稲葉篤紀
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稲葉篤紀(いなば あつのり 1972年8月3日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する平成期(1990年代後半-)のプロ野球選手。かつてはヤクルトスワローズにも所属していた。
来歴・人物
愛知県西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)出身。左投げ左打ち。ポジションは外野手で、主に右翼手や中堅手、稀に一塁手として出場。強肩の外野守備には定評がある。
略歴
- 中京高校(現・中京大附属中京高校)から法政大学を経て、1994年のドラフト3位でヤクルトに入団。背番号は41。
- 1995年6月21日の広島戦で、紀藤真琴からプロ初打席初本塁打。
- 1996年、初の打率3割を達成。
- 1997年、日本シリーズで大活躍。優秀選手賞を獲得して、日本一に貢献した。
- 2001年、打率.311、25本塁打、90打点と自己最高の成績で三番打者として活躍し、チームのリーグ優勝・日本一に貢献。ベストナイン獲得。
- 2003年、7月1日の横浜戦でサイクルヒット達成。5回まででの達成は史上初の快挙。ちなみに、村松有人(当時ダイエー、現在はオリックス)もこの日にサイクル安打を達成した。同じ日に複数選手がサイクルヒットを記録したのも史上初の出来事であった。
- 2004年オフにFA宣言。
- 2005年、アメリカメジャーリーグ移籍を希望していたが断念し、ヤクルトを退団して日本ハムに移籍。背番号は58。FAによってセ・リーグからパ・リーグに移籍したのは、仲田幸司(阪神→ロッテ)以来9年ぶりの事。
- 2006年、背番号を58からヤクルト時代と同じ41に変更した。
背番号
獲得タイトル
- ベストナイン(外野手) 1回(2001年)
通算成績(2005年シーズン終了時点)
- 1150試合 打率.282(3840打数1084安打) 137本塁打 491打点 49盗塁
エピソード
- ヤクルトの野村克也監督が、息子の野村克則(当時、明治大学在学中)目当てで東京六大学野球を観戦した際に、法政大の稲葉のプレーが目に止まり「是非稲葉が欲しい」と獲得に至ったというエピソードがある。
- 但し、仮に同年のドラフト会議でヤクルトが稲葉を指名しなかったとしても、中日が下位で指名する予定だったという話もある(真偽は不明)。