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鹵獲

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ノモンハン事件で鹵獲した日本陸軍九五式小型乗用車と記念撮影するソ連赤軍の軍人

鹵獲(ろかく)は、戦地などで敵対勢力の装備品(兵器)や補給物資を奪うこと。接収(せっしゅう)とも。捕獲(ほかく)と称される場合もあるが、軍事用語としては鹵獲が適当な言葉である。

概要

古代中国では春秋戦国時代三国時代などの戦時で度々行われた行為であり、戦国時代日本ではたびたびこの行為がのとき行われていた[1]。主な目的として、自身の装備品より良い武器を奪う為や、それらを売り払って金銭にする為などがある。

武具鹵獲の機会は戦地に限らず、漂泊船の調査においても可能である(『吾妻鏡』の13世紀の記述として、高麗人の船が日本に着いた際、弓や具足などを調査・記録させている) 近代以降の戦争では、降伏した敵軍から武装解除の際に取り上げたり、敵軍が撤退あるいは敗走時に遺棄・放棄した兵器や物資を手に入れることを指して言うことが多い。また、海上に着弾した弾道ミサイルの破片回収なども部分的鹵獲と言える。

一般的に鹵獲した兵器はそのまま自軍の兵器として転用、調査を行って分析し自軍の兵器の改良や開発の参考に使用、改造を施して使用、または余剰品として廃棄されることが多い。このため、近代以降の軍隊では何らかの理由で兵器を遺棄しなければならなくなった場合、その兵器が敵軍の戦力として運用されないように破壊(爆破放火自沈)ないし使用不能にすることが義務付けられている。

鹵獲兵器の運用

鹵獲兵器をそのまま自軍の装備として転用したとしても、弾薬爆弾ミサイルなどの武装類や、エンジン機器などの補修部品の規格が自軍と異なっていることが多く、消耗品の更新も難しいことから必ずしも有効な主力戦力として活用できるわけではない。この場合は稼働率の維持のために共食い整備を行わざるを得なくなった挙句に結局廃棄処分を余儀なくされることもあれば、武装・エンジン・機器などを自軍規格に適合するものに換装したり、別の用途に転用するための大改造を行うことがある。

ソ連軍が遺棄したT-26を調査するフィンランド軍

第二次世界大戦期には特に大々的に鹵獲兵器が運用され、特に連合国軍と比較し生産力や兵站に劣る枢軸国軍では盛んに鹵獲行為が行われた。ドイツ軍は完全に準備が整わないうちに第二次大戦に突入し、兵器の生産が部隊規模の拡大と損耗補充に追い付かなかったため、鹵獲した各種兵器の有効活用に特に熱心であった。西方戦役に於いて鹵獲されたフランス軍オチキス H35ソミュア S35等の戦車は、一部ドイツ軍仕様のキューポラを装備し二線級戦線に投入され治安維持任務等に終戦まで使用された。また、独ソ戦以降は重装甲を誇るソ連赤軍の戦車に対抗する必要上、鹵獲したKV-1T-34などをそのまま運用したり、鹵獲ソ連野砲や占領・併合したフランスチェコの戦車の車体などを流用した対戦車自走砲を多種類製造した。その他、米・英軍の鹵獲車両も多数が運用されたが友軍の誤射を防ぐため国籍マークを大きく多数描いているのが特徴となっている。

フィンランド軍冬戦争継続戦争において、諸外国からの兵器援助が限定的なものであり兵器の国産能力も低かったため、輸入兵器ともども鹵獲兵器を積極的に活用した。

アメリカ陸軍航空軍が遺棄したB-17Cを日本軍が鹵獲し、日章(日の丸)の国籍マークを描き飛行中の姿

日本軍においても、日中戦争支那事変)の頃から第一線では高性能のブルーノ ZB26軽機関銃マウザー C96自動式拳銃を鹵獲・接収し大規模に運用しており、太平洋戦争大東亜戦争)時にはアメリカ軍自動小銃であるM1 ガーランドM1 カービンは積極的に鹵獲運用されていた。組織的な運用としては、空挺部隊である陸軍第1挺進団に対し、シンガポールの戦いで鹵獲されたトンプソン機関短銃パレンバン空挺作戦後に600挺が供給されている。また、日本軍において鹵獲航空機(主な戦闘機爆撃機ホーカー ハリケーンブリュースター バッファローカーチス P-40(トマホーク)ノースアメリカン P-51ボーイング B-17ロッキード ハドソン等)はドイツなどからの輸入機ともども、陸軍航空審査部(旧・飛行実験部実験隊)が主に調査研究の目的で運用していた。緒戦の南方作戦で鹵獲したハリケーン・バッファロー・P-40・B-17などは羽田飛行場で戦意高揚のための展示会で一般公開され、また、B-17は1942年公開の映画翼の凱歌』にて、多数のバッファロー・P-40およびハドソンは、1944年公開の映画『加藤隼戦闘隊』において、ともに一式戦闘機「隼」と対峙する敵機役として大々的に「出演」している。戦地における鹵獲機装備の実戦部隊としては、P-40のみによる飛行隊がビルマ戦線編成され爆撃機迎撃用に投入されたものの、同士撃ちや消耗部品の供給の問題があったため短期間で解散している。

