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陽岱鋼

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陽 岱鋼
Yang Dai-Kang
北海道日本ハムファイターズ #1
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 台湾省台東県台東市
生年月日 (1987-01-17) 1987年1月17日(37歳)
身長
体重
183 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手遊撃手三塁手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2007年4月20日
年俸 1億8,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
WBC 2006年2013年

陽 岱鋼(よう だいかん/ヤン・ダイガン(Ya'ng Da`i-Ka-ng)、1987年1月17日 - )は、台湾台東県台東市出身のプロ野球選手外野手内野手)。右投げ右打ち。北海道日本ハムファイターズに所属している。

2010年の改名以前の名前及び登録名陽 仲壽(よう ちょんそ/ヤン・チョンソ)。マネジメント契約先はスポーツビズ台湾原住民アミ族出身。台湾人史上最高位の指名(ドラフト1巡目)を受け、台湾では話題となった。日本国籍を持たないが、日本の高等学校に3年以上在籍していたため、規定により日本国籍を持つ選手と同等の扱いを受けている。詳細は外国人枠を参照のこと。

同じくプロ野球選手の陽耀勲および陽耀華は実兄。バスケットボール女子チャイニーズタイペイ代表選手の陽詩慧は実妹。愛称は「アッシュ」。

経歴

プロ入り前

台湾での小中学校時代はナショナルチームに所属した遊撃手で、福岡第一高校へ野球留学してきた高校1年の夏から3試合連続本塁打、通算でも39本塁打を記録。

2005年のプロ野球ドラフト会議(高校生対象の部)では、北海道日本ハムファイターズ福岡ソフトバンクホークスの1巡目で競合し、抽選の結果日本ハムが交渉権を得たが、同会議では一旦は「交渉権獲得球団は福岡ソフトバンク」と発表されてしまい混乱が起こった。兄の耀勲と同じソフトバンク入り[1]を熱望していたため、当初は複雑な心境だったようだが、日本ハム側の熱烈な交渉と、本人が初めて北海道を訪れてみるなどの経緯もあって、最終的に日本ハム入りを決意した。

プロ入り後

2006年
プロ1年目の9月27日、前の試合で正遊撃手の金子誠が故障したため初の一軍昇格。シーズン1位確定を賭けた2連戦とあって出番はなく、2006年は一軍出場0試合に終わったが、二軍では新人ながら積極的に起用され、91試合出場、打率.274、チーム最多の9本塁打、5盗塁を記録した。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを受賞している。しかし守備面ではリーグ最多となる30失策を犯してしまい、不安が見られた。同年秋のインターコンチネンタル杯では、台湾代表として全試合出場し打率.267、2本塁打と大活躍し銅メダルに貢献、キューバ代表監督がベタ惚れしたという。
2007年
春季キャンプは故障で出遅れるも、シーズン序盤から一軍の打線が揮わなかったため、4月19日に首脳陣から「起爆剤に」と期待され一軍昇格。55試合に出場し打率は.239に終わったが、遊撃手(26試合)、三塁手(21試合)、代打などで起用され、一軍経験を積んだ。二軍では打率.305の好成績を残した。
2008年
二軍で打率.342、8本塁打、7盗塁と更に打率を上げ、最高出塁率・最高長打率のタイトルを獲得。同僚の市川卓と激しい首位打者争いを繰り広げイースタン・リーグ2位の打率を残した。なお、同年12月24日には、台湾でモデルやタレントとして活動していた台湾人女性と入籍している[2]
2009年
6月頃、強肩を活かしたい首脳陣の意向により外野手コンバートされた(登録は内野手のまま)。一軍昇格後、8月21日のソフトバンク戦で打順・守備ともにプロ初となる1番・左翼手で先発出場するも力を発揮しきれず、程なくして二軍落ち。11月頃、心機一転のため本名を「仲壽」から「岱鋼」に改名した。
2010年
開幕当初こそ外野の守備固めでの出場が多かったが、一塁手高橋信二の故障離脱に伴い右翼手稲葉篤紀が一塁手を務めることが増えたため後半戦からは右翼手のレギュラーに定着し、過去最高の109試合に出場した。
2011年
初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は、フリーエージェント権を行使して退団した森本稀哲に替わる2番打者を主に務め、6月下旬に田中賢介が骨折した後は1番打者としても出場した。プロ入り初めて規定打席に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。守備位置は持ち前の俊足と強肩を生かした外野手(ほとんどが右翼手)での出場だった。
2012年
この年就任した栗山英樹監督の意向で中堅手に転向し、打順は6番としての出場がメインとなり、前年に続いて田中賢介が怪我で離脱した翌8月30日以降はポストシーズンまで主に1番で出場。オールスターゲームにファン投票で初選出され、第1戦(7月20日)に1番・中堅手として先発出場し、1回裏に史上2人目となる初打席先頭打者本塁打を打った(後述)。さらに第3戦(7月23日)でも1番・中堅手として先発出場し、先制本塁打を含む3安打4打点の活躍で全パの勝利に貢献してMVPに輝いた。8月8日に帯広で行われたソフトバンク戦7回裏に実兄の陽耀勲投手と一軍公式戦で初対戦した(結果は初球を中前安打)[3]。この兄弟対戦は、兄が先発登板したこの年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第1戦でも実現する。この年のリーグ唯一となる全試合フルイニング出場を果たし、守備では初のゴールデングラブ賞をリーグ最多得票で受賞した。オフには来季から現在の背番号である24から、新庄剛志(SHINJO)、森本稀哲らが着用していた背番号「1」を継承することが球団より発表された。
2013年
3月、第3回ワールド・ベースボール・クラシックチャイニーズタイペイ代表として出場し、2次ラウンド進出に貢献したとして1次ラウンドB組MVPを受賞した。2次ラウンドの日本戦、キューバ戦にもスタメン出場した。シーズンでは6月12日の阪神戦でフルイニング出場は途絶えたものの、2年連続で全試合に出場。主に1番打者を務め、本塁打・打点・盗塁はいずれも自己最多で、自身初となるリーグ最多得点を記録し、47盗塁を記録し自身そして球団史上初となる盗塁王に輝いた。台湾出身選手の打撃タイトル獲得は1994年の大豊泰昭本塁打打点)以来19年ぶり。課題とされた三振の多さは変わらなかったが、前年の倍以上となる78四死球を選び出塁率は大幅に改善させた。
年俸は倍以上となる2年総額4億円で更改した。

