川﨑宗則
川﨑宗則(かわさきむねのり、1981年6月3日 - )は鹿児島県姶良郡姶良町生まれのプロ野球選手。福岡ソフトバンクホークスの内野手(遊撃手)。右投左打。
来歴・人物
勝負強いシュアなバッティングが持ち味。甘いマスクで女性などからの人気が高い。背番号は52。
2001年はウエスタン・リーグで規定打席不足ながら打率3割をマーク、翌2002年にも規定打席不足ながら打率.367をマーク。認定でウエスタン・リーグの首位打者となり、インターコンチネンタル杯の日本代表にも選出された。
2003年、小久保裕紀(現・読売ジャイアンツ)や鳥越裕介の故障により2番ショートで開幕スタメンに抜擢される。鳥越のレギュラー復帰後はサードにまわり、打率.294 2HR 51打点 33盗塁の成績を残した。
2004年は鳥越からショートのレギュラーを奪取。走攻守全てに成長を見せて自身初の全試合出場と打率3割を達成、最多安打・盗塁王・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得するなど大きく飛躍した。チームはその活躍から、背番号8を用意していたものの、本人は重たい52をずっと背負っていくつもりらしい。
2006年、WBC日本代表に選出され、9番遊撃手として勝利に貢献。
略歴
- 身長・体重 1m79cm、73kg
- 投打 右/左
- 出身地 鹿児島県姶良郡姶良町
- 血液型 O
- 球歴・入団経緯 鹿児島工高-ダイエー・ソフトバンク(00 - )
- プロ入り年度・ドラフト順位 1999年(4位)
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 優勝に貢献。金メダルを獲得。
年度別打撃成績
(表中の太字は年度リーグ最多記録)
年度 | 所属球団 | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
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2000年 | 福岡ダイエー | 52 | 一軍出場なし | |||||||||
2001年 | 福岡ダイエー | 52 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 |
2002年 | 福岡ダイエー | 52 | 36 | 112 | 13 | 26 | 4 | 5 | 0 | 8 | 3 | .232 |
2003年 | 福岡ダイエー | 52 | 133 | 493 | 78 | 145 | 17 | 9 | 2 | 51 | 30 | .294 |
2004年 | 福岡ダイエー | 52 | 133 | 564 | 87 | 171 | 19 | 8 | 4 | 45 | 42 | .303 |
2005年 | 福岡ソフトバンク | 52 | 102 | 399 | 53 | 108 | 12 | 3 | 4 | 36 | 21 | .271 |
通算 | 405 | 1572 | 232 | 450 | 52 | 25 | 10 | 141 | 96 | .286 |
タイトル
- 盗塁王 1回(2004年)
- 最多安打 1回(2004年)
- ベストナイン 1回(2004年)
- ゴールデングラブ賞 1回(2004年)
神の右手とその代償
WBC決勝のキューバ戦で初めて1番打者に抜擢されたが、この試合でのプレーが注目を集めることとなった。序盤戦、打撃面では出塁こそできないものの、4回にセンターへ抜けようかという当たりを好捕してアウトにするという美技を見せた。しかし、6回に1つ目のエラーを犯し、それをきっかけにキューバが2点を返すこととなってしまった。そのほかにも失点に繋がらないエラーや、ダブルプレーとなったものの、捕球しそこなうシーンが見られるなど極度の緊張が窺えた。その後さらに1点差に追いつかれ、追加点が望まれた9回表、一塁にランナーを置いて送りバントを試みるものの、三塁手の好守により金城は二塁封殺となってしまう。しかし、上述のエラーの後川﨑を手荒くねぎらっていた西岡剛の絶妙なプッシュバントで二塁に進み、続くイチローのライト前ヒットで二塁からホームへ一気に生還しようとした際、ペスタノ捕手のブロックのわずかなすき間から右手をねじ込んで生還した。これが「神の右手」(ちなみにこの言葉を使ったのは、日本テレビアナウンサーの船越雅史である)として話題になったが、この代償として右ひじを痛めてしまい、この年のパ・リーグ公式戦初出場は4月21日のオリックス・バファローズ戦(スカイマーク)となった。