鹵獲
鹵獲(ろかく)は、戦地などで敵対勢力の装備品(兵器)や補給物資を奪うこと。接収(せっしゅう)とも。捕獲(ほかく)と称される場合もあるが、軍事用語としては鹵獲が適当な言葉である。
概要
古代中国では春秋戦国時代、三国時代などの戦時で度々行われた行為であり、戦国時代の日本ではたびたびこの行為が戦のとき行われていた[1]。主な目的として、自身の装備品より良い武器を奪う為や、それらを売り払って金銭にする為などがある。
武具鹵獲の機会は戦地に限らず、漂泊船の調査においても可能である(『吾妻鏡』の13世紀の記述として、高麗人の船が日本に着いた際、弓や具足などを調査・記録させている) 近代以降の戦争では、降伏した敵軍から武装解除の際に取り上げたり、敵軍が撤退あるいは敗走時に遺棄・放棄した兵器や物資を手に入れることを指して言うことが多い。また、海上に着弾した弾道ミサイルの破片回収なども部分的鹵獲と言える。
一般的に鹵獲した兵器はそのまま自軍の兵器として転用、調査を行って分析し自軍の兵器の改良や開発の参考に使用、改造を施して使用、または余剰品として廃棄されることが多い。このため、近代以降の軍隊では何らかの理由で兵器を遺棄しなければならなくなった場合、その兵器が敵軍の戦力として運用されないように破壊(爆破・放火・自沈)ないし使用不能にすることが義務付けられている。
鹵獲兵器の運用
鹵獲兵器をそのまま自軍の装備として転用したとしても、弾薬・爆弾・ミサイルなどの武装類や、エンジン・機器などの補修部品の規格が自軍と異なっていることが多く、消耗品の更新も難しいことから必ずしも有効な主力戦力として活用できるわけではない。この場合は稼働率の維持のために共食い整備を行わざるを得なくなった挙句に結局廃棄処分を余儀なくされることもあれば、武装・エンジン・機器などを自軍規格に適合するものに換装したり、別の用途に転用するための大改造を行うことがある。
第二次世界大戦期には特に大々的に鹵獲兵器が運用され、特に連合国軍と比較し生産力や兵站に劣る枢軸国軍では盛んに鹵獲行為が行われた。ドイツ軍は完全に準備が整わないうちに第二次大戦に突入し、兵器の生産が部隊規模の拡大と損耗補充に追い付かなかったため、鹵獲した各種兵器の有効活用に特に熱心であった。西方戦役に於いて鹵獲されたフランス軍のオチキス H35やソミュア S35等の戦車は、一部ドイツ軍仕様のキューポラを装備し二線級戦線に投入され治安維持任務等に終戦まで使用された。また、独ソ戦以降は重装甲を誇るソ連赤軍の戦車に対抗する必要上、鹵獲したKV-1やT-34などをそのまま運用したり、鹵獲ソ連野砲や占領・併合したフランスやチェコの戦車の車体などを流用した対戦車自走砲を多種類製造した。その他、米・英軍の鹵獲車両も多数が運用されたが友軍の誤射を防ぐため国籍マークを大きく多数描いているのが特徴となっている。
フィンランド軍は冬戦争や継続戦争において、諸外国からの兵器援助が限定的なものであり兵器の国産能力も低かったため、輸入兵器ともども鹵獲兵器を積極的に活用した。
日本軍においても、日中戦争(支那事変)の頃から第一線では高性能のブルーノ ZB26軽機関銃やマウザー C96自動式拳銃を鹵獲・接収し大規模に運用しており、太平洋戦争(大東亜戦争)時にはアメリカ軍の自動小銃であるM1 ガーランドやM1 カービンは積極的に鹵獲運用されていた。組織的な運用としては、空挺部隊である陸軍第1挺進団に対し、シンガポールの戦いで鹵獲されたトンプソン機関短銃がパレンバン空挺作戦後に600挺が供給されている。また、日本軍において鹵獲航空機(主な戦闘機・爆撃機はホーカー ハリケーン・ブリュースター バッファロー・カーチス P-40(トマホーク)・ノースアメリカン P-51・ボーイング B-17・ロッキード ハドソン等)はドイツなどからの輸入機ともども、陸軍航空審査部(旧・飛行実験部実験隊)が主に調査研究の目的で運用していた。