プレースタイル・人物

監督の栗山英樹は陽の守備には全幅の信頼を寄せる。「岱鋼の守備力はセンターとしては、今、日本で一番でしょう。守備範囲が広いことに加え、打球への飛び出しが素晴らしく速い。(糸井)嘉男も速いけど、岱鋼の方が、もう半歩、反応が速いような気がします」とコメントしている。

打撃面では中堅から右方向への打撃を得意としており、2013年にはライト方向へ打率.402・5本塁打を放った。

の読み方は中国読みでは「ヤン(YANG)」であるが、日本で呼ばれ慣れていることを理由に日本読みの「ヨウ(YOH)」で登録している。兄の耀勲は台湾読み、同じく兄の耀華(四国アイランドリーグplus時代)は日本読みで登録した。

ヒーローインタビューなどにてファンへ向けて発する「サンキューで~す!」を決め台詞としている(お笑いタレント藤森慎吾風の口調で)。

また、2011年より打席への登場曲に起用しているリンキン・パークNumb』は、OBの新庄剛志(SHINJO)もかつて起用していた曲である。2012年6月16・17日に行われた「選手プロデュースデー」の試合では両日限定で各選手それぞれ公募によって選ばれた登場曲が流され、陽の曲として新庄が日本ハム時代の3年間起用して定番であったドクター・ドレー『The Next Episode』がファンにより選ばれた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 日本ハム 55 116 109 12 26 8 2 0 38 10 3 2 4 0 2 0 1 30 0 .239 .259 .349 .608
2008 44 123 111 7 16 0 1 2 24 4 1 0 4 1 6 0 1 31 3 .144 .193 .216 .409
2009 15 13 11 2 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 3 0 .182 .250 .182 .432
2010 109 281 253 35 62 12 3 2 86 31 8 1 10 2 12 0 4 70 4 .245 .288 .340 .628
2011 141 603 537 66 147 23 4 6 196 36 19 2 38 1 22 0 5 134 5 .274 .308 .365 .673
2012 144 599 534 71 153 28 5 7 212 55 17 6 18 5 37 1 6 123 10 .287 .337 .398 .735
2013 144 658 574 93 162 27 2 18 247 67 47 10 4 2 69 2 9 142 9 .282 .367 .430 .797
通算:7年 652 2393 2128 286 568 98 17 35 805 203 95 21 79 11 149 3 26 533 31 .267 .321 .378 .699
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績


三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2007 26 8 51 3 4 .952 21 19 28 3 4 .940 -
2008 17 11 27 3 3 .927 25 24 47 6 11 .922 -
2009 - - 10 3 0 2 0 .600
2010 - 3 0 1 0 0 1.000 96 127 3 1 0 .992
2011 - - 139 252 7 0 3 1.000
2012 - - 144 322 4 3 1 .991
2013 - - 144 326 5 2 1 .994
通算 43 19 78 6 7 .942 49 43 76 9 15 .930 533 1030 19 8 5 .992
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

NPB
台湾(チャイニーズタイペイ)代表

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 24 (2006年 - 2012年)
  • 1 (2013年 - )

登録名

  • 陽 仲壽(よう ちょんそ) (2006年 - 2009年)
  • 陽 岱鋼(よう だいかん) (2010年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 会議の時点ではソフトバンクの選手ではなかったが、翌2006年からソフトバンクでプレーすることがほぼ決定していた。
  2. ^ ハム陽が結婚、元タレント25歳代湾人と(『日刊スポーツ』2010年2月11日付記事)。陽の家族は台湾で生活しながら、プロ野球シーズン中に陽の応援でたびたび来日しているという(同紙2012年4月26日付記事ハム陽のろけた“幸せ”猛打賞などを参照)。
  3. ^ ついに実現!! 陽岱鋼と陽耀勲の兄弟対決 2012.08.08 F-HYouTube・パ・リーグチャンネル
  4. ^ 1968年第1戦のアルト・ロペス東京オリオンズ)以来。なお、初打席本塁打は2007年第1戦の森野将彦中日ドラゴンズ)に次ぐ史上15人目。先頭打者本塁打は2001年第3戦の高橋由伸読売ジャイアンツ)に次ぐ史上8人目。
  5. ^ 陽「びっくり」先頭初打席弾 - 日刊スポーツ,2012年7月21日

関連項目

外部リンク