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和久井秀俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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和久井 秀俊
名前
愛称 トシ
カタカナ ワクイ ヒデトシ
ラテン文字 WAKUI Hidetoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-02-12) 1983年2月12日(41歳)
出身地 栃木県
身長 173cm
体重 65kg
選手情報
在籍チーム エストニアの旗 JKノーメ・カリュ
ポジション MF
背番号 75
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003
2004-2005
2005-2007
2007-2008
2008-2009
2009-2010
2010
2011-
日本の旗新潟
シンガポールの旗新潟S
スロベニアの旗インターブロック・リュブナ
オーストリアの旗バッド・オウセー
スロベニアの旗NDゴリツァ
チェコの旗ボヘミアンズ・プラハ
ベラルーシの旗FKミンスク
エストニアの旗ノーメ・カリュ
0 (0)
52 (9)
39 (6)
15 (1)
10 (0)
11 (0)
2 (0)
132 (53)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

和久井 秀俊(わくい ひでとし、1983年2月12日 - )は、栃木県出身のサッカー選手。ポジションはMFエストニア・マイスターリーグ・JKノーメ・カリュ所属。出身地である栃木県の観光大使「とちぎ未来大使」を務める。 また、ブログTwitterfacebookといったソーシャルメディアを活用してファンとの直接のコミュニケーションを大事にすることから、ファンからソーシャルアスリートと呼ばれている。

来歴

学生時代

小学4年の時に、サッカーを始める。 当時Jリーグを退団したばかりの根岸誠一がコーチを務めるクラブチームにてサッカーの魅力に取りつかれる。 入学した中学校には、サッカー部が無かったため野球部に所属する。どうしてもサッカーをやりたかったため、中学2年時に生徒会長になり、サッカー部を創設した。 入学した当時の鹿沼東高校時代は、サッカー部に専属の顧問がいなかったため、選手でありながら自ら練習内容を考え技術向上をし、栃木県選抜まで上り詰める。

ブラジル時代

2001年栃木県立鹿沼東高等学校の卒業が確定してから、卒業式を待たずにブラジルに単身渡航。[1] アルバイトで貯めた2ヵ月分の生活費だけを持ってブラジルに渡る。現地では、サッカーが下手な人のことを日本人と呼ぶほど日本人のサッカーのレベルが低いと見られていた。 2001年5月、サント・アンドレとプロ契約の夢を掴む。 ブラジルでは、試合に勝ったらお金をもらうという生活であり、過酷な生活環境の中でサッカーの技術向上に努めた。

日本への帰国 - 再び海外移籍

ブラジルでの活躍がきっかけとなり、アルビレックス新潟へ逆輸入選手として帰国。 しかし、怪我の影響により出場機会を得られぬまま、アルビレックス新潟シンガポールに移籍することになる。

アルビレックス新潟シンガポール時代

創設したばかりの当時のアルビレックス新潟シンガポールには、後々カナダ代表として活躍する中島ファラン一生や、シンガポールリーグ史上初の4連覇を達成させた新井健二などが所属していた。

欧州海外リーグ時代

スロベニアのインターブロック・リュブナでは2005-06シーズンにチームの1部昇格に貢献、2006-07シーズンでは1部残留プレーオフでゴールをマークするなど活躍。2007年7月にオーストリア2部リーグのバッド・オウセーに移籍。2008-09年はスロベニア1部のNDゴリツァ、2009-10年はチェコ1部のボヘミアンズ・プラハでプレーし、2010年9月からベラルーシ・プレミアリーグのFKミンスクに移籍した(この移籍により日本を含めアジア人初のベラルーシサッカーリーグ所属選手となった)。

2011年3月、エストニア・マイスターリーグJKノーメ・カリュに完全移籍。2011年3月、メスタリリーガ|エストニア・マイスターリーグ月間ベストイレブンに選出され、エストニアのサッカー情報誌にて、今期の注目選手6名のうちの1人として選ばれている。2011年4月、6月、8月とベストイレブンに選出。2011年は、所属するJKノーメ・カリュを主力として戦い抜き、シリーズ準優勝へと導く。自身もシーズンにおけるベストイレブン及び、ベストMFに選出される。

2011年6月30日のFCホンカ戦でUEFAヨーロッパリーグ初出場、2012年7月5日のFKハザル・レンコラン戦でヨーロッパリーグ初得点を記録した。2013年7月17日にはHJKヘルシンキ戦でUEFAチャンピオンズリーグに初出場した。

2012年にはJKノーメ・カリュエストニア・マイスターリーグ優勝に貢献する。個人としても、2年連続でシーズンにおけるベストイレブン及び、ベストMFに選出される。また、シーズンMVP投票でも2年連続で2位となった[2]。この結果、欧州1部リーグと2部リーグの両方で優勝と降格を経験した日本人選手となった。2005-06シーズンにスロベニア2部で優勝、2007-08シーズンにオーストリア2部で降格、2009-10シーズンにチェコ1部で降格を経験している。降格はいずれもリーグ最下位での降格である。