緒戦の南方作戦で鹵獲したハリケーン・バッファロー・P-40・B-17などは羽田飛行場で戦意高揚のための展示会で一般公開され、また、B-17は1942年公開の映画『翼の凱歌』にて、多数のバッファロー・P-40およびハドソンは、1944年公開の映画『加藤隼戦闘隊』において、ともに一式戦闘機「隼」と対峙する敵機役として大々的に「出演」している。戦地における鹵獲機装備の実戦部隊としては、P-40のみによる飛行隊がビルマ戦線で編成され爆撃機迎撃用に投入されたものの、同士撃ちや消耗部品の供給の問題があったため短期間で解散している。
第二次大戦後の冷戦下で対立する陣営は大抵、アメリカ(西側諸国)とソ連(東側諸国)の軍事支援により兵器を潤沢に供給されることが多いため、敵軍に偽装して敵地に潜入する特殊作戦以外で鹵獲兵器を軍の制式兵器として大々的に使用する例はほとんどないが、例外的にイスラエル軍は周辺を敵性国家に囲まれており、欧米諸国からの武器供給も決して安定しているわけではないため、鹵獲兵器(主に東側製)を有効活用するための改造を自国が導入した旧式兵器(主に西側製)の近代化改修同様に重視しており(T-54/55を改修したチランやアチザリットなど)、そこで蓄積されたノウハウを活用した外国の兵器の近代化改修を請け負っている。
主な鹵獲例
そのまま自軍の兵器として転用
- 日本
- 鎮遠:日清戦争末期、威海衛にて鹵獲した。
- 石見:ロシア帝国海軍ボロジノ級戦艦の三番艦「アリヨール」を日本海海戦で鹵獲し、転用したもの(戦利艦)
- P-40:ビルマの首都ラングーンの手薄な防空戦力増強のため、1943年2月、陸軍第5飛行師団が隷下の飛行第50戦隊にフィリピン戦線で鹵獲したP-40E 4機を宛がい臨時の防空戦闘隊を編成した。しかし鹵獲機材のため故障が発生しても予備パーツがなく稼動率は低下、更に事故により5月26日を持って解散している[2]。
- M3軽戦車:主力の九五式軽戦車や九七式中戦車より性能が勝っていたためビルマ戦線の戦車第14連隊第4中隊がM3で編成、インパール作戦に投入され英印軍のM3中戦車と交戦し、背後より射撃し撃破している。
- ブルーノ ZB26・マウザー C96・マウザー M1924他:第一次大戦後に大量に放出された本銃を中国国民党軍は主力装備としたが、満州事変・上海事変・日中戦争では工廠ごと大量に鹵獲接収し運用した。
- ドイツ
- B-17:第二次世界大戦ではドイツ空軍は爆撃機は所有していたが、大型4発爆撃機は運用していなかったこともあり運用された。
- M3軽戦車:主にアフリカ戦線で運用された。
- M4中戦車:鹵獲したM4に「PzKpfw M4 748(a)」と命名し、アフリカ戦線から欧州戦線までファイアフライも同じ分類で運用された。
- T-34:鹵獲したT-34に「PzKpfw T-34 747(r)」と命名し、独ソ戦以降から運用された。
- PPSh-41:鹵獲したPPSh-41に「P717(r)」と命名し、そのまま使用したりMP40の箱形弾倉を使用出来るように改造した。
- 120mm迫撃砲PM-38:鹵獲した120mm迫撃砲PM-38を「GrW378(r)」の名で運用し、後にはコピー品の12 cm GrW 42を生産している。
- 中国
- 九七式中戦車:日本の敗戦後に鹵獲されて、その中で運用されていた1両が功臣号として活躍。
- フランス
- 九五式軽戦車:日本の敗戦後、フランス領インドシナに戻ったフランス軍がインドシナ独立戦争においてベトナム人鎮圧のために使用。砲塔両側面及び戦闘室前面、車体前部に増加装甲を施している[3]。
