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モーリス・ホワイト

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Maurice White
Maurice White in Munich, Germany in 1975
基本情報
生誕 (1941-12-19) 1941年12月19日(82歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テネシー州 メンフィス
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州, シカゴ
ジャンル ソウル, ファンク
職業 歌手, ソングライター, ミュージシャン, 音楽プロデューサー
活動期間 1966 –
共同作業者 アース・ウィンド・アンド・ファイアー
公式サイト 公式サイト

モーリス・ホワイトMaurice White1941年12月19日-)は、アース・ウィンド・アンド・ファイアーバンドリーダーで、ミュージシャンアメリカテネシー州メンフィス出身。

経歴

1941年、メンフィスにて生まれ、1953年にドラムを始める。17歳の時に両親とともにシカゴに引っ越してきた。シカゴ音楽院に通い、ベティ・エヴェレトのバンドからキャリアをスタートした。チェス・レコードより電話をうけ、バンドのオーディションを仕切ることになり、彼は専属ドラマーとなり教育を受けた[1]1966年にピアニストのラムゼイ・ルイスのバンドに加入する。この頃よりライヴでカリンバを演奏している。

1969年にラムゼイの下を離れ、自身のグループ、『ソルティ・ペパーズ』を結成し、キャピトル・レコードからシングルを残す。これがアース・ウィンド・アンド・ファイアー(以後EWF)の前身となる。1970年にモーリスは占星術によると土、風、火の要素があるからと言う事からと、宇宙論を結びつけ、Earth, Wind & Fire(土と風と火)と改名した。また拠点をロサンジェルスに変え、ワーナーと契約した。兄弟のヴァーダインフレッドを含めた10人の大所帯バンドとなる。2作リリースするがヒットはせず。

1972年に活動拠点をロサンジェルスに変え、コロムビア・レコードに移籍、フィリップ・ベイリーが加入。フィリップとモーリスのツインヴォーカル、重厚なホーン・セクションが特徴となる。コロムビアには以後1990年まで在籍する。1975年にはThat's the Way of the World暗黒への挑戦』を、同名の映画のサウンド・トラックとしてリリースするが、映画はヒットせず。この映画にはモーリスも出演している。

1976年に自己プロダクション、カリンバ・エンタテインメントを設立。"Boogie Wonderland"に参加しているエモーションズデニース・ウィリアムスラムゼイ・ルイス等をプロデュースしている。1978年にはCBS/コロムビアの元、ARCレコードを設立。

1983年に発表したElectric Universeより、その大きな売りであったホーン・セクションを捨て、打込みによる電子音が特徴となる。このアルバムをリリース後、活動を一時停止、各メンバーはそれぞれソロ活動に移る。モーリスは1985年に、2008年現在唯一のソロ・アルバムとなる、Maurice Whiteを発表、"I Need You"がヒットチューンとなる。

1987年に"Touch the World"をリリースし、活動を再開。1990年代に入ると、プロデューサー業にも力を入れるようになる。1994年の全米ツアーには参加せず。1996年にライヴ活動を辞め[1]、自主レーベルのカリンバの活動、プロデュース業に専念。1997年にモーリスは神経性障害と診断される。「パーキンソン病ではなく、元々神経質であることと、度重なるストレスから、震えが伴うことがある」とモーリスは発言していたが[1]、後にやはりパーキンソン病を患っていたことが明らかになる。以来のEWFの活動はフィリップが中心となっている。またモーリスは同年にラムゼイ・ルイス等のグループアーバン・ナイツの立ち上げにプロデューサーとして関与している。

2004年にモーリスと共にEWFは来日公演したが、これがモーリス込みで最後の公演とも噂される。2007年にはスタックス・レコードコンコード・レコードにより復活)より、EWFのトリビュート・アルバムInterpetationsをリリース。モーリスはエグゼクティヴ・プロデューサーとしてこのプロジェクトに参加。2008年にはフュージョンミュージシャンのブライアン・カルバートソンのアルバムにもエグゼクティヴ・プロデューサーとして参加している。

エピソード

日本ではDREAMS COME TRUEがEWFに影響を受けていることで知られる。特に中村正人は「僕の音楽の父(いや、神様)」と公言するほどモーリスを崇拝しており[2]1994年には中村のたっての希望により『WHEREVER YOU ARE』のレコーディングにモーリスがバックボーカルで参加している。

1992年発売の小比類巻かほるのアルバム『FRONTIER』で、「タンジェリン・ムーンナイト」「Frontier」をモーリス・ホワイトがプロデュースをしている。

注釈

  1. ^ a b c アルバムgratitude(2004年、日本再発盤)のウィリアム・C・ローデンによるライナー
  2. ^ ドリカム・サウンドにブラス・セクションは欠かせない。 - ドリブログ・2007年5月23日

外部リンク