2014年3月15日、第3節のパイデ・リナメースコンド戦に出場し、エストニア・マイスターリーグおよびノーメ・カリュでの通算出場試合数を100とした(第1節、第2節は出場停止)。7月14日、JKタメカ・タルトゥ戦でハットトリックを達成した[3][4]。9月27日、FCフローラ・タリン戦でシーズン18ゴール目を決め、エストニア・マイスターリーグの通算ゴール数を50とした[5]。4シーズン連続でベスト11を受賞[6]

2014年11月現在、現役日本人プロサッカー選手として最長の海外キャリア(13年)を持つ。

エピソード

  • 2013年11月10日に行われた最終節で、試合会場へ移動中にバスがパンクするアクシデントが発生した。試合開始時間に遅れると不戦敗になる中、その場でスタメンを発表し、スタメン11人と監督が会場に向かっていたサポーターの車に分乗して移動し事なきを得た。この件に関するUEFA公式サイトの記事でコメントが紹介された[7][8]
  • 2013年から、自身が代表取締役を務める株式会社WASEによる合同トライアウト「World Soccer Challenge Selection」を開催する[9][10]。2013年のトライアウトでは橋本早十チョンブリーFCと契約した[11]

所属クラブ

個人成績

国内大会

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 新潟 34 J2 0 0 - 0 0 0 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2004 新潟S 7 Sリーグ 26 4 1 1 - 27 5
2005 24 26 5 3 0 - 29 5
スロベニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005-2006 ファクター 10 2部 13 2
2006-2007 ファクター/インターブロック 10/31 1部 26 4
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
2007-2008 バッド・オウセー 10 2部 15 1
スロベニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2008-2009 NDゴリツァ 1部 10 0
チェコ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-2010 ボヘミアンズ・プラハ 25 1部 11 0
ベラルーシ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2010 FKミンスク 23 プレミア 2 0
エストニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011 ノーメ・カリュ 75 1部 34 7 1 0 35 7
2012 35 10 1 0 36 10
2013 30 15 30 15
2014 33 21
通算 日本 J2 0 0 - 0 0 0 0
シンガポール Sリーグ 52 9 4 1 - 56 10
チェコ 1部 11 0 11 0
スロベニア 1部 36 4 36 4
スロベニア 2部 13 2 13 2
オーストリア 2部 15 1 15 1
ベラルーシ プレミア 2 0 2 0
エストニア 1部 132 53 2 0 134 53
総通算 261 69 4 1 2 0 267 70
その他の公式戦
  • 2007年 スロベニア・プルヴァリーガ 残留・昇格プレーオフ 2試合1得点
  • 2013年 エストニア・スーパーカップ 1試合0得点

国際大会

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2011-12 JKノーメ・カリュ 75 2 0 -
2012-13 2 1 -
2013-14 - 4 0
2013-14 2 0 -
2014-15 4 2 -
2015-16 4 1 -
通算 UEFA 14 4 4 0

チームタイトル

JKノーメ・カリュ
NDゴリツァ
ファクターFC

個人タイトル[15]

脚注

  1. ^ “卒業式を待たずにブラジルに単身渡航。”. わくサカ. (2012年2月1日). http://www.wakusaka.com/2012/02/01/7656/ 2012年2月2日閲覧。 
  2. ^ オフィシャルブログ 2012年11月19日付けの記事より
  3. ^ Premium liiga liidrina jätkav Flora alistas Sillamäe Kalevi 1:0”. エストニアサッカー協会 (Eesti Jalgpalli Liit) (2014年7月14日). 2014年7月15日閲覧。
  4. ^ エストニアマイスターリーグ 第19節”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2014年7月15日). 2014年7月15日閲覧。
  5. ^ メモリアル通算50ゴール”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2014年9月29日). 2014年9月29日閲覧。
  6. ^ 4年連続ベスト11受賞”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2014年11月22日). 2014年11月23日閲覧。
  7. ^ ◆エストニアマイスターリーグ2013 第36節”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2013年11月10日). 2013年11月17日閲覧。
  8. ^ サネッティが待望の復帰、幸運を呼べないラマ - ファンの支え:JKヌンメ・カリュ”. UEFA.com(jp) (2013年11月15日). 2013年12月11日閲覧。
  9. ^ World Soccer Challenge Selection 2013 in JAPAN”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2013年11月13日). 2013年12月27日閲覧。
  10. ^ 和久井所属のノーメ・カリュなど海外クラブ幹部を招待した合同トライアウトが開催”. サッカーキング (2013年12月2日). 2013年12月27日閲覧。
  11. ^ FCポルトなどポルトガルの3クラブを招待した合同トライアウトが5月開催”. サッカーキング (2014年4月1日). 2014年10月31日閲覧。
  12. ^ Evald Tipneri karika võitis Nõmme Kalju FC”. Eesti Jalgpalli Liit (2015年5月30日). 2015年7月18日閲覧。(エストニア語)
  13. ^ Evald Tipneri karikafinaalis võidutses FC Flora”. エストニアサッカー協会 (2013年5月18日). 2014年10月31日閲覧。(エストニア語)
  14. ^ Nõmme JK Kalju - Tallinna FC Levadia 0:3 (0:1)”. エストニアサッカー協会 (2013年2月26日). 2014年10月31日閲覧。(エストニア語)
  15. ^ 和久井秀俊オフィシャルブログより

関連項目

外部リンク