- V号戦車パンター:戦後に第503戦車連隊にて定数50輌の一個連隊のみで、1951年ごろまで現役運用されて、1961年ごろまでパリ近郊で予備保管された。
- オーストラリア
- M13/40:第二次世界大戦中、北アフリカ戦線での初戦で降服したイタリア軍から大量に鹵獲した戦車をオーストラリア軍が転用している。M13/40の他に、M11/39も鹵獲され転用されている。結果、後のイタリア軍とオーストラリア軍との戦闘の際は、両軍ともに同一の戦車を用いた戦闘を行うことになった。
- ローデシア
- バングラデシュ
- F-86戦闘機:第三次印パ戦争後、旧東パキスタン駐留のパキスタン空軍が装備していたF-86をバングラデシュ空軍が再生して運用。しかし、外国の支援が得られずに部品不足に陥った事、MiG-21が供給された事などから数年で退役。
- チャド
- ベトナム
- M18A1クレイモア地雷:ベトナム戦争中、ベトコンが南ベトナム政府軍から横流しされた物を使用。
- M26A1破片手榴弾:ベトナム戦争中、ベトコンが鹵獲や横流しで手に入れた物を使用。
- ノースロップF-5戦闘機:ベトナム戦争に敗北した南ベトナム軍が使用していたものを鹵獲接収し、カンボジア侵攻に使用。
- M48パットン戦車:ベトナム戦争に敗北した南ベトナム軍が使用していたものを鹵獲接収し、カンボジア侵攻や中越戦争に使用。
- イスラエル
- イラン
- イギリス
- アグスタ A109ヘリコプターなど:フォークランド紛争でアルゼンチン陸軍の機体を鹵獲。紛争終結後にイギリス陸軍において特殊作戦向けの機体として使用した。好成績であったことから、同軍は独自に同機を追加購入している。このほか、鹵獲した同軍のCH-47チヌークなども、ヘリコプターが不足していた事から一時的に使用している。
- ポルトガル
- セルビア(旧・新ユーゴスラビア)
- ボーイング707:クロアチア独立戦争時に、クロアチア人が武器密輸用にチャーターしたとされる民間のボーイング707をセルビア軍が鹵獲。輸送機が不足していたため、同機を人員輸送機としてボスニア紛争等に使用した。
- クロアチア
改造した上で自軍の兵器として使用
- ドイツ
- T-34改造対空戦車:鹵獲したT-34の砲塔を除去したシャーシに2cm Flakvierling38を搭載し周囲を装甲で囲った現地部隊改修の対空戦車(対空自走砲)(第653重戦車大隊の大隊本部車両)[4]
- マルダーI:フランス占領の際に鹵獲した37L装甲輸送車「ロレーヌ」などに75mm戦車砲を搭載した対戦車自走砲。
- 7.62 cm PaK 36(r):独ソ戦序盤で鹵獲したF-22 76.2mm野砲に薬室を延長するなどの改修を施した対戦車砲。マルダーIIやマルダーIIIの初期型はこの砲を搭載していた(後の生産型はドイツ製の7.5 cm PaK 40を搭載)
- 7.5 cm PaK 97/38:ポーランドやフランスを占領した際に鹵獲したM1897 75mm野砲の砲身と駐退復座機を、5 cm PaK 38の砲架と組み合わせた対戦車砲。独ソ戦で上記の7.62cm PaK 36(r)と共に運用された。
- フィンランド
- BT-42:冬戦争の際にソ連から鹵獲したBT-7戦車の車体に、イギリス製のQF 4.5インチ榴弾砲を搭載した突撃砲。
- ソビエト連邦
- SU-76i:ドイツから鹵獲したIII号戦車やIII号突撃砲の車体に、T-34/76やKV-1の主砲であるF-34 76mm戦車砲の改良型を搭載した自走砲。
- ソ連製対人指向性地雷:アメリカ軍から鹵獲したクレイモア地雷をコピーした物。ソ連のアフガニスタン侵攻時に使用された。
- イスラエル
- BTR-152 TCM-20:第三次中東戦争でエジプトやシリアから鹵獲したBTR-152に20mm連装高射機関砲を搭載したイスラエルの対空車輌。
