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坂本勇人

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坂本 勇人
読売ジャイアンツ #6
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県伊丹市
生年月日 (1988-12-14) 1988年12月14日(35歳)
身長
体重
185 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2007年7月12日
年俸 1億8,000万円(2013年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2013年

坂本 勇人(さかもと はやと、1988年12月14日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手内野手)。

経歴

プロ入り前

1995年3月に尼崎市武庫之荘にある学校法人武庫からたち幼稚園を卒園。兵庫県伊丹市立昆陽里小学校1年から、少年野球「昆陽里タイガース」において投手遊撃手として野球を始めた。田中将大は小・中学校の同級生で、小学校時代は同チームに在籍。当時は坂本が投手、田中が捕手でバッテリーを組んでいた。中学時代は伊丹シニアに所属し、2年次にジャイアンツカップベスト4。青森県八戸市光星学院高等学校に進学し、1年秋から遊撃のレギュラー、2年春から4番を務め、秋の東北大会準優勝し、3年春の第78回選抜高等学校野球大会に出場。春の東北大会では16打数13安打打率.813、4本塁打の活躍で注目を集めた。高校通算39本塁打。

2006年9月25日に行われた高校生ドラフトにて、巨人が堂上直倫の外れ1位で坂本を指名。11月5日に契約金8000万・年俸650万で契約。入団2年目まで着けた背番号の「61」は200「6」年の高校生ドラフト「1」位に由来している[1]

プロ入り後

2007年

開幕を二軍で迎える。5月12日イースタン・リーグ日本ハム戦に闘病中だった母親を呼び、第1打席の初球でホームランを打ち喜ばせた。試合後には「おかんの体調が悪いっていうのは聞いていたので、最後の試合になるだろうなと思っていた」とコメントを残している。母親はこの試合の約1ヵ月後に死去した。この年は77試合に出場し、302打数81安打5本塁打28打点、打率.268の成績を残した。7月に1軍初昇格、初出場(代走)。9月6日には延長戦となった中日戦に代打で出場、決勝点となるプロ入り初安打初打点を記録した。

2008年

巨人では松井秀喜以来の10代での開幕スタメン入り(8番・二塁手)を果たす。開幕戦で二岡智宏が負傷した影響もありその後は遊撃手としてスタメン出場を続け、二岡の復帰後も遊撃手の位置を譲ることはなく全試合スタメン出場を果たした。高卒2年目での全試合スタメンは中西太清原和博に続いて史上3人目(セ・リーグでは初)。オールスターゲームにも初出場し、第2戦で初安打を記録。西武との日本シリーズ第7戦では西口文也から本塁打を放つ。10代での日本シリーズ本塁打は当時西武だった清原以来22年ぶり。また、この年のオープン戦・公式戦・オールスター戦・クライマックスシリーズ・日本シリーズの172試合全てに出場した。新人王は同僚である山口鉄也に譲ったが(坂本は次点)、巨人では高橋由伸以来10年ぶりにセ・リーグ会長特別表彰(新人選手特別賞)を受賞した。

2009年

4月は下位打線での出場だったが、4割近い打率をキープする好調ぶりを受け、5月以降は1番打者として定着。しかし7月に腰痛を発症、強行出場し続けるも打率は低迷の一途を辿り、球宴直前の7月20日からの横浜戦3連戦を欠場した[2]。これで前年の開幕戦から続いていた連続試合出場記録は226試合で途切れた。最終的に目標だった20本塁打には到達しなかったものの、4月以降一度も3割を切ることなく初の打率3割(.306、リーグ4位)を達成。高卒3年目以内の3割到達は史上11人目(球団では川上哲治千葉茂以来3人目)の快挙。また青木宣親ブランコに並び最多得点を記録し、自身初となるベストナインに選出された。

2010年

主に1番打者として全試合フルイニング出場を達成。前年より打率こそ下がったものの、1970年王貞治と前年の亀井義行に続く球団史上3人目のサヨナラ本塁打3本を含む、自身そして巨人の遊撃手で最多となる31本塁打(高卒4年目以内の30本塁打は史上8人目)を放った。また、自己最多となる14盗塁を記録した。シーズン後半は不振に陥り、10月には6番降格を経験したものの、勝負強い打撃が認められ、1億円プレーヤーとなった。

2011年

4月12日ヤクルトとの開幕戦(ユーピーアールスタジアム宇部)で、ヤクルトの開幕投手石川雅規から2本のタイムリー二塁打を放ち、勝利に貢献。試合後のお立ち台にも上った。2年連続で全試合出場を果たし、得点圏打率ではリーグトップの.361をマークしたが、飛球がかなり多く、打撃不振や守備の乱れなどによりスタメン落ちした試合もあった。オフの契約更改では1,000万円減の1億1,000万円でサインし、プロ入り初めて年俸が下がった。