第二次大戦後の冷戦下で対立する陣営は大抵、アメリカ西側諸国)とソ連(東側諸国)の軍事支援により兵器を潤沢に供給されることが多いため、敵軍に偽装して敵地に潜入する特殊作戦以外で鹵獲兵器を軍の制式兵器として大々的に使用する例はほとんどないが、例外的にイスラエル軍は周辺を敵性国家に囲まれており、欧米諸国からの武器供給も決して安定しているわけではないため、鹵獲兵器(主に東側製)を有効活用するための改造を自国が導入した旧式兵器(主に西側製)の近代化改修同様に重視しており(T-54/55を改修したチランアチザリットなど)、そこで蓄積されたノウハウを活用した外国の兵器の近代化改修を請け負っている。

主な鹵獲例

そのまま自軍の兵器として転用

日本
ドイツ
  • B-17:第二次世界大戦ではドイツ空軍爆撃機は所有していたが、大型4発爆撃機は運用していなかったこともあり運用された。
  • M3軽戦車:主にアフリカ戦線で運用された。
  • M4中戦車:鹵獲したM4に「PzKpfw M4 748(a)」と命名し、アフリカ戦線から欧州戦線までファイアフライも同じ分類で運用された。
  • T-34:鹵獲したT-34に「PzKpfw T-34 747(r)」と命名し、独ソ戦以降から運用された。
  • PPSh-41:鹵獲したPPSh-41に「P717(r)」と命名し、そのまま使用したりMP40の箱形弾倉を使用出来るように改造した。
  • 120mm迫撃砲PM-38:鹵獲した120mm迫撃砲PM-38を「GrW378(r)」の名で運用し、後にはコピー品の12 cm GrW 42を生産している。
中国
  • 九七式中戦車:日本の敗戦後に鹵獲されて、その中で運用されていた1両が功臣号として活躍。
フランス
オーストラリア
  • M13/40:第二次世界大戦中、北アフリカ戦線での初戦で降服したイタリア軍から大量に鹵獲した戦車をオーストラリア軍が転用している。M13/40の他に、M11/39も鹵獲され転用されている。結果、後のイタリア軍とオーストラリア軍との戦闘の際は、両軍ともに同一の戦車を用いた戦闘を行うことになった。
ローデシア
バングラデシュ
チャド
ベトナム
イスラエル
  • PT-76水陸両用戦車:エジプト軍のものを鹵獲。イスラエル軍に当該する装備が無かったため、スエズ渡河作戦の際に水陸両用戦車として使用。
イラン
イギリス
ポルトガル
セルビア(旧・新ユーゴスラビア
クロアチア
その他

改造した上で自軍の兵器として使用

ドイツ
フィンランド
ソビエト連邦
イスラエル
スリランカ

兵器開発の参考として使用

日本
  • 連山:防御銃座の配置や、設計に鹵獲したB-17の影響が強く出ている。
ソビエト連邦
ドイツ
アメリカ
  • ロッキード P-80:通し桁を用いて左右翼を一体製造し、その上に操縦席部分を載せ、機体後部をボルト留めする機体分割法は中島九七式戦闘機以降の日本軍機の標準的技法と同一であり、同時期の他のアメリカ軍機に類例がなく、また、異例の短期間で設計されていることから、詳細なレポートがあった日本軍鹵獲機の構造を模倣した可能性が指摘されている。

調査・研究として使用

日本
アメリカ

鹵獲を目的とした作戦

脚注

  1. ^ 古代における異民族による武具略奪の事例としては、878年(9世紀末)に秋田城蝦夷によって焼き討ちされた際の報告として、甲冑300領や馬1500匹、穀物類などを盗まれた記述があり(参考・『世界考古学体系4 日本Ⅳ』 平凡社 4版1966年 p.67)、武具被害が目立つ。戦国期の例でいえば、『北条五代記』に風魔小太郎が少数精鋭で敵地に侵入した際、繋いであった敵軍の馬に乗り、そのまま転用している
  2. ^ 『日本軍鹵獲機秘録』 押尾一彦、野原茂 (光人社 2002年)参照
  3. ^ 『日本戦車隊戦史』 上田信 (大日本絵画 2005年)
  4. ^ 『捕獲戦車』 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 高橋慶史 訳(大日本絵画 2008年)参照

関連項目