ランディ・メッセンジャー
阪神タイガース #54 | |
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シアトル・マリナーズ時代 | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ネバダ州リノ |
生年月日 | 1981年8月13日(42歳) |
身長 体重 |
198 cm 119 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 MLBドラフト11巡目 |
初出場 |
MLB / 2005年7月22日 NPB / 2010年3月26日 |
年俸 | $ 1,500,000(2013年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ランドール・ジェローム・メッセンジャー(Randall Jerome "Randy" Messenger, 1981年8月13日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。アメリカ合衆国ネバダ州出身。スポーツ新聞などの見出しでは「メッセ」と略されることもある。
経歴
アメリカ球界時代
1999年のMLBドラフト11巡目でフロリダ・マーリンズに指名され契約。
2005年6月22日にマーリンズでメジャーデビュー。2005年にはメジャーで59試合に登板も、2勝7敗で防御率は5.67に終わった。なおデビュー4戦目にあたる7月8日の対シカゴ・カブス戦では、5回1死からドントレル・ウィリスに次ぐ2番手投手として登板し、のちに阪神でチームメイトとなるマット・マートンと2打席対戦して右犠飛と右二塁打であったが、この試合がマートンのメジャーデビュー戦であった。
2008年にシアトル・マリナーズに移籍し、中継ぎで13試合に登板し防御率3.55,
2009年は3Aで52試合に登板、防御率2.86で25セーブの好成績を残した。メジャーでは12試合に登板、0勝1敗で防御率4.35であった。9月19日の対ニューヨーク・ヤンキース戦は松井秀喜を全て直球で3球三振に打ち取った。同年オフにロースターから外されて自由契約となった。これに対し、阪神が、同年限りで退団となったスコット・アッチソンに代わる右のセットアッパーとして獲得に動き、12月10日に契約した[1]。推定年俸60万ドルの1年契約。マリナーズ時代の同僚で、やはり同年オフに阪神に入団した城島健司からも「彼なら絶対できる」と評価された。
日本球界時代
2010年シーズン当初は中継ぎとして起用されていたものの、不安定な投球が続いたことや先発投手の駒不足から、阪神はシーズン開始直後にジェイソン・スタンリッジを獲得、メッセンジャーはスタンリッジと入れ替わりで4月23日に二軍落ちした。二軍ではリリーフから先発への変更を目標に、長いイニングを投るための調整を行なった。その後、7月までは二軍暮らしを強いられたものの、先発ローテーションの一角だったケーシー・フォッサムが不振から二軍落ちし、それに代わる先発投手として昇格。7月11日の対横浜ベイスターズ10回戦で来日後初先発し、6回2失点で勝利を挙げた。8月4日の対読売ジャイアンツ戦で内海哲也から左中間越えの大飛球を放ち、一旦は本塁打と判定されたが、ビデオ判定の結果フェンスの最上部に当たっていることが判明し、本塁打から二塁打に変更された。この日は先発投手としても7回を2失点に抑えて勝利投手となっている。しかし、9月8日の対中日ドラゴンズ戦で森野将彦に頭部死球を当てて危険球退場となり、その後も序盤に大量失点を与えたりと不安定な登板が続いて、5勝6敗、防御率4.93でシーズンを終えた。この成績のため翌年の契約は流動的であったが、新しく外国人選手を獲得するより計算できるとの首脳陣の判断により[2]オフに再び1年契約を結んだ[3]。シーズン後には土木作業でトレーニングする意味合いも兼ねて、自宅の庭に馬小屋とブルペンを自作して自主トレーニングをしていた[4][5]。
2011年シーズンはスタンリッジと共に先発ローテーションに定着。8月6日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、9回2死で失点し完封は逃したが、最後は9回1失点で阪神入り後としては初の完投勝利を挙げた。9月6日の対広島東洋カープ戦ではチーム一番乗りとなる二桁勝利を果たし、最終的には能見篤史と並ぶチームトップタイの12勝(7敗)でシーズンを終えた。
2012年シーズンは前年度の年俸3倍の2年契約を交わし、4月17日の対ヤクルト戦で来日初完封を飾った。味方打線の低迷により勝ち星には恵まれなかったが、チームで最多の29試合の先発登板を記録し、最終戦で10勝目を挙げた。この好調ぶりから一時期メジャー復帰説も流れていたが[6]、シーズン後には翌年の残留も決まった。
2013年はWBC明けの能見篤史に代わって開幕投手を務め、6回3失点で勝利投手となった。阪神の外国人投手としては、開幕投手を務めたのは1987年のマット・キーオ以来26年ぶりのことであり、開幕戦勝利を挙げたのは1965年のジーン・バッキー以来48年ぶりのことであった[7]。
人物・プレースタイル
この選手の人物像・プレースタイルに関する文献や情報源が必要です。(2011年1月) |
身長198cm, 体重119kgの巨漢投手で、オーバースローから速球はかつては最速98mph(約158km/h)をマークしており、その後コントロールを重視するようになったものの、依然として平均球速約145km/h[8]、最速154km/hの球速を維持している。変化球は変化の大きい縦のカーブと、スライダー、フォークボール。
阪神入団1年目途中で先発転向して以後、ある程度抑えて7回まで投げる事は多かったものの、8回には継投に入ることが多く完投が無かったが、2011年8月6日の対ヤクルト戦で、1失点完投勝利を挙げ[9]、以後は完投・完封試合を作る事も増えた。
来日後ラーメンが好物となり、今では先発登板の前日は験担ぎとして必ずラーメンを食べるようになっている。天下一品では「こっさり」(「こってり」と「あっさり」のミックス)がお気に入りという[10]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2005 | FLA | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 178 | 37.0 | 39 | 5 | 30 | 7 | 0 | 29 | 1 | 0 | 22 | 22 | 5.35 | 1.86 |