2012年

開幕当初は1番を打ったが、4月26日DeNA戦からは3番を任される。この年は3年連続4度目の全試合出場を記録、2度目のベストナインにも選出された。長嶋茂雄に並ぶシーズン20度目の猛打賞(球団記録)、リーグ1位の長打51本(二塁打35、三塁打2、本塁打14)をマークすると共に、初の打撃タイトルとなる最多安打を獲得(長野と同時受賞)。また、自己最高打率(.311、リーグ2位)、盗塁数(16個)、出塁率(.359)を記録した。また盗塁成功率は10盗塁以上の選手で両リーグ最高の.941だった。得点圏打率は.286に終わったものの、
日本シリーズは25打数9安打、打率.360、3打点の成績、その後行われたアジアシリーズでも予選ラウンドから決勝戦に至るまでの3試合で13打数4安打、打率.308、4打点の成績、アジアシリーズMVPにも輝いた。

2013年

2月20日、WBC日本代表に正式に選出された。[3]結果は25打数6安打(.240)と低調だったが、終盤戦は復活し、随所で勝負強さを見せる。2次ラウンドの台湾戦では8回に同点打、延長10回無死一、二塁で犠打を成功。次打者の中田翔が犠飛で逆転勝ちした。オランダ戦ではコールド勝ちを決める満塁本塁打を放った。守備範囲の広さは顕在で守りでも貢献した。
ペナントレースでは4月19日の広島戦で球団新記録となる4年連続の満塁本塁打を放った。9月6日阪神タイガース戦では故障の影響もあり初めて一塁手の守備に就いた。しかし8月下旬以降は極度の打撃不振に陥り、優勝決定後はスタメン落ちも経験。ポストシーズンでも不振に終わった。

選手としての特徴

打撃

細身の体格ながら2009年に18本塁打、2010年には31本塁打を記録した長打力を持ち味とする。2010年までの通算で47パーセントの打球を左方向に放っているプルヒッターで、特に2009年は安打の半数以上を左方向に放った[4]。プロ入り当初は「二岡さんのように右方向に打てるバッターになりたい」と語っていたが、2009年のシーズンを経て「いまの自分のヒットゾーンは左方向にある」ことがわかったという[5]。外角を苦手としている一方で内角打ちに長ける他[6]統一球導入後の2011年からの通算対左打率.323と左投手に強く、同得点圏打率.314と得点機にも強い。2009年から2011年にかけては7月の月間通算打率は.216と低迷したが、2012年以降は同月間打率はシーズン打率を上回っており改善されている。

守備・走塁

守備では2010年に両リーグの守備イニング数1000以上の遊撃手中4位のUZR4.4[7]、2012年には同じく両リーグトップのUZR16.0を記録した[8]広い守備範囲と[9]、遠投110メートルの強肩を生かした送球を持ち味とし[10]、特に三遊間の打球に強い[11]。一方で2008年から2011年まで4年連続でリーグの遊撃手最多の失策数も記録しており、チームメイトからは確実性重視の守備を勧められたこともあったが、「そんな逃げるような真似はしたくなかった。消極的に守ることに、何の意味があるのかわからない」として守備範囲を重視する守備にこだわりを見せている[12]。2013年は両リーグ2位の守備率.984を記録し守備の安定感も改善傾向にある。 走塁面では50メートル6.0秒、一塁到達4.15秒の俊足を備える[4]。近年は盗塁にも意欲を見せ、2013年は自己最多の24盗塁を記録している。

人物

  • 元々左利きでペンや箸を持つ手は今でも左手。右利きの兄のグローブを使って野球を始めたことから右投げになった。初めは右打ちだったが、指導者の勧めで小学4年生の時に両打ちに転向した。しかし、当時坂本は田中将大とレフト側の校舎目掛け飛距離を競っていたが、左打ちでは田中に敵わなかったため6年から再び右打ち一本になった[13]
  • 同い年の前田健太と親交が深い。他にも小学校時代の同級生の田中将大や、ジャイアンツのチームメイト澤村拓一北海道日本ハムファイターズ吉川光夫とも親交があり、全員が1988年生まれの世代であることから、坂本、前田、田中の3人が発起人となり、『88年会』が結成された[14]
  • JUNON』で若手野球選手の特集で初めて掲載された後、主婦と生活社のJUNON編集部からパーソナルフォトブック(写真集)『だから僕は、笑顔になれる』が、2013年2月22日に発売された。なお、JUNON編集部がスポーツ選手で写真集を発売したのは初[15]
  • 2013年10月18日発売の講談社発行の写真週刊誌『フライデー』において、同年10月8日、六本木キャバクラ嬢2名とともに、渋谷ラブホテルに向かう模様が報道された[16]

