涙の浪曲劇場
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涙の浪曲劇場 ↓ 二葉百合子浪曲劇場 | |
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![]() 番組の公開収録が行われた浅草・木馬亭 (2014年の写真) | |
ジャンル | 演芸番組 |
出演者 |
二葉百合子 玉川良一 |
製作 | |
制作 | 東京12チャンネル |
放送 | |
放送国・地域 | ![]() |
涙の浪曲劇場 | |
放送期間 | 1976年4月3日 - 1977年6月18日 |
放送時間 | 土曜 20:00 - 20:54(54分) 土曜 19:30 - 20:54(84分) 土曜 20:00 - 20:54 |
放送分 | 54分 |
二葉百合子浪曲劇場 | |
放送期間 | 1977年7月3日 - 1977年9月25日 |
放送時間 | 日曜 22:00 - 22:30 |
放送分 | 30分 |
『涙の浪曲劇場』(なみだのろうきょくげきじょう)は、1976年4月3日から1977年9月25日まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送された演芸番組である。1977年7月3日放送分からは、『二葉百合子浪曲劇場』(ふたばゆりころうきょくげきじょう)と題して放送された。
概要
テレビで始めて本格的に浪曲を取り上げた番組で、浅草・木馬亭から中継録画で放送を行っていた。司会は浪曲界の女王・二葉百合子と浪曲出身で芸達者な玉川良一が務め、毎回第一級の曲師と浪曲をこよなく愛するゲストが出演していた[1]。
「岸壁の母」でブレイクした二葉人気によって脚光を浴びた浪曲番組であった。
放送時間
いずれもJST。
涙の浪曲劇場
- 土曜 20:00 - 20:54 (1976年4月3日 - 1977年6月18日) - 1976年10月6日[要検証 ]から1977年1月29日までの間は、19:30 - 20:54に拡大して放送されていた。
二葉百合子浪曲劇場
- 日曜 22:00 - 22:30 (1977年7月3日 - 1977年9月25日)
司会
主なゲスト
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
脚注
- ^ 1976年4月3日付の「下野新聞」ラジオ・テレビ欄より要約。
- ^ ““あの日”のテレビ欄 昭和51年(1976年)4月17日”. まだある。昭和ナビ. 2015年9月30日閲覧。
- ^ “藤圭子”. OTONANO. ソニー・ミュージックダイレクト. 2015年9月30日閲覧。
- ^ ““あの日”のテレビ欄 昭和51年(1976年)10月9日”. まだある。昭和ナビ. 2015年9月30日閲覧。
関連項目
東京12チャンネル 土曜19時台後半枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
涙の浪曲劇場
(1976年10月 - 1977年1月) 【30分拡大して継続】 |
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東京12チャンネル 土曜20時台 | ||
涙の浪曲劇場
(1976年4月 - 1977年6月) |
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東京12チャンネル 日曜22時台前半枠 | ||
二葉百合子浪曲劇場
(1977年7月 - 1977年9月) |