スティーブ・ブレイク
![]() ゴールデンステート・ウォリアーズ時代(2014年4月) | |
フリーエージェント | |
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ポジション | PG |
基本情報 | |
国籍 |
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生年月日 | 1980年2月26日(44歳) |
出身地 | フロリダ州ハリウッド |
身長 | 191cm (6 ft 3 in) |
体重 | 78kg (172 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | メリーランド大学 |
ドラフト | 2003年 38位 |
選手経歴 | |
2003-2005 2005-2006 2006-2007 2007 2007-2010 2010 2010-2014 2014 2014-2015 2015-2016 |
ワシントン・ウィザーズ ポートランド・トレイルブレイザーズ ミルウォーキー・バックス デンバー・ナゲッツ ポートランド・トレイルブレイザーズ ロサンゼルス・クリッパーズ ロサンゼルス・レイカーズ ゴールデンステート・ウォリアーズ ポートランド・トレイルブレイザーズ デトロイト・ピストンズ |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
スティーブ・ブレイク(Steven Hanson Blake, 1980年2月26日 - )はアメリカ合衆国のフロリダ州ハリウッド出身のバスケットボール選手である。NBAのロサンゼルス・レイカーズなどに所属していた。ポジションはポイントガード。身長191cm、体重78kg。
経歴
学生時代
高校はマイアミ高校に進学した後、バージニア州に所在するバスケットボールの名門校オークヒル高校に転校した。卒業後はメリーランド大学に進学。1年生の頃からNCAAトーナメントでもチームの主力選手として出場し2001年にベスト4(ファイナル・フォー)に進出し、翌年にはチームを優勝に導くという大活躍だった。またACCの大学通算1000得点/800アシスト/400リバウンド/200スティールを記録した史上初の選手である。
NBA
ワシントン・ウィザーズ
ブレイクは2003年のNBAドラフトでワシントン・ウィザーズから全体38指名を受けてNBAに進出した。ルーキーイヤーとなった2003-04シーズンから比較的出場時間を与えられ、平均で20分近くの出場があった。先発出場を務めたり、3Pシュートの成功数を75本記録するなど、新人としてはまずまずの成績を残した。しかし、2年目となった2004-05シーズンは出場機会が減少。わずか44試合の出場に留まってしまった。
ポートランド・トレイルブレイザーズ
2005年のオフ、ブレイクは制限付きFAとなったが、チームは契約せずに放出を決意。その後、ポートランド・トレイルブレイザーズに移籍した。ちなみにチームメイトだったホアン・ディクソンもFAとなって、共にブレイザーズに移籍することになった。彼らはメリーランド大学のOBで、ディクソンはブレイクの1年先輩にあたる。そして迎えたブレイザーズでの3年目、ブレイクは先発に定着(セバスチャン・テルフェアの負傷にもよる)。キャリアハイとなる23得点をあげるなど、得点、アシスト、3Pシュートなどの各成績では前年までを上回り、上々のシーズンになった。チーム自体は低迷を続けていたが、彼への評価は上昇した。
ミルウォーキー・バックス
2006年のオフはブライアン・スキナーや河昇鎭らと共に、ジャマール・マグロアとの交換でミルウォーキー・バックスに移籍した。そのため2006-07シーズンはモーリス・ウィリアムズやチャーリー・ベルといった選手の控えとして出場し、出場時間は昨年を大きく下回っていた。
デンバー・ナゲッツ
2007年1月11日にアール・ボイキンスらとのトレードによってデンバー・ナゲッツへ移籍すると先発として定着。司令塔として高い評価を得た。
ポートランド・トレイルブレイザーズ
シーズン終了後に再びFAとなり、7月13日にポートレンド・トレイルブレイザーズと契約。古巣復帰となった。 古巣復帰後は先発に定着していたが、2009-10シーズン前にアンドレ・ミラーが移籍。その煽りをうけ、控えでの出場が多くなった。
ロサンゼルス・クリッパーズ
2010年2月16日、トレードでトラビス・アウトローとともにロサンゼルス・クリッパーズに移籍した。
ロサンゼルス・レイカーズ
2010年7月8日、4年1600万ドルで ロサンゼルス・レイカーズに移籍した[1]。2010年10月26日、 シーズン最初の試合ヒューストン・ロケッツ戦において、試合終了間際に3ポイントシュートを決めリードした。またディフェンスにおいても相手のクラッチシュートを外させるなどし勝利に貢献した。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/Steve_Blake_Lakers.jpg/230px-Steve_Blake_Lakers.jpg)
ゴールデンステート・ウォリアーズ
2014年2月19日、マショーン・ブルックス、ケント・ベイズモアと交換でゴールデンステート・ウォリアーズへトレードされた[2]。
ポートランド・トレイルブレイザーズ
On July 10, 2014年6月10日、2年4200万ドルでポートランド・トレイルブレイザーズと契約した[3]。 On February 20, 2015年2月20日、2日前に亡くなったジェローム・カーシーに敬意を払い背番号を #25 から #5 へ変更した[4]。 2015年6月19日、来シーズン契約のプレーヤー・オプションを破棄しフリーエージェントを選択した[5]。
デトロイト・ピストンズ
2015年6月25日、2015年のNBAドラフト当日に、ロンディ・ホリンズ=ジェファーソンの交渉権と共に、メイソン・プラムリー、パット・コノートンの交渉権と交換でブルックリン・ネッツに放出され[6]、更に、ネッツでは1試合も出場することもなく、2015年7月13日にクインシー・ミラーとの交換でデトロイト・ピストンズに放出された[7]。
プレイスタイル
ゲームメイクが得意な正統派ポイントガード。ドライブからの得点力は乏しいが、3Pシュートを高確率で成功させるシューターである。
脚注
- ^ “Lakers Sign Steve Blake”. NBA.com (2010年7月8日). 2015年11月7日閲覧。
- ^ Warriors Acquire Guard Steve Blake From Los Angeles Lakers
- ^ Trail Blazers Sign Guard Steve Blake
- ^ Steve Blake gives up No. 25
- ^ “Steve Blake Exercises Player Option for 2015-16”. NBA.com (2015年6月19日). 2015年6月24日閲覧。
- ^ “NETS ACQUIRE RONDAE HOLLIS-JEFFERSON AND STEVE BLAKE”. NBA.com. Turner Sports Interactive, Inc. (2015年6月25日). 2015年6月25日閲覧。
- ^ Nets trade PG Steve Blake to Pistons for non-guaranteed PF Quincy Miller