社会奉仕活動

坂本は2009年から自らデザインしたチャリティーTシャツの販売や、献血のポスターのモデルを務め、同年11月にはTシャツ販売の収益金187万5800円を日本赤十字社に寄付した。またこれを原資に今季東京ドームに「坂本勇人赤十字シート」も設置し、児童養護施設の子供を招待している。坂本は「これからも社会貢献をやっていけたらいいですね」と話している。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 巨人 4 3 3 1 1 0 0 0 1 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
2008 144 567 521 59 134 24 1 8 184 43 10 5 15 1 28 3 2 98 2 .257 .297 .353 .650
2009 141 640 581 87 178 33 3 18 271 62 5 3 7 4 44 3 4 101 8 .306 .357 .466 .823
2010 144 676 609 107 171 35 4 31 307 85 14 4 10 7 47 2 3 83 6 .281 .332 .504 .836
2011 144 624 568 69 149 27 2 16 228 59 8 1 10 3 37 8 6 91 3 .262 .313 .401 .714
2012 144 619 557 87 173 35 2 14 254 69 16 1 12 5 39 1 6 90 5 .311 .359 .456 .815
2013 144 620 554 73 147 33 1 12 218 54 24 4 4 3 55 1 4 87 11 .265 .334 .394 .728
通算:7年 865 3749 3393 483 953 187 13 99 1463 374 78 18 58 23 250 18 25 550 35 .281 .333 .431 .766
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績所属リーグ内順位

年度 年齢 所属リーグ 打率 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 OPS
2007 19 セ・リーグ - - - - - - - -
2008 20 - - - - - - - -
2009 21 4位 2位 4位 - - - - -
2010 22 - 10位 5位 8位 7位 - 10位 -
2011 23 - 8位 4位 - 10位 - 10位 -
2012 24 2位 1位 1位 - 6位 4位 7位 3位
2013 25 - 6位 2位 - - - 2位 -
  • -は10位未満(打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)

年度別守備成績


一塁 二塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2007 - - 3 0 0 0 0 .000
2008 - 1 2 1 0 0 1.000 144 199 422 15 66 .976
2009 - - 141 244 437 19 81 .973
2010 - - 144 238 441 21 89 .970
2011 - - 144 222 468 18 85 .975
2012 - - 144 244 450 15 89 .979
2013 3 18 2 0 3 1.000 - 136 205 469 11 66 .984
通算 3 18 2 0 3 1.000 1 2 1 0 0 1.000 856 1302 2687 99 476 .976
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

その他の記録
  • 高卒2年目での全試合スタメン出場:2008年 ※史上3人目
  • オールスターゲーム出場:6回 (2008年 - 2013年)

背番号

  • 61 (2007年 - 2008年)
  • 6 (2009年 - )

登場曲

関連情報

出演

CM
テレビ
2009年12月17日 - 内海哲也山口鉄也越智大祐東野峻亀井義行松本哲也とともに出演。
2011年1月10日 - 内海哲也、山口鉄也、東野峻、松本哲也、長野久義とともに出演。
2013年1月1日、- 阿部慎之助、内海哲也、澤村拓一、山口鉄也、長野久義と共に出演し、ストラックアウトに挑戦。
同年2月9日、- 田中将大前田健太、澤村拓一と共にストラックアウトに挑戦した。
PV

出版物

書籍
DVD

漫画

脚注

  1. ^ 著・清武英利『巨人軍は非情か』ISBN 9784103133117. p14
  2. ^ 坂本また欠場 球宴で復帰へ
  3. ^ WBC日本代表 最終メンバーにG戦士7選手 読売巨人軍公式サイト
  4. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2009』アスペクトムック、2009年、38頁頁。ISBN 978-4-7572-1628-0 
  5. ^ 1番打者の概念を覆す『坂本スタイル』とは何か? 読売ジャイアンツ・坂本勇人インタビューsportsnaviコラム、2009年10月9日。
  6. ^ 坂本新打法!フリーで右へ左へ広角7安打2010年2月9日付スポーツ報知
  7. ^ 月刊スラッガー』2011年5月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-5、45頁。
  8. ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』水曜社、2013年、31頁頁。ISBN 978-4-88065-319-8 
  9. ^ ゴールデングラブ賞に異議アリ。鳥谷敬の守備力に正当な評価を! 田端到『ベースボール・ダンディ ~数字の向こう側へ~』Number Web、2009年11月26日。
  10. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、113頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3 
  11. ^ Baseball Lab守備評価~Short StopSMR Baseball Lab
  12. ^ “坂本で守り勝った!最後の打者も間一髪アウト!”. スポーツ報知. (2012年11月4日). http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20121104-OHT1T00085.htm 2012年11月5日閲覧。 
  13. ^ Sports Graphic Number7月30日号[要出典] p18
  14. ^ マー君が坂本、マエケンと発起人!黄金「88年会」結成へ スポニチ Sponichi Annex 2012年7月10日
  15. ^ 坂本、JUNONから初“モデルデビュー”…フォトブック来年2月発売 スポーツ報知 2012年12月21日
  16. ^ 講談社『フライデー』2013年10月18日発売号

関連項目

外部リンク