マックス・ツヴェルバッハ
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ユダヤ系ギャング。イーストマンズの二代目ボス。ブルックリン生まれ。ロウアーイ-ストサイドで暗黒街の生活に入り、持ち前の機敏さと残虐さでモンク・イーストマンの右腕となった。1903年、イタリア系ファイブポインツギャングと繰り広げた、通称「リヴィングトン街の銃撃戦」で写真に写ったのが最初。モンクが検挙されたとき即時釈放を求めて大掛かりな示威行為を行った。モンクが投獄されると組織の指揮権を巡ってリッチー・フィッツパトリックと争った。1904年11月、和解と称してフィッツパトリックをシェリフストリートの酒場に誘い出し、これを殺害した(手下のハリス・スタールによる)。元レスラーのバッチ・ルイス("サイクロン・ルーイ")を用心棒に従え、ハリス・スタールを副ボスに据え、ファイブポインツ一味と抗争した。妻子持ちだったがプレイボーイだった。1908年、彼の恋人キャロル・テリーを巡ってファイブポインツのルイス・ピオッジ("ルーイ・ザ・ランプ")と恋敵となり、コニーアイランドのサーフアベニューの酒場にいたとき恋人テリーのメッセージが書かれた伝言メモを片手に店の外に誘い出されたところを2丁のリボルバーを持ったピオッジに用心棒サイクロンともども銃殺された。キッドツイストに侮辱されたピオッジが、ファイブポインツのボス、ポール・ケリーに殺害許可を乞うと、ケリーはダンプ一杯のギャングをコニーアイランドに派遣し、イーストマンズの報復に備えたという。後年、ユダヤ系の殺し屋エイブ・レルズがこの伝説多きボスから"キッドツイスト"というあだ名をもらった。