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VK4501(P)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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VK4501 (P)[1]
ファイル:Tiger(P).jpg
試験中のVK4501(P)
性能諸元
全長 9,34 m
車体長 6,7 m
全幅 3,14 m
全高 2,8 m
重量 57~59 t(戦闘重量)
懸架方式 トーションバー方式(縦置き)
速度 35 km/h(整地)
行動距離 80km(整地)
主砲 56口径8.8cmKwK36
(弾薬70発搭載)
副武装 7.92mm MG34 × 2
装甲 前面100 mm
側面80 mm 後面80mm
エンジン ポルシェ101/1
V型10気筒空冷ガソリン×2基
ジーメンス・シュッケルト aGV発電機 1基/D1495a 電動機×2基
320 馬力× 2(エンジン)
500 VA(発電機)/230 kW (312.7 馬力)(電動機)× 2
乗員 5 名
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VK4501 (P)、またはVI号戦車ティーガー (P)は、第二次世界大戦中のドイツで開発された戦車である。俗にポルシェティーガー(Porsche Tiger)とも呼ばれる。

概要

ティーガーI は二種類の試作を経て制式採用された経緯を持つ。採用されなかった試作車両が本車である。設計はフェルディナント・ポルシェによる。

1941年5月26日、ヒトラーの山荘の会議にて、強力な戦車を配備する必要が指摘された[2]。この戦車の試作はポルシェ社とヘンシェル社の競作になり、1942年4月20日、ヒトラーの査閲と面前での直進走行試験が行われた[3]。ヘンシェル社の車輛はヒトラーとゲーリングから冷遇されたが、性能的にはポルシェ社の車輛を凌駕していた。ポルシェの車輛は信地旋回ができず、無理な走行で大地に埋まりこんだのである。1942年の7月27日にはクンマースドルフにおいて比較テストがおこなわれ、本車は要求項目を満たさなかった。その後の試験でもサスペンション、エンジンの過熱などの欠点が取り除かれず、ヘンシェル社の車輛がVI号戦車ティーガーI として量産された。

試験に不合格となったが、ポルシェ博士は採用を確信しており、合否を待たずして量産発注に入っていた。このため、既に生産された車体装甲板が相当数あった。これらの車体は突撃砲に改造され、最終的に90輌のティーガー(P)戦車駆逐車(フェルディナント)が生産された。

構造

VK4501(P) 側面図

本車は車体と砲塔から構成される。車体はIV号戦車の守旧的な構造を引き継ぎ、T-34のような傾斜装甲や曲面化された装甲形状を持たない。運転手席と無線手席の前面はほぼ垂直に立っており、車体・砲塔の前側面も避弾経始の見られない垂直構成である。ただし単純な四角の箱型でなく、角に当たる部分は装甲板が面取りのように当てられており、全体的には八角である。砲塔も筒状であった。

戦訓により車体と砲塔前面は100mmの装甲が施され、側面、後面も80mmの装甲が施された。後方から見て車体前部右側に前方機銃が設けられた。これは無線手が操作した。左側には操縦手が搭乗した。無線手席、運転席の天井にハッチを作る余裕がないため、側面装甲を円形にくりぬき、ハッチが設けられた。ハッチの厚みは80mmである。これを開閉する実用性と耐弾能力に難があり、後に溶接、廃止されている。製作はニーベルンゲン製作所で行われた[4]

本車の大重量から、ポルシェ博士は機械式操向装置の信頼性を危ぶんでおり、ガソリンエンジンと電気モーターによる駆動を試みた。これは空冷ガソリンエンジン2基によって直流発電機を回し、その電力で電気モーターを駆動させることによって走行する電気駆動である。

この方式(ガス・エレクトリック方式)であれば、変速や操向の際のギアの入れ替え、複雑なステアリング装置が全て省略でき、かわりに電力の流量を調節するだけで無段階変速や操向が可能になる。しかし、ただでさえこのクラスの重戦車には巨大なエンジンが必要になるのにもかかわらず、エンジンに加え大型大重量の発電機とモーターが必要となり、車体中央にエンジンを並列に配置、後部に2機のモーターを横置きとし、この総体1.5tの機関を収めた結果、車体の後ろ半分はまるごと機関室となった。このため砲塔は車体上面の前寄りに配置されている。走行装置が車体後部に全て収められており、機構上従来の戦車のように車体前部へドライブシャフトを引き回して変速装置を配置する必要がないため、本車は後輪駆動である。

