コンテンツにスキップ

荒祭宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。こぐ (会話 | 投稿記録) による 2016年2月6日 (土) 08:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (参考文献1冊追加、国立国会図書館デジタルコレクション資料追加、出典・脚注を補足)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

荒祭宮
所在地 三重県伊勢市宇治館町
位置 北緯34度27分22秒 東経136度43分30秒 / 北緯34.45611度 東経136.72500度 / 34.45611; 136.72500 (荒祭宮)座標: 北緯34度27分22秒 東経136度43分30秒 / 北緯34.45611度 東経136.72500度 / 34.45611; 136.72500 (荒祭宮)
主祭神 天照大神荒魂
社格 式内社
皇大神宮別宮
創建 804年以前
本殿の様式 神明造
地図
荒祭宮の位置(三重県内)
荒祭宮
荒祭宮
テンプレートを表示

荒祭宮(あらまつりのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である[1]祭神天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)[1]

第62回神宮式年遷宮2013年)では、他の別宮に先駆けて10月10日午後8時に遷御が行われた[2]

概要

荒祭宮は内宮正宮北方にある[3][4]。 別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる[5][4]。 荒祭宮を「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説である[6][7]。 『神宮雑例集』によると、創建は垂仁天皇26年10月であり、内宮の正殿と同時に建てられたという[3]

踏まぬ石

天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は境外に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)があるが、荒祭宮は内宮に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮風日祈宮倭姫宮と、あわせて10ある別宮の中で第1位とされる[8]。他の別宮よりも社殿が大きく、神御衣祭(かんみそさい)は外宮(豊受大神宮)では行わないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる。

荒祭宮遥拝所

内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める外幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段には4つに割れ「」の字のように見える石がある。この石は踏まぬ石と呼ばれ、避けて通らなければならないとされる。踏まぬ石は天から降って来たと伝えられるが定かではない。

荒祭宮に参拝できない場合のため、荒祭宮遥拝所が設けられている[9]。籾種石の近くに石畳の上に位置する。


祭神

天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)[1]天照大神荒魂である[10]神体である[3]804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』において、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、また、927年(延長5年)成立の『延喜式』において、「荒祭宮一座 大神の荒魂」と記載されている。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫八十禍津日神を記している。  

祭事

皇大神宮に準じた祭事が行われ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等である[11]。祈年祭、月次祭、神嘗祭新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行する[4]。また、神宮式年遷宮の際は、内宮別宮のうちでは荒祭宮だけが正宮とほぼ同時期に遷宮を行う。なお、外宮別宮も本宮の荒魂を祀る多賀宮だけが同様の扱いを受けている。

社殿

遷宮直前に新旧の社殿が並んでいる

荒祭宮の社殿は内宮に準じ内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は、東西に隣接している。幅6.42m(行2丈1尺2寸)、奥行4.24m(妻1丈4尺)、高さ4.48m(1丈4尺8寸)と、他の別宮よりも大きく定められている。

1936年(昭和11年)には荒祭宮社殿にコウモリが巣食って遷座を余儀なくされ、二・二六事件(同年2月26日)など凶事続きのため荒祭宮に参拝しようとしていた高松宮宣仁親王(海軍軍人、昭和天皇実弟)は「世にもおそろしく覚えたり」と著述している[7]

