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台南海軍航空隊

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台南海軍航空隊
1942年6月ラエで撮影された下士官搭乗員たちの写真
3列目左端、西沢広義。2列目左から、太田敏夫・坂井三郎
創設 1941年(昭和16年)10月1日
廃止 1942年(昭和17年)11月1日
編成地 台南州台湾
最終上級単位 第11航空艦隊第25航空戦隊
最終位置 ラバウル
特記事項 廃止後第251海軍航空隊と改称
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台南海軍航空隊(たいなんかいぐんこうくうたい)とは第二次世界大戦期の大日本帝国海軍航空部隊の1つ。

1941年10月1日太平洋戦争開戦直前、第一航空隊戦闘機隊を母体に戦闘機航空隊として発足した。12月8日の開戦時には台湾から出撃しフィリピン航空撃滅戦に従事。戦線拡大に伴い、ボルネオジャワラバウル東部ニューギニアと転戦し、太平洋戦争初期における基地航空部隊の中心として活躍した。

蘭印作戦が一段落した1942年3月、人員を大幅に入れ替えてラバウルに進出した。ラバウル進出以降は、東部ニューギニア・ガダルカナル島の2方面の作戦に当たり、当時の日本航空隊の中では最も会戦機会の多い部隊であった。西沢広義坂井三郎笹井醇一太田敏夫羽藤一志らの数多くのエースパイロットを輩出したが、その一方で損耗率も高く、多くの搭乗員を失った。

1942年11月1日、第251海軍航空隊として再編成され、同月上旬に戦力の消耗に伴い再建のため日本本土に帰還した。

開隊時主要幹部等

主力機種

関連項目

参考文献

  • 秦郁彦・伊沢保穂著『日本海軍戦闘機隊 戦歴と航空隊史話』大日本絵画、2010年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。