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いろは丸

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いろは丸とは江戸時代末期、いわゆる幕末伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が所有していた西洋式の蒸気船である。この船が有名なのは土佐海援隊隊長、坂本龍馬が運用したことであるが、最初の航海で瀬戸内海備讃瀬戸六島(現在の岡山県笠岡市)で紀州藩明光丸(887トン)と衝突し、近くの鞆港(現在の広島県福山市)に曳航しようとしたが、浸水のため宇治島沖で沈没しあえない最期を迎えた。


経歴

1862年 イギリスバーミンガムで建造、アピソ号と命名される
1866年6月 坂本竜馬の勧めで大洲藩郡中奉行であった国島六左衛門長崎においてオランダ人商人、ボードインからを4250両で購入、いろは丸と改名する。(ただし藩命にそむいたため国島は責任を取り切腹する)
1866年12月 大洲藩は幕府にいろは丸を、城下町人の購入船として届出をする
1867年4月 大洲藩はいろは丸を坂本竜馬に貸与、19日に竜馬は大坂に物資(鉄砲)を運ぶために長崎を出航
23日 沈没 


要目

母港 伊予国大洲藩長浜(現在の愛媛県大洲市長浜町
全長 30間
全幅 3間
深さ 2間
トン数 160トン
機関 45馬力 外輪船(蒸気機関)、マスト3本あり、帆走可能