上信電気鉄道デキ1形電気機関車
上信電鉄デキ1形電気機関車(じょうしんでんてつデキ1がたでんききかんしゃ)は、上信電鉄に在籍する電気機関車である。
概要
1924年(大正13年)、当時の上信電気鉄道が改軌・電化した際に、ドイツのシーメンスシュケルト社から購入した。小型の凸型機で機械部分の製造者はM.A.N社。価格は当時で36,990円。
3両(デキ1・デキ2・デキ3)が導入され貨物列車牽引に長年使用されていた。貨物輸送全盛期には、石炭や薪炭、木材、繭、こんにゃく等々の輸送に用いられていた。昼時に運行することが多く、沿線住民からは「オメシレッシャ」と呼ばれて親しまれていたが、1994年(平成6年)9月23日の貨物輸送廃止に伴いデキ2が廃車された[1]。デキ1とデキ3は貨物輸送廃止後も車籍を有するが、定期運用はなく、工事列車や臨時列車などに使用されることがある。
砂箱の撤去と前照灯位置の変更、パンタグラフの交換、およびATS関連装備の搭載がなされているが、外観に関しては大正年間の輸入当時と比べても大きな改変はほとんどない。
2007年(平成19年)3月12日、下仁田 - 南蛇井間で線路沈下が原因と見られる脱線事故が発生し、その際に受けた損傷が原因でながらく補修待ちとなっていたが、2011年度の群馬デスティネーションキャンペーンに向けた修復が2010年末から行われ、2011年4月に完了した。
1986年(昭和61年)にはエバーグリーン賞(鉄道友の会)を受賞、鉄道ファンの間では「上州のシーラカンス」の異名をとる。
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デキ1
(2006年12月2日) -
デキ3の側面
(2009年11月8日) -
デキ3の側面に取り付けられている製造銘板。シーメンス社のシリアルナンバーが記載されている
(2009年11月8日) -
デキ1と3の側面。ボンネット側面の点検扉の有無の違いがある。
(2006年12月2日)
本形式導入の経緯について
大正から昭和初期にかけての日本の各鉄道会社では、英米製の電気機関車や設備が主流だったが、上信電鉄ではドイツ製が多かった。第一次大戦の戦時賠償として、ドイツから日本へ優秀な鉄道機材、設備が譲渡されることになったが、群馬県出身の政治家桜井伊兵衛の運動により、上信電鉄はそれらの多くを譲り受けることができたからである。譲渡が円滑に進んだ裏には、当時滞独中であった井上工業の井上房一郎による仲介と、シーメンス社による日本市場開拓という目論見もあった。こうした流れの中、福島変電所の回転変流機など主要電気機器はドイツに発注され、本形式もまた同様に輸入されることとなった[2]。
主要諸元
- 全長:9,180mm
- 全幅:2,657mm
- 全高:3,874mm
- 運転整備重量:34.54t
- 電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)
- 軸配置:B-B
- 台車形式:板台枠
- 主電動機:DJ11B形 (50kW) ×4基
- 歯車比:16:77=1:4.81
- 1時間定格出力:200kW
- 1時間定格引張力:3,084kg
- 1時間定格速度:23.3km/h
- 動力伝達方式:歯車1段減速、吊り掛け式
- 制御方式:重連総括制御、抵抗制御、直並列2段組合せ制御
- 制御装置:電磁接触器式
- ブレーキ方式:空気ブレーキ、手ブレーキ