ミシェル・プロドーム
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名前 | ||||||
愛称 | 鉄の男 | |||||
ラテン文字 | Michel Preud'homme | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1959年1月24日(65歳) | |||||
出身地 | Seraing | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1979-1995 |
![]() | 58 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ミシェル・プロドーム(Michel Preud'homme, 1959年1月24日 - )は、ベルギー出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。2013年よりクラブ・ブルッヘの監督を務める。
経歴
1977年にスタンダール・リエージュでトップデビューし、1981-82、1982-83シーズンのジュピラーリーグ優勝に貢献。1986年にKVメヘレンに移籍後、カップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップなどのタイトルを獲得。1988-89シーズンにはジュピラーリーグでチーム41年ぶりとなる優勝に貢献した。
1979年にベルギー代表デビュー。当初はジャン=マリー・パフの控えだったが、1980年代後半から正GKとなり、W杯は1990年イタリア大会・1994年アメリカ大会の2回出場。アメリカ大会では好守を連発してベルギーのベスト16進出に貢献し、大会最優秀ゴールキーパーに与えられるヤシン賞の初代受賞者となった。
W杯後の1994年にポルトガルの名門SLベンフィカに移籍し、1999年に40歳で引退した。ベルギー代表通算58試合出場。2000-01シーズン途中の2001年1月にスタンダール・リエージュの監督に就任したが、2000-01シーズンは3位、2001-02シーズンは5位と、クラブの規模を考えれば不本意な成績しか残せなかった。2002年夏に監督を辞めて同クラブのテクニカル・ディレクターの職に就くが、2006-07シーズン開幕直後にヨハン・ボスカンプ監督を解任し、自身が監督の座に就任した[1]。前回の就任から数えると4シーズン目となる2007-08シーズンにジュピラーリーグで優勝を果たし、最優秀監督賞を受賞した。2008年にKAAヘントの監督に就任、2009-10シーズンにはヘントをリーグカップの優勝に導き、リーグも2位という好成績で終えた。2010年5月24日、FCトゥウェンテ監督に就任した[2]。
選手歴
- 1977年-1986年
スタンダール・リエージュ
- 1986年-1994年
KVメヘレン
- 1994年-1999年
SLベンフィカ
指導者歴
- 2001年-2002年
スタンダール・リエージュ
- 2006年-2008年
スタンダール・リエージュ
- 2008年-2010年
KAAヘント
- 2010年-2011年
FCトゥウェンテ
- 2011年-2013年
アル・シャバブ・リヤド
- 2013年-現在
クラブ・ブルッヘ
脚注
- ^ footballista、ソルメディア、2010年6月24日号、44頁
- ^ トゥエンテの新監督に元ベルギー代表GKのプロドーム氏が就任スポーツナビ、2010年5月25日