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台南海軍航空隊

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台南海軍航空隊(たいなんかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊。1941年10月1日開設の初代および1942年(昭和17年)11月1日に改称した第251海軍航空隊(だい251かいぐんこうくうたい)と1943年4月1日開設の二代目がある。

初代

沿革

台南空

台南航空隊下士官搭乗員の写真(1942年6月ラエで撮影)。後列左から西沢広義、福森大三、木村裕、遠藤枡秋、小林克己、国分武一。中列左から太田敏夫、坂井三郎、米川正吉、宮運一。前列左から大西要四三、石川清治、熊谷賢一、山本健一郎、中野鈔。

1941年10月1日、第一航空隊戦闘機隊を母体に戦闘機航空隊として発足した。零式艦上戦闘機21型、九八式陸上偵察機二式陸上偵察機を装備。司令に樋口曠大佐[1]、飛行長に小園安名少佐[1]、飛行隊長に新郷英城大尉[1]、先任分隊長に浅井正雄大尉[1]、分隊長に戸梶忠恒大尉[1]、瀬藤満寿三大尉[1]、美坐正己中尉[1]、若尾晃中尉[1]、牧幸男中尉[1]、通信長に薗田美輝少佐[1]、整備長に中川貞一機関少佐[1]、整備分隊長に有松漸機関大尉[1]、軍医長に藤村信義軍医少佐[1]、主計長 金子清三郎主計大尉[1]が配属された。

12月8日、太平洋戦争開戦時には台湾から出撃しフィリピン航空撃滅戦に従事。

1942年4月1日、第25航空戦隊が新編される。25航戦は編制上第11航空艦隊所属だが、連合艦隊は軍隊区分で南洋部隊に配属され、24航戦に代わりラバウル方面で西方空襲部隊任務を引き継いだ[2]。25航戦には台南空、四空、横浜空が編入された。23航戦で南西方面作戦中だった台南空は飛行機を現地部隊に渡して人員のみラバウル方面に移動した。台南空はラバウルおよびラエ方面で作戦中だった四空の戦闘機隊の人員、機材の大部分を吸収し、バリ島およびクーパンに展開中だった台南空本隊もラバウルに進出した[3]。定数は戦闘機45(補用15)、陸偵6(補用2)[4]

二五一空

1942年11月1日、第251海軍航空隊と改称。11月中旬、機材を残して人員のみ内地に帰還(一部の人員はラバウルの他の航空隊に転属した)。豊橋で練成・再編成にかかった。

1943年5月14日、ラバウルに再進出。再進出当初は零戦装備の昼間戦闘機部隊と、小園司令の考案した斜銃を追加装備した夜間戦闘機月光(当時は二式陸偵改)装備の夜間戦闘機部隊の2隊が配備されていた。零戦隊はラバウル航空隊の主力戦闘機部隊として、攻勢に転じていた米軍とのソロモン東ニューギニア方面での戦闘に当たった。月光隊も5月21日夜にラバウルに来襲したB-17 2機を初撃墜するなど戦果を上げて行った。

9月1日、251空は正式採用となった月光24機を揃え、夜間戦闘専門部隊として編成が変わった。零戦要員は201空253空へ転属となった。しかし皮肉にもこの頃から米軍の攻撃は、夜間爆撃中心から昼間爆撃中心に変わりつつあり、活躍の場はほとんどなかった。

1944年2月、トラック島に後退したがトラック島空襲によって機材は壊滅した。その後フィリピンへ後退したが7月解隊。夜戦要員は153空へ、トラック島残留者は東カロリン海軍航空隊へ、一部の隊員は内地へと転属となった。

歴代司令

二代目

沿革

1943年4月1日、練習航空隊として発足。艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上攻撃機の教程が行われる。また台湾周辺の防空、哨戒も行った。1944年1月特乙1期が入隊。以降、乙種(特)飛行予科練習生の教育も行う。1945年1月18日、神風特別攻撃隊新高隊を編成して以降、特攻にも従事。

歴代司令

  • 西田兵四郎 大佐:1943年4月1日[6] -
  • 高橋俊策 大佐

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 昭和16年10月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第721号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072082600 で閲覧可能。
  2. ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 145頁
  3. ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 146-147頁
  4. ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 146頁
  5. ^ 昭和16年10月6日付 海軍辞令公報 (部内限) 第724号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072082600 で閲覧可能。
  6. ^ 昭和18年4月1日付 海軍辞令公報 (部内限)第1085号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072090400

関連項目

参考文献

  • 秦郁彦・伊沢保穂著『日本海軍戦闘機隊 戦歴と航空隊史話』大日本絵画、2010年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。