JR西日本硬式野球部
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チーム名(通称) | JR西、JR西日本 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1935年 |
チーム名の遍歴 |
広島鉄道局(1935年 - 1950年)→ 広島鉄道管理局(1950年 - 1987年)→ JR西日本(1987年 - ) |
本拠地自治体 | 広島県広島市 |
チームカラー | 青色 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | なし |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 3回 |
最近の出場 | 2004年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
JR西日本硬式野球部(ジェイアールにしにほんこうしきやきゅうぶ)は、広島県広島市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである(練習グラウンドは広島県安芸郡府中町に所在する)。6つあるJR本社チームのうち、唯一本社所在地と本拠地が同一都道府県にないチームである(JR東日本東北は、JR東日本の営業エリアが広く、東北地方で活動していた鉄道管理局チームが多かったことから、関東甲信越地区と分離の上本社支援としたもの)。
1935年に創部した「広島鉄道局」が前身。当時は全国各地に強豪鉄道局チームが存在し、全国大会への出場は果たせなかった。1950年の組織改正で「広島鉄道管理局」に改称。さらに国鉄民営化で「JR西日本」に改称した。1999年に全国大会初出場、2004年の日本選手権1回戦で七十七銀行を相手に2大大会初のタイブレークが適用される激戦を制し、全国大会初勝利を挙げた。ちなみに、都市対抗野球大会は未出場である。
なお、2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の関係から活動自粛状態だったが2005年7月8日に活動休止の届出を行った。休部後、主力選手は活動の場を求めて他チームに移籍している。
長らく活動を休止していたが、2013年度に広島を本拠地に復活することが報じられ[1]、同年1月に広島県野球連盟に活動再開届を提出した[2]。その年の都市対抗野球大会予選には出場しなかったが、秋の第39回社会人野球日本選手権大会予選に出場し、計3勝を挙げた。
エピソード
- 1936年夏、日本初のプロ野球公式戦である名古屋大会を終えた大阪タイガースと東京巨人軍が九州と広島を遠征。前座試合としてこの両チームが連合軍を作り「広島鉄道局」と対戦、「広島鉄道局」が5対4と勝った。
設立・沿革
- 1935年 「広島鉄道局」として創部
- 1950年 国鉄の組織改正で「広島鉄道管理局」に改称
- 1987年 国鉄民営化に伴い、「JR西日本」に改称
- 1999年 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 2005年 活動休止(2013年に活動再開)
主要大会の出場歴・最高成績
- 日本選手権大会 出場3回
主な出身プロ野球選手
- 平山菊二外野手(1937年巨人入団→大洋)
- 山根実外野手(1939年阪神入団;退団後に広島鉄道局に所属、1950年国鉄入団)
- 樋笠一夫外野手(1950年広島入団→巨人)
- 平松一宏投手(1997年巨人ドラフト8位→中日)
- 中東直己捕手・外野手(2006年広島大学生・社会人ドラフト5巡;ホンダ鈴鹿移籍後の指名)
元プロ野球選手の競技者登録
かつて在籍していた選手
- 中須賀諭投手(JR東海硬式野球部コーチ)
- 片山純一投手(JR東日本硬式野球部)
脚注
- ^ JR西日本野球部、来年度から活動再開目指す…本拠地は広島 - スポーツニッポン、2012年4月28日配信
- ^ JR西野球部が活動再開へ - スポーツ報知、2013年1月16日配信