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秋田焼山

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秋田焼山

栂森 (八幡平)から見た秋田焼山(2010年8月
標高 1,366 m
所在地 秋田県鹿角市仙北市
位置 北緯39度57分50.0秒 東経140度45分25.4秒 / 北緯39.963889度 東経140.757056度 / 39.963889; 140.757056座標: 北緯39度57分50.0秒 東経140度45分25.4秒 / 北緯39.963889度 東経140.757056度 / 39.963889; 140.757056
秋田焼山の位置(日本内)
秋田焼山
プロジェクト 山
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秋田焼山(あきたやけやま)は、秋田県の北東部に位置し、鹿角市仙北市との境界にある活火山である。

概要

直径約7kmの成層火山である。熊沢山、硫黄山とも言われている。

直径600mの外輪山があり、焼山の山頂は外輪山の南西の縁にある。デイサイトの溶岩円頂丘が、火口底の中央火口丘鬼ヶ城と火口南東縁にある。主山体東側に側火山栂森がある。また、中央火口丘である国見台から東に溶岩が流出している。山体南側には側火山黒石森がある。

山頂部には直径700mほどの山頂火口である湯沼がある。湯沼は白濁しており、盛んに水蒸気を噴出し、周囲には硫黄臭が立ち込めている。この沼の東部には溝が掘られている。これは湖底に沈殿した湯花を取るために、阿部藤助が掘ったものである。このため、大正年間にはこの沼からは水がなくなり、湯花ばかりの湖底が見えていた。湯花を取った後は、また溝をせき止め湯花の沈殿を待つ計画であった。[1]阿部藤助は蒸ノ湯温泉を経営するかたわら、宮川村の助役を8年、村長を15年無報酬で務めたほか、鹿角郡農会長などを歴任し、電灯会社を興し、観光や農業など郷土の興隆に生涯をささげた人物である。彼はまた八幡平までの山道を切り開いている。八幡平山頂から西北西500mにある藤助森(1604m)は彼にちなんで名付けられた。阿部藤助は、秋田焼山北北東約850mの標高1228m地点にあった又一鉱山(又一硫黄山)の経営も行っていた。

1952年頃には、荻原鉱業が湯沼まで索道を通し、湯沼や中ノ沢から硫黄を採掘していた。当時鉱山では200人ほどが働いていた。精鉱された硫黄は毎月800tほどが、索道とトラック運送で八幡平駅まで運ばれていた。また玉川鉱業は名残峠の西約1kmほどまで索道を通し、38人が毎月200tほどの硫黄を生産していた。[1]

写真の山頂右下にあるのが、中央火山丘である溶岩ドームの鬼ヶ城である。その下に見える建物が、焼山避難小屋である。鬼ヶ城上方の外輪山のへりに、名残峠がある。名残峠周辺は歩きづらくなっているが、空沼や鬼ヶ城の奇岩を眺めることができる。焼山避難小屋から脇道を移動すると、水たまりがある小さな火口に到達する。これが空沼である。湯沼と空沼には穴が掘られており、湯沼の水を空沼に排水するようになっていた。湯沼と空沼を混同して紹介している紹介文やサイトも多い。

焼山山頂付近は硫気変質が著しく、山頂火口や山麓に多くの温泉がある。東側には後生掛温泉、西側には玉川温泉があり、焼山登山への出発点・終着点となっている。後生掛温泉と玉川温泉の間にはバスが運行されており、縦走登山の際に利用をすることができる。火山性ガスによる登山者の事故が起きており、登山道以外の立ち入りは禁止されている。山頂部への立ち入りもできない。

伝説

奥州征伐に来た坂上田村麻呂は、蝦夷の大将である大猛丸を八幡平で討ち取った。しかし、登鬼盛という武将は難を逃れ、鬼ヶ城に立てこもり、決戦を迎えた。カルデラの中に突き出た溶岩ドームは、周囲を急斜面で囲われ、その頂きに立てばどんな方向から攻められても優位に立てる。しかし力及ばず、登鬼盛も討ち取られてしまったと言われている。史実では、坂上田村麻呂はこの地には到達していない。

火山活動

  • 50万年前 古焼山溶岩流の流出で、秋田焼山の形成が始まる。
  • 7.3万 - 3.4万年前 溶岩や火山灰を繰り返し噴出し、主要な火山帯が形成される。
  • 5000 - 1600年前 溶岩ドームを形成する噴火が3回発生する。
  • 807年(大同2年) 噴火?
  • 1678年(延宝6年)2月21日 噴火、降灰。
  • 1867年(慶応3年) 噴火?
  • 1887年(明治20年) 噴火?
  • 1890年(明治23年)9月23日 噴火?降灰?
  • 1929年(昭和4年)9月 噴火?降灰?
  • 1948年(昭和23年) 噴火。泥粒が5 - 7kmにわたり、飛散。
名残峠から見た火口湖の湯沼(2010年8月)
盛んに噴煙を上げている
  • 1949年(昭和24年)8月30日 - 9月1日 噴火。空沼(旧火口)の4か所で噴火があり、厚さ0.8m、長さ200m程度の泥流を流出。
  • 1951年(昭和26年) 噴火。泥飛散。
  • 1957年(昭和32年) 噴火。泥流。
  • 1997年(平成9年)
    • 5月11日 北西山麓の山頂より北東約4kmにある澄川温泉で、地すべりに伴い、水蒸気爆発。
    • 8月16日 噴火。火山性微動の発生とともに空沼火口で水蒸気爆発。

脚注

  1. ^ 『鹿角』大里周蔵編