交通

脚注

  1. ^ a b c #神宮便覧(大正14)p.30『(宮名)あらまつりのみや|(祭神)天照坐皇大御神荒御魂|(宮號宣下年月及鎮坐地)垂仁天皇二十六年九月皇大神宮域内』
  2. ^ “内宮別宮で遷御の儀”. 読売新聞. (2013年10月11日). オリジナルの2013年10月15日時点におけるアーカイブ。. http://megalodon.jp/2013-1015-0127-42/www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20131011-OYT8T00088.htm 2013年10月15日閲覧。 
  3. ^ a b c 三橋(2013):104ページ
  4. ^ a b c #伊勢年鑑(昭和17)p.22『荒祭宮 荒祭宮は皇大神宮の北方神域内にあつて、天照坐皇大御神の荒御魂を奉斎する皇大神宮第一の別宮で、恒例、臨時の祭祀も亦本宮に引續きて執行せられ、勅使参内の祭典には勅使亦参内して官幣を奉納せらる。五月・十月兩度の神御衣祭の如きは皇大神宮と當宮に限りて行はれる。又神殿の構造・御装束神寶に至る迄本宮に亞いで最も完備して居る。當宮の創立は垂仁天皇二十六年倭姫命神宮を經營せられた時にかゝる。』
  5. ^ #神宮便覧(大正14)p.25『概要 別宮トハ本宮ニ對シテ稱ヘ奉ル稱號ニシテ、神宮ノ格式上本宮ニ亞ギテ崇敬セラルヽ宮社ナリ。皇大神宮所属ノ別宮十所、豊受大神宮所属ノ別宮四所アリ。就中荒祭宮ハ皇大神ノ荒御魂ヲ奉齋シ、多賀宮ハ豊受大神ノ荒御魂ヲ齋キ奉レルヲ以テ特ニ之ヲ重ンジ、本宮ト同日ニ祭儀ヲ行ハレ且ツ直視モ参列セラル。瀧祭神ハ古來別宮ニ準シテ神饌ヲ供進シ奉レルニ依リ本項末ニ加フ。』
  6. ^ #伊勢参宮案内p.30『荒祭宮(あらまつりのみや) 大神様の荒御魂(あらみたま)、正殿の後方の丘にある。』
  7. ^ a b #高松宮日記2巻400頁『九月十七日〇八〇〇出艦。〇八二五ノ予定ガ〇八三五上陸。伊勢両宮に参拝。時節柄、特に荒祭宮に拝せむかと心構へしてゐたるも、入港して見たる新聞に遷坐、宮の屋根を修復する由の記事ありしかば、話しもせずおきたる旨慶光院に語り〔し〕ところ、まことにおそれある事なりき、表むきはお屋根修理なるも実はお屋根は大していたみたることにあらず、のきの一隅の穴よりコウモリ宮の中に入りて人知らぬ間に巣をつくり三十匹にも余りて汚し居たる様子なりと。二・二六事件にしても、その他の荒々しき曲事のシキリにあることに思ひ合せて、此度は荒みたまに拝せむと秘かに思ひたる心付きに引きかへて、また神秘なる感深きものあり。速かに神主たちが心からみたまつりをすることこそ、かくなりし上は望ましき限りなり。世にもおそろしくおぼへたり。(以下略)』
  8. ^ 三橋(2013):104 - 105ページ
  9. ^ #神宮摂末社巡拝下p.14『荒祭宮遥拝所 忌火屋殿前庭の右の注連縄の張つてある外側で、荒祭宮に岐れる参道の入口の所を荒祭宮の遥拝所とする。皇大神宮御正殿を拝し終りて退下するもので、荒祭宮まで参らずして、歸るものは、こゝから同宮の方に向つて遥拝する所である。注連縄の中に、神官の石壺の座が見られる。』
  10. ^ #神宮摂末社巡拝下pp.17-18『荒祭宮 板垣北御門を退下して、御門の前の石階を北へ下ると、荒祭宮の御社殿を拝することが出来る。皇大神宮に相次ぐ第一の別宮で、天照坐皇大御神荒神魂(あまてらしますおほかみのあらみたま)を御祭り申上げてゐる。荒御魂(あらみたま)といふのは、神の御魂が力強く顕現活動する御力を指したもので、平和な状態にある御魂を和魂(にぎみたま)と稱するのに對してふ御言葉である。主として戦争とか、何か大事變の場合に、天照大神が、この國家を守護し給ふために、特別の御神威を現はし給ふ御神徳に對して、名付け奉つたものである。昔神功皇后の三韓征伐のとき、皇軍を守り給ふて、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と、その御名を現はしたるが如き、又源平合戦のとき、内裏に神劍を奉納したるが如きは、何れも當宮の神慮に由るものであつた。 昔から天照大神の御神徳を仰がんとする特別の祈願のものは、こゝ荒祭宮に参つて祈るものが多かつたといふのは、偏へにこの宮が力強い御魂を祭つてゐることに由るものである。』
  11. ^ 三橋(2013):105ページ

参考文献

  • 『お伊勢まいり』(発行:伊勢神宮崇敬会)
  • 桜井勝之進『伊勢の大神の宮』堀書店、昭和48年3月25日発行
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第二巻 昭和八年年一月一日~昭和十二年九月二十六日』中央公論社、1995年6月。ISBN 4-12-403392-3 
  • 三橋健『伊勢神宮 日本人は何を祈ってきたのか』朝日新書416、朝日新聞出版、2013年8月30日、230p. ISBN 978-4-02-273516-4
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
  • 伊勢新聞社編『伊勢年鑑.昭和17年』伊勢新聞社、1941年10月。 
  • 猿田彦神社講本部編『神宮摂末社巡拝. 下』猿田彦神社講本部、1943年5月。 
  • 神宮司庁編『神宮便覧』中央公論社、1925年3月。 
  • 神宮司庁編『神宮便覧』中央公論社、1928年10月。 
  • 神宮司庁編『大神宮叢書. 第3 後篇』西濃印刷岐阜支店、1936年11月。 
  • 日本旅行協會編纂『伊勢参宮案内』日本旅行協会、1930年2月。 


関連項目

外部リンク