関谷亮太
千葉ロッテマリーンズ #15 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 神奈川県川崎市 |
生年月日 | 1991年5月10日(33歳) |
身長 体重 |
180 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2015年 ドラフト2位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム |
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この表について
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関谷 亮太(せきや りょうた、1991年5月10日 - )は、千葉ロッテマリーンズ所属のプロ野球選手(投手)。神奈川県川崎市出身。
来歴
プロ入り前
小学生の時は川崎市麻生区にある白真少年野球部に所属し、中学生では麻生ジャイアンツに所属していた。
日本大学第三高等学校時代はのちにチームメイトとなる吉田裕太とバッテリーを組んでいた[1]。同校では2年生から主戦として活躍、3年夏には西東京代表として第91回全国高等学校野球選手権大会にも出場し、1回戦の徳島北高戦では4安打完封勝利を飾った[2]。2回戦で東北高校に敗れたものの、9回3失点(自責2)に抑えた[3]。大学の1学年後輩として、オリックスの山崎福也、2学年後輩に阪神の高山俊、日本ハムの横尾俊建がいた。山崎、高山とは明治大でもチームメイトになった。
明治大学進学後、3年春から主力として活躍する。4年春には3勝1敗、防御率1.62の成績で東京六大学野球リーグ3季ぶりの優勝に貢献した。第62回全日本大学野球選手権大会では準々決勝の富士大戦で6回無安打12奪三振の好投を魅せた[4]。大会後は第39回日米大学野球選手権大会日本代表に選ばれた。4年秋は防御率4.38と不振に終わるがチームは2季連続優勝となった。しかし、第44回明治神宮野球大会ではリリーフのみの登板となった。野球部の1学年先輩には広島の上本崇司、中日の石川駿、同級生に日本ハムの岡大海、2学年後輩に日本ハムの上原健太、阪神の坂本誠志郎がいた。
JR東日本入社後、1年目から主力で活躍した。都市対抗2次予選では4試合に先発し、本選出場に貢献した。第85回都市対抗野球大会では初戦の室蘭シャークス戦で瀬川隼郎と投げ合い、関谷は5回1/3を6奪三振無失点に抑え、勝利に貢献した。第40回社会人野球日本選手権大会では、初戦のJR九州戦2回途中4失点でマウンドを降りたが、ヤマハ戦は5回無失点に抑えた。2年目の第86回都市対抗野球大会では初戦の三菱重工神戸・高砂戦で4回無失点に抑えるが、後続が打たれて敗戦となった。第41回社会人野球日本選手権大会ではリリーフに回った。
2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議で、関谷は千葉ロッテマリーンズから2巡目で指名され、契約金8000万円、年俸1500万円で合意し[5]入団した。背番号は15。関谷と同じくJR東日本のチームメイトの東條大樹もドラフト4位でロッテに指名された。
プロ入り後
- 2016年
- 5月21日の対オリックス・バファローズ戦でプロ初登板・初先発し、この時にバッテリーを組んだ捕手は関谷の高校時代のチームメイトの吉田であった。関谷はこの試合では序盤から大量援護を受けたこともあり、7回を投げて6奪三振、被安打6、3失点にまとめ初登板及び初先発を初勝利で飾った。
詳細情報
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2016年5月21日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム)、7回3失点6奪三振
- 初奪三振:同上、1回裏に大城滉二から見逃し三振
- 打撃記録
背番号
- 15 (2016年 - )
代表歴
脚注
- ^ “ロッテ2位関谷亮太入寮 日大三同僚との縁を喜ぶ”. 日刊スポーツ (2016年1月9日). 2016年2月7日閲覧。
- ^ ボールパーク便り ルーキー特集(8)投げ込むボールに「自信」を込めて 関谷亮太 明大スポーツ
- ^ “東北 対 日大三”
- ^ 明大 関谷 ノーヒッター“譲った” 後輩と継投で達成 スポニチアネックス 2013年6月15日配信
- ^ 【ロッテ】関谷と東條が契約、初仕事で雪見だいふくほおばる スポーツ報知 2015年11月19日配信
参考文献
- “千葉ロッテマリーンズ選手名鑑”. 株式会社千葉ロッテマリーンズ. 2016年2月7日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 関谷亮太 - NPB.jp 日本野球機構