アチーレ・エマナ
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名前 | ||||||
本名 |
アシール・エマナ・エザンビ Achille Emaná Edzimbi | |||||
カタカナ | アシール・エマナ | |||||
ラテン文字 | Achille EMANÁ | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | カメルーン | |||||
生年月日 | 1982年6月5日(42歳) | |||||
出身地 | ヤウンデ | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジムナスティック・タラゴナ | |||||
ポジション | MF (OMF) | |||||
背番号 | 25 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-1999 | ババンビ・ドゥアラ | |||||
1999-2000 | バレンシア | |||||
2000-2001 | トゥールーズ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2008 | トゥールーズ | 231 | (28) | |||
2008-2011 | ベティス | 91 | (34) | |||
2011-2012 | アル・ヒラル | 11 | (4) | |||
2012 | → アル・アハリ (loan) | 11 | (2) | |||
2012-2013 | アル・アハリ | 12 | (4) | |||
2013 | アル・ワスル | 11 | (3) | |||
2013-2015 | クルス・アスル | 15 | (1) | |||
2015 | → アトランテ (loan) | 9 | (0) | |||
2015- | ジムナスティック | 33 | (8) | |||
代表歴2 | ||||||
2003- | カメルーン | 42 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月2日現在。 2. 2014年4月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アシール・エマナ(Achille Emaná Edzimbi, 1982年6月5日 - )は、カメルーン・ヤウンデ出身の同国代表サッカー選手。ジムナスティック・タラゴナ所属。ポジションはMF(攻撃的ミッドフィールダー)。カメルーン代表ではしばしばウイングとして起用される。
父親もカメルーン代表経験のあるサッカー選手だった[1]。
経歴
クラブ
トゥールーズFC
1999-2000シーズンはバレンシアCFのカンテラに所属し、2000-01シーズンからトゥールーズFCのユースに在籍した。翌2001年の19歳の時に3部を戦うトゥールーズのトップチームに引き上げられプロデビューを果たすと、すぐに攻撃的ミッドフィールダーのポジションを獲得し、僅か2年でリーグ・アンへ昇格することに貢献した。リーグ・アンの舞台でも変わらず活躍していたことから、2005年にはマイケル・エッシェンの後釜を探していたオリンピック・リヨンやオリンピック・マルセイユなど同リーグの強豪が獲得に動いていると報じられた[2] [3]。そんな中でチームに留まるを決心したエマナは、2006-07シーズンに36試合8得点を記録し、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ 2007-08予選出場権獲得となる3位躍進の原動力として活躍した。
2007年にはイングランドのポーツマスFCへの移籍に強く傾いた[3]が、労働許可証を取得できなかったため[4]、トゥールーズと2010年までの契約延長を果たした[5]。しかし、このシーズンのチームは、前シーズンと打って変わりリーグ・ドゥ降格まで僅か2ポイントの17位と非常に厳しいものだった。シーズン終了後の2008年春にはイングランドのウェストハム・ユナイテッドFC, ニューカッスル・ユナイテッドFC[6]、スペインのセビージャFC[7]から関心を示された。2001年から2008年までの7シーズンの在籍で226試合28得点を記録した。
レアル・ベティス