- Tiran-4/5/6:イスラエルが第三次中東戦争及び第四次中東戦争にて鹵獲したT-54/T-55/T-62に近代化改修を行った戦車。第三次中東戦争が行われた1967年に多数を鹵獲したことからTi-67とも呼ばれる。
- アチザリット:上記のTiran-4/5から砲塔を撤去して改造した重装甲の装甲兵員輸送車。
- スリランカ
- BMT:反政府勢力であった「タミル・イーラム解放の虎」が、スリランカ軍から鹵獲した63/80式装甲兵員輸送車を改造し、同じく同軍から鹵獲したサラディンの砲塔を搭載した装甲戦闘車。
兵器開発の参考として使用
- 日本
- 連山:防御銃座の配置や、設計に鹵獲したB-17の影響が強く出ている。
- ソビエト連邦
- IS-1:鹵獲したVI号戦車の戦闘力に衝撃を受け、これに対抗できる重戦車として開発された。
- 爆発反応装甲:1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻において、PLOやシリア軍との戦闘で撃破されたイスラエル軍のショットやマガフに装着されていたブレーザー爆発反応装甲のサンプルをシリア経由で入手し、それを参考にコンタークト1や発展型のコンタークト5を開発した。
- ドイツ
- V号戦車パンター:東部戦線で鹵獲したT-34の高性能に驚愕したドイツ軍が、同車の車体前面の傾斜装甲を取り入れて設計した新型中戦車。
- パンツァーシュレック:北アフリカ戦線で鹵獲したアメリカ軍のM1 バズーカをベースに設計された携行対戦車兵器で、ロケット弾はプップヒェン用の88mmロケット弾の改良型を使用。
- アメリカ
- ロッキード P-80:通し桁を用いて左右翼を一体製造し、その上に操縦席部分を載せ、機体後部をボルト留めする機体分割法は中島九七式戦闘機以降の日本軍機の標準的技法と同一であり、同時期の他のアメリカ軍機に類例がなく、また、異例の短期間で設計されていることから、詳細なレポートがあった日本軍鹵獲機の構造を模倣した可能性が指摘されている。
調査・研究として使用
- 日本
- B-17:防空演習などにより対重爆戦闘の研究が行われ、また、銃後の防空意識高揚を目的に「敵機爆音集」と題したB-17の飛行高度別エンジン音を収録したレコードも製作された。
- P-51:本土防空戦時には特に脅威となるP-51対策として、中国戦線で鹵獲したP-51Cを主に陸軍航空審査部テスト・パイロットの黒江保彦少佐の操縦により、内地の防空飛行戦隊の三式戦闘機「飛燕」などと模擬空戦を行った。
- アメリカ
- 零式艦上戦闘機:アリューシャン列島にてほぼ無傷で鹵獲した零戦(アクタン・ゼロ)を徹底的に調査しキルレシオを向上させた。
- 四式戦闘機「疾風」:フィリピンの戦いで鹵獲した飛行第11戦隊の「疾風」を調査し性能を計測した。
鹵獲を目的とした作戦
脚注
- ^ 古代における異民族による武具略奪の事例としては、878年(9世紀末)に秋田城が蝦夷によって焼き討ちされた際の報告として、甲冑300領や馬1500匹、穀物類などを盗まれた記述があり(参考・『世界考古学体系4 日本Ⅳ』 平凡社 4版1966年 p.67)、武具被害が目立つ。戦国期の例でいえば、『北条五代記』に風魔小太郎が少数精鋭で敵地に侵入した際、繋いであった敵軍の馬に乗り、そのまま転用している
- ^ 『日本軍鹵獲機秘録』 押尾一彦、野原茂 (光人社 2002年)参照
- ^ 『日本戦車隊戦史』 上田信 (大日本絵画 2005年)
- ^ 『捕獲戦車』 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 高橋慶史 訳(大日本絵画 2008年)参照