50勝まで伸び、翌07-08シーズンには更なる飛躍が期待されたが、シーズン序盤から不振に陥ってしまい、シーズン毎に上昇していた成績は初めて後退し、チームもプレーオフ進出を逃した。
2010年7月8日、ケビン・セラフィンと共にワシントン・ウィザーズのウラジミール・ヴェレミエンコ(2006年のNBAドラフト2巡48位でウィザーズから指名された)との交渉権とトレードされた[1]。
2011年2月23日、ヒルトン・アームストロングと共にアトランタ・ホークスのマイク・ビビー、ジョーダン・クロフォード、モーリス・エバンス、ドラフト1巡指名権との引き換えで移籍した[2]。
2012年7月23日、古巣のシカゴ・ブルズに2年契約で移籍した。
プレイスタイル
大学時代はシューティングガードを専門にしていただけあり、高得点を記録できるオフェンス能力を携えている。毎年、コンスタントに100本以上の成功数を誇る3Pシュートのような長距離シュートも得意とする。彼がNBA入りする前年、新人として好成績を残していたポイントガードのジェイ・ウィリアムスがバイク事故によって戦線離脱。ブルズに指名された後、ポイントガードにコンバートされた。大学時代は通算で平均4.7アシストだったが、ブルズ加入後はキャリア平均6アシスト以上を記録している。今日でも主にポイントガードをこなすが、状況に応じてポジションを使い分ける器用さを持ち合わす(ガードポジションを2つこなすことができるコンボガード(Combo guard)である)。近年は司令塔として、またチームリーダーの1人として期待が掛かっている。
脚注
- ^ “Wizards Acquire Kirk Hinrich and Draft Rights to Kevin Seraphin From Chicago”. nba.com (2010年7月8日). 2012年7月1日閲覧。
- ^ “Hawks add Kirk Hinrich, deal Mike Bibby”. ESPN (2011年2月25日). 2012年7月1日閲覧。