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荘烈王后

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荘烈王后(チャンニョルワンフ、そうれつおうごう、天啓4年11月7日1624年12月17日) - 康熙27年8月26日1688年9月20日))は李氏朝鮮第16代国王仁