中野城 (紀伊国)
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城郭構造 | 平城 |
主な城主 | 貴志教信 |
遺構 | 石垣 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯34度15分22秒 東経135度8分23.1秒 / 北緯34.25611度 東経135.139750度 |
中野城(なかのじょう)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市)にあった城。
概要
中野城は、築城時期は不明であるが、貴志教信の城であった。
戦国時代は、雑賀衆の支城としての役割を果たしていた。
孝子峠越えと大川峠越えのルートが集まる要衝で、和泉国方面から紀伊国の入口にあたるという地理的条件から、天正5年(1577年)織田信長による第一次紀州征伐を迎え撃つための前線基地となった。
しかし、2月に中野城は落城し、織田信忠が本陣を構えた。居城の雑賀城を攻められた鈴木孫一(雑賀孫一)ら雑賀衆は3月に降伏した。(信長公記)
遺構として、石垣が現在は民家の塀の下に使用され残っている。