持明院保冬
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持明院 保冬(じみょういん やすふゆ、元徳元年(1329年) - 明徳3年/元中9年10月16日(1392年11月1日))は、南北朝時代の貴族・公卿。正三位・権中納言。父は従二位・権中納言持明院保有。
経歴
応安7年(1374年)、従三位・右衛門督となり公卿に列せられる。直後参議となるも、翌年には辞し、出雲権守・左兵衛督を経て永徳2年(1382年)に参議に還任、至徳2年(1385年)まで在職したが、この間永徳3年(1383年)に正三位に昇り、また丹波権守を兼ねている。嘉慶元年(1387年)には権中納言となるも、康応元年(1389年)には辞職した。明徳の和約による南北朝合一直前の明徳3年10月16日(1392年11月1日)に薨去。享年64。持明院家は元々家行系が嫡流だったが、保家系では最後の公卿となった。[1]