2008年6月11日にスペインのレアル・ベティスとトゥールーズがエマナの移籍に関し交渉していることが報じられた。トゥールーズ側はベティスからの入札を2度拒否したにもかかわらず、エマナ自身はキャリアアップのため移籍を熱望[8]し、7月22日に移籍金700万ユーロの5年契約でついに移籍を果たした[9]。同年10月19日のRCDマジョルカ戦(ホーム3-0)で移籍後初得点と初アシストを決めると、2009年4月中旬にはラシン・サンタンデール戦(アウェー3-2), スポルティング・ヒホン戦(ホーム2-0)でそれぞれ2得点を決め、最終的に移籍1年目にチーム最多の11得点7アシストを記録したが、最終節に降格圏の18位となりセグンダ・ディビシオン降格となった。
その活躍からブラックバーン・ローヴァーズFC、バーミンガム・シティFC、ボルトン・ワンダラーズFC、レンジャーズFCと様々なクラブが興味を示したが、ベティスに残留することを決意し、2009-10シーズンはチーム2位の10得点を挙げてチームを牽引した。チームは最終節まで昇格争いを続けており、エマナ自身もクラブのために代表合流を遅らせることを望んでいたが[10]、結局2010 FIFAワールドカップに出場するためにシーズン終了を待たずにカメルーン代表に合流した。このシーズンは昇格を逃したものの、翌2010-11シーズンはルベン・カストロ、ホルヘ・モリーナと共に攻撃を司り、3人だけで総得点の半分以上の50得点以上を叩きだし首位でプリメーラ・ディビシオンの舞台に復帰した。
ベティス退団後
2011年8月7日にサウジアラビアのアル・ヒラルへ移籍した[11]。
2015年8月2日、リーガMXのクルス・アスルからセグンダ・ディビシオンのジムナスティック・タラゴナに移籍した[12]。
代表
カメルーン代表に2003年に初招集され、同年のFIFAコンフェデレーションズカップ2003で準優勝を経験するも、この大会ではチームメイトのマルク・ヴィヴィアン・フォエが試合中に倒れて亡くなるという悲劇を経験した。
アフリカネイションズカップ2006では準々決勝まで駒を進めたが、コートジボワール戦で11-12のPK戦末に惜しくも敗退した。2007年下旬にチームからの扱いに不満を持ち代表引退を表明した[13]が、すぐさま撤回[14]し、アフリカネイションズカップ2008に出場。グループリーグのザンビア戦(5-1)で得点を挙げた。
2010年5月30日に2010 FIFAワールドカップのメンバー23人に選出され[15]、背番号10を背負うこととなったが、グループリーグで全敗し敗退した。
所属クラブ
- → アル・アハリ・ドバイ (loan) 2012
- アル・アハリ・ドバイ 2012-2013
- アル・ワスルFC 2013
- クルス・アスル 2013-2015
- → アトランテFC (loan) 2015
- ジムナスティック・タラゴナ 2015-
タイトル
クラブ
- リーグ・ドゥ : 2002-03
- セグンダ・ディビシオン : 2010-11
- UAEリーグカップ : 2011-12
- CONCACAFチャンピオンズリーグ : 2013-14
脚注
- ^ "カメルーン アシル・エマナ"OCNスポーツ 選手名鑑(個人)
- ^ "Lyon look at new Essien"Sky Sports.com
- ^ a b "L'OM admit Emana's an option"Sky Sports.com
- ^ "Permit problems for Pompey deal"Sky Sports.com
- ^ Emana extends Toulouse dealSky Sports.com
- ^ "Magpies prepare Emana swoop"Sky Sports.com、2008年5月27日
- ^ Prem duo eye EmanaSky Sports.com、2008年4月21日
- ^ "Emana eyes Betis switch"
- ^ "Emana earns Betis move"Sky Sports.com、2008年7月22日
- ^ "カメルーン代表エマナ、W杯合宿よりベティス昇格を優先"WOWOW、2010年4月9日
- ^ "エマナがアル・ヒラル移籍へ"Goal.com、2011年8月8日
- ^ “El Nàstic se queda con el israelí Gal Arael y el camerunés Emaná”. Marca.com (2015年8月2日). 2016年6月2日閲覧。
- ^ "Emana calls time on Cameroon"
- ^ "Emana thriving on the pressure"
- ^ カメルーン代表、エトーら23選手を発表msn産経ニュース、2010年5月30日
外部リンク
- achille-emana-edzimi/4480 - Soccerwayによる個人成績
- アチーレ・エマナ - National-Football-Teams.com
- transfermarkt
- footballzz