岡村善文
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岡村 善文(おかむら よしふみ、1958年1月13日 - )は日本の外交官。森喜朗の発案で最年少大使として駐コートジボワール特命全権大使を務め、現在次席国連大使。
経歴
- 1958年 - 大阪府出身
- 1981年 - 東京大学法学部第二類卒業、外務省入省、フランス語研修
- 1984年 - 在アルジェリア日本大使館三等書記官
- 1986年 - 防衛庁防衛局運用課
- 1988年 - 外務省欧亜局西欧第一課課長補佐
- 1990年 - 外務省国際連合局原子力課首席事務官
- 1993年10月 - 在イタリア日本大使館一等書記官
- 1995年12月 - 在インド日本大使館一等書記官
- 1998年 - 在インド日本大使館政務参事官
- 1999年8月 - 国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)首席政務官(外務省大臣官房付)
- 2000年 - 外務省北米局北米第一課企画官
- 2001年1月 - 外務省総合外交政策局軍備管理軍縮課長、
- 2003年2月 - 在フランス日本大使館参事官
- 2005年 - 在フランス日本大使館政務公使
- 2006年4月 - ウィーン国際機関日本政府代表部公使[1]
- 2008年 - 駐コートジボワール特命全権大使
- 2011年9月1日 - シカゴ総領事
- 2012年9月 - 外務省中東アフリカ局アフリカ部長
- 2014年7月4日 - 国際連合日本政府代表部特命全権大使、次席代表
人物
1994年のルワンダ虐殺、1999年のコソボ紛争など、武力紛争が行われている地域に外務省や国連を代表して派遣された経験がある。また、IAEAを中心に国連外交の経験も豊富である。
2008年、北海道洞爺湖サミットでアフリカ重視の姿勢を示すため、通常より若い年次でアフリカに大使を赴任させるという人事案の下で、最年少50歳でフランス語圏の駐コートジボワール特命全権大使(トーゴ・ベナン・ブルキナファソ・ニジェール駐箚兼務)に就任する。その際、上記の経験を有することから、自民党外交部会で当時の薮中三十二外務事務次官から「修羅場に強い男」と紹介される。
同様に、同年片上慶一(英語研修)が英語圏の駐ガーナ大使に、越川和彦(スペイン語研修)が、ポルトガル語圏の駐アンゴラ大使に就任した[2]。
2011年には、大使公邸が武装集団に襲撃され、15時間の軟禁状態に置かれた。その際、フランス軍により救出され、パリに避難する。
2012年9月には外務省アフリカ部長となり、第五回アフリカ開発会議事務局長を兼務している。
同期入省
- 兼原信克(14年国家安全保障局次長兼務・13年内閣官房副長官補・12年外務省国際法局長)
- 上月豊久(14年外務省官房長・12年外務省欧州局長)
- 山田彰(外務省中南米局長)
- 上村司(14年外務省中東アフリカ局長・12年外務省領事局長)
- 宮下孝之(16年駐ルワンダ大使・13ドイツ公使)
- 佐藤地(13年外務報道官)
- 石兼公博(14年外務省国際協力局長・12年ASEAN政府代表部大使)
- 高岡正人(13年シドニー総領事・12年駐イラク大使)
- 冨田浩司(13年北米局長・12年駐米公使)
- 宮島昭夫(駐英公使)
- 岡田誠司(ケニア公使)
- 冨永純正(11年駐コンゴ民主共和国大使)
- 奥克彦(イラク日本人外交官射殺事件犠牲者)
- 伊藤光子(外務省国際社会協力部国際機関人事センター所長)
外部リンク
- コートジボワール日誌在コートジボワール大使・岡村善文・のブログ
脚注
- ^ 大使略歴(仏語PDF)
- ^ 朝日新聞2008年07月25日