2006 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | 9 | .222 | 275 | 60.1 | 72 | 8 | 24 | 2 | 1 | 45 | 3 | 0 | 42 | 38 | 5.67 | 1.59 | |
2007 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | .500 | 103 | 23.2 | 27 | 0 | 9 | 2 | 0 | 12 | 0 | 0 | 7 | 7 | 2.66 | 1.52 | |
SF | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 5 | .250 | 188 | 40.2 | 58 | 4 | 12 | 3 | 1 | 22 | 1 | 0 | 23 | 23 | 5.09 | 1.72 | |
'07計 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 1 | 11 | .333 | 291 | 64.1 | 85 | 4 | 21 | 5 | 1 | 34 | 1 | 0 | 30 | 30 | 4.20 | 1.65 | |
2008 | SEA | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | ---- | 57 | 12.2 | 16 | 1 | 5 | 1 | 1 | 7 | 0 | 0 | 5 | 5 | 3.55 | 1.66 |
2009 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 43 | 10.1 | 13 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 5 | 5 | 4.35 | 1.26 | |
2010 | 阪神 | 26 | 14 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | 1 | .455 | 350 | 80.1 | 88 | 10 | 31 | 4 | 1 | 48 | 3 | 0 | 49 | 44 | 4.93 | 1.48 |
2011 | 25 | 25 | 1 | 0 | 0 | 12 | 7 | 0 | 0 | .632 | 616 | 150.0 | 129 | 6 | 45 | 3 | 3 | 122 | 4 | 0 | 50 | 48 | 2.88 | 1.16 | |
2012 | 30 | 29 | 3 | 2 | 0 | 10 | 11 | 0 | 0 | .476 | 801 | 196.2 | 165 | 7 | 65 | 5 | 4 | 166 | 5 | 0 | 65 | 55 | 2.52 | 1.17 | |
MLB:5年 | 173 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 12 | 2 | 25 | .250 | 844 | 184.2 | 225 | 21 | 80 | 15 | 3 | 120 | 6 | 0 | 104 | 100 | 4.87 | 1.65 | |
NPB:3年 | 81 | 68 | 4 | 2 | 0 | 27 | 24 | 0 | 1 | .529 | 1767 | 427.0 | 382 | 23 | 141 | 12 | 8 | 336 | 12 | 0 | 164 | 147 | 3.10 | 1.22 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB投手記録
- 初登板:2010年3月26日、対横浜ベイスターズ1回戦(京セラドーム大阪)、8回表に4番手で救援登板、1回無失点
- 初ホールド:2010年3月30日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏に2番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:2010年4月8日、対読売ジャイアンツ3回戦(阪神甲子園球場)、9回表に高橋由伸から空振り三振
- 初先発・初勝利:2010年7月11日、対横浜ベイスターズ10回戦(阪神甲子園球場)、6回2失点
- 初完投勝利:2011年8月6日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦 (京セラドーム大阪)、9回1失点
- 初完封勝利:2012年4月17日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(ほっともっとフィールド神戸)、9奪三振1四球
- NPB打撃記録
- 初安打:2010年7月28日、対横浜ベイスターズ12回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に清水直行から二塁内野安打
- 初打点:2011年6月25日、対読売ジャイアンツ8回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に内海哲也から中前適時打
背番号
- 23 (2005年 - 2007年)
- 26 (2008年 - 2009年)
- 54 (2010年 - )
登場曲
- Blind - korn
脚注
- ^ ランディ・メッセンジャー選手との契約完了について 阪神タイガース公式サイト、2009年12月10日。
- ^ メッセンジャー、残留…来年3月まで助っ人“凍結” スポーツニッポン、2010年11月7日。
- ^ 虎・メッセ残留決定!単年契約4200万円 サンケイスポーツ、2010年12月17日。
- ^ 虎・メッセ、庭にマイ・ブルペン作ったぜ - SANSPO.COM 2011年1月30日
- ^ メッセ、自宅に馬小屋&ブルペン作った - デイリースポーツ 2011年1月29日
- ^ メッセ流出危機!?ツインズが獲得調査 デイリースポーツ 2012年11月4日、2013年4月15日閲覧。
- ^ 西垣戸理大 (2013年3月29日). “ヤ斬りの虎・メッセ、48年ぶり開幕星や!”. サンケイスポーツ 2013年3月29日閲覧。
- ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、78頁頁。ISBN 978-4-905411-11-6。
- ^ 阪神・メッセ好投!ヤクルトに連勝で5割復帰 SANSPO.COM 2011年8月6日
- ^ 札幌ラーメン ハム食うメッセ - 中日スポーツ・2011年5月31日