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安井潤一郎

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日本の旗前衆議院議員 安井 潤一郎
生年月日 (1950-02-19) 1950年2月19日(74歳)
出身地 日本の旗東京都新宿区
出身校 早稲田大学社会科学部中退
前職 商店街組合代表
会社経営
世襲
選出選挙区 比例東京ブロック
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(無派閥)
ウェブサイト 早稲田商店会相談役(前衆議院議員) 安井潤一郎 WEB
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安井 潤一郎(やすい じゅんいちろう、1950年昭和25年)2月19日 - )は、日本政治家実業家。元衆議院議員(1期)。

食料品スーパー稲毛屋元店主であり、NPO法人「東京いのちのポータルサイト」理事(前理事長)、「早稲田いのちのまちづくり実行委員会」実行委員長、日本ブラジリアン柔術連盟顧問(初代)を歴任。

人物

東京都新宿区で精肉店の長男として生まれる。早稲田高校を卒業後、早稲田大学社会科学部に進学し、4年次まで在籍したものの中退。1972年に家業の(株)稲毛屋に入社。1981年の父親の死去により社長に就任。1993年、早稲田商店会会長に就任。2004年にスタートした地域通貨「アトム通貨事業」の会長に就任。防災NPO法人である東京いのちのポータルサイトの初代理事長。

2005年、第44回衆議院議員総選挙の東京比例ブロック自由民主党名簿に登載され、自民党が小選挙区で圧勝したため、衆議院議員に当選。商店会長現職として初の衆議院議員になる。出馬時には防災NPO関係者からの強い反対があり、理事長職を退任し、現在は理事。

国会議員の立場から商店街の再生に取り組み、2008年3月には議員連盟「商店街を蘇らせる行動政策研究会」(通称:あきんど議連)を立ち上げた。

リーマンショック後の経済的混乱の中、小規模事業者への金融改革を推進。2009年7月に成立した地域商店街活性化法案にはの成立などにかかわる。

2007年12月23日に、第1回全日本ブラジリアン柔術オープン選手権で、日本ブラジリアン柔術連盟から感謝状を授与される。

2009年の第45回衆議院議員総選挙で落選。2010年7月、第22回参議院議員通常選挙に自由民主党比例代表から出馬するも落選。

2011年3月11日の東日本大震災に際し、3月14日に赤ちゃん一避難プロジェクトを立ち上げ、新潟県湯沢町との連携のもと、被災した300人を超す乳幼児、家族を湯沢町のホテル「エンゼル」に避難させる活動を実施。

2012年12月、NPO法人地域通貨協議会理事長に就任。

政策

  • 毎日新聞2010年参院選候補者アンケートでは「選択的夫婦別姓」に対し「反対」と回答した。[1]

発言

「シャッター商店街に同情する人は多いがそれは間違いだ。シャッターを閉めずに頑張っている人を応援しなければならない!」 「商店街活動で一番重要なのは『新しい血』を入れることです」 「補助金という税金を100万円投入するなら120万円の税収が見込める事業でなければならない」 「金が出ると知恵が引っ込むものです」 「商店街でシャッターを閉めて人にも貸さない所には更地並みの課税と相続税の減免処置の停止をするべきだ」 「小さいから、弱いから商店街の活性化を叫んでいるのではない、地域商業が元気になれば雇用の場が増え、生活保護が減り、治安が良くなるのです。雪が降った翌日を見てください。元気のよい店の前は滑りません、安全です。」

脚注

  1. ^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。

関連項目

参考文献

  • 鶴野礼子『繁盛商店街の仕掛け人』ダイヤモンド社、2008年

外部リンク