新日本キックボクシング協会
略称 | SNKA |
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設立 | 1983年 |
種類 | 任意団体 |
目的 | キックボクシングの試合主催 |
本部 |
日本 東京都渋谷区代官山町7-8 |
ウェブサイト | 新日本キックボクシング協会 |
新日本キックボクシング協会(しんにほんキックボクシングきょうかい、Shin Nihon Kickboxing Association)は、日本のキックボクシングの団体である。現在の代表は伊原信一。略称SNKA。
歴史
1983年、日本キックボクシング協会から伊原道場が独立して「新日本キックボクシング協会」として設立。
1984年に日本キックボクシング連盟に統合されるが、1990年代後半に再び伊原が独立し、(キックボクシング創始者野口修が設立した藤本勲がチーフトレーナーで伊原の古巣でもある)目黒ジム筆頭に長江国政率いる治政館や(清水健太郎の身元引受人)小泉猛率いる市原ジムやトーエルをはじめとするグループが遺恨・確執持って離脱しマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟離脱したグループと合流。修より承認を得て「日本キックボクシング協会」を名乗り、1996年5月25日藤本の愛弟子小野寺力が初代フェザー級王座決定戦制す。1997年K-1 JAPANフェザー級GP'97に小野寺は出場拒否し伊原の愛弟子ヤマノウチスグルが出場。1998年には「新日本キックボクシング協会」に変更し現在に至る。
基本的に他団体との交流は行なっていない。
また、「打倒ムエタイ」を掲げ1999年より5年間タイで興行を行なっていた。
2003年、日本プロスポーツ協会に正式加盟。
2004年より「TITANS」と女子のみの「ANGEL'S」も開始。
MAとの数少ない交流が、97年K-1 JAPANフェザー級GPでMA代表佐藤堅一(士道館)が準決勝・初戦でヤマノウチスグル(伊原)破り決勝で惜敗し準優勝。
MAに1997年夏に加盟し2003年12月脱退した八木沼広政率いるビクトリーは新日本キック移籍
体重別階級
ルール
- リングは5.5m〜7m四方でロープは4本。
- 基本3分3ラウンドまたは5ラウンド。
- ただし、デビュー戦から3勝までは2ラウンドとなる。
- 王座決定戦に限りラウンド・マスト・システムの延長戦を採用。
- パンチ、キック、バックハンドブロー、肘打ち、膝蹴りが有効。
- 3ノックダウン制。
- ノックダウンした選手は最終ラウンドを除きゴングに救われない。
上記はあくまで団体が定める基本ルールであり、興行内では他にムエタイルール、ヨーロッパルール(肘打ち・顔面膝禁止)なども行なわれている。