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巨大知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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巨大知(読み: きょだいち, 英: Organic Intelligence)とは、環境観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムがインターネット接続され、地球全体で情報が統合処理される結果として成立する地球規模の知性のことである。端的には、地球全体を覆うコラボレーション関係の成立とも説明できる。

概要

楽天技術研究所2007年に提唱を開始したサード・リアリティという概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立しつつある知性として巨大知が説明されている。

環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネットへの接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。

歴史

1990年代: 巨大知前史

1995年から全世界的に民間企業や一般家庭へのインターネットの普及が始まった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したインターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であり、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャットのような簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知の恩恵とも言えるWikiの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、今日の芸術的な文化の急速な発展を支えている動画や音声と言ったマルチメディアコンテンツは流通させること自体が難しい状態にあったと言える。

2000年代: 巨大知成立

2000年から2004年までの間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTubeを筆頭とする動画配信サイトやTwitterfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインターネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能であったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。

例えば、Wikiの登場により、広範な分野の知識が共有されるようになった。また、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加することが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるようになった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行われる創作の連鎖が毎日のように起こり、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化が起きるようになった。

2010年代以降: 巨大知の発展

2010年以降は、急激に向上した計算機の性能を活かし、インターネット上に蓄積されたビッグデータの解析により様々な知識の抽出を行うことが一般化した。その知識を利用して、学術研究やビジネスを行うことが可能になった。

巨大知の成立から10年程度経過した2015年以降も、インターネット上への知識の蓄積と通信技術の進歩に伴い、巨大知の更なる高度化が進行中である。2010年代中盤においてはIoTの普及が進行している。インターネットを対象とする研究者らは、今後はセンサーにより収集された実世界に関する精緻な情報をインターネット上で統合処理できるようになると予測している。

機構

批評

西垣通

2013年中公新書から出版された日本情報学者である西垣通氏が執筆した著書『集合知とは何か -ネット時代の「知」のゆくえ-』において、集合知の特性や機構に関する哲学・思想的な側面からの深い考察が行われており、集合知の無闇な礼賛が批判されている。氏は著書の中で、Googleが実行しようとしている集合知を利用して汎用人工知能を作成する試みは、日本の研究者が過去に遂行したものの実用的では無かった第五世代コンピュータの開発の試みとそれほど違わないと述べている。氏は未知の事柄について人々の間に集団的偏見がなく、あくまで中立的にランダムな判断をするという仮定が成立する場合にのみ、集合知が有効であるとの見方を示している。また、人間の思考の閉鎖性(オートポイエーシス)から生まれる自律性を考慮せず、個人を集合知から導いた結論へ無理に誘導した場合には、常に情報処理機械めいた開放システム(アロポイエーシス)のように思考を外部に開放することで他律性を強要される抑圧的な管理社会が到来すると予想している。さらに、人間の自律性を維持したまま集合知を活用するために、社会に階層構造(著書内ではHierarchical Autonomous Communication System (HACS)と呼称)を設け各階層内の閉鎖性を維持し、下位階層内の暗黙知や感性的な深層を掬い上げて上位階層に上げ、広く共有する方法を模索すべきとの提案も行っている。氏の用いる集合知という語は本記事の巨大知の概念も含んでいる。

参考文献

関連項目