しかし搭載した空冷エンジンは開発当初から問題を抱えており、電動式の魚雷のものを流用したモーターは車重に比して発揮できる出力とトルクが不足していた。このため、発電能力の不足やエンジン過熱によって頻繁に故障し、開発中の不整地走行ではVK3001(P)から有線にて電力を供給されて動く有様であった[5]。この他、発電機による電磁的なノイズがひどく、無線通信が難しかった。

しかし、既に生産されていた車体を流用したエレファント重駆逐戦車を運用した部隊からは、ギアチェンジが無用である点において操縦性の評価は悪くなく、また変速機に関するトラブルが少なくなったと報告しており、大戦中のドイツ戦車でよく問題となった変速機のトラブルが解消ないし軽減する点ではポルシェ博士の方向性が間違っているとは言い切れない。

砲塔はヘンシェル社製のティーガーI にも流用され、改修ののち搭載された。装甲厚みは前面100mm、側面80mmである。砲塔上面は全体的に平滑だが、中央部に砲俯角時のクリアランスをとるための張り出しがある。後方から見て左に車長席があり、天井に100mm厚の装甲で構成されるキューポラが設けられていた。ポルシェ社は搭載砲に8.8cm砲を予定し、高射砲を改良転用した。これは後の56口径8.8cm KwK36となった。正面から見て砲塔左側に同軸機銃を備える。

走行装置にもポルシェ博士の独創が発揮された。トーションバーを床下に配置せず、縦置きとして車外に装備した。トーションバーと転輪二枚を一つのユニットとし、車体両側にユニットを3組装着した。この揺動台車式転輪ユニットは、横置きに比べ省スペースであり、工程を省き、全高を低く抑え、床下にハッチを設けることができた。この形式は本車のシャーシを流用したエレファント重駆逐戦車、またヤークトティーガーの一部車輛にも用いられている。しかし、トーションバーが短い縦置き式はその弾性が乏しいため、繰り返しの加重で劣化しやすく、大重量を受けて働く装置としては不具合が多かった。ヤークトティーガーに装備したものには破断や低速走行時の履帯の脈動による振動が見られた。エレファントでは戦車型より重量が大きくなったため足回り部品の消耗が早まり、頻繁な部品交換が必要となった。

履帯は片側109枚をシングルピンでつなぎ合わせた方式である[1]。履板は幅640mmの鉄の塊であり[1]、連結は重労働であった。大重量のため、履帯にかかる荷重が不均一だとこのピンを破断したり、履帯が屈曲するケースが多く、高い負荷のかかる旋回や急旋回は履帯の逸脱を招き、故障に直結した。また、履板中央の噛み合い突起(英語では「センターガイド」と呼ばれる)が全枚にある構成のため、この突起間に石を始めとした異物を巻き込むことが多く、これも履帯の破損を多発させる要因になった。このため、駆逐戦車型と実戦投入型では突起は一枚おきに改修されている。

実戦投入

第653重駆逐戦車大隊において、数輌が指揮戦車として配備され、大隊本部に所属する指揮官グループが搭乗した。この際車体前面にフェルディナント/エレファントと同じく100mm増加装甲板がボルト留めされ、砲塔は量産型ティーガーI に搭載された、形状が改修されたものに換装された。問題のあった空冷エンジンも同様にマイバッハ製水冷式ガソリンエンジンに換装され、強化されていた。

登場作品

出典

  1. ^ a b c 『ティーガー戦車』付録9、「VI号戦車ティーガー(P)VK4501(P)」の諸元」244頁。
  2. ^ 『ティーガー戦車』、「新型戦車開発計画」28頁。
  3. ^ 『ティーガー戦車』、「ヘンシェル vs ポルシェ比較審查」92頁。
  4. ^ 『ティーガー戦車』、「VK4501 (P)戦車」29頁。
  5. ^ 『ティーガー戦車』、「VK4501 (P)戦車」35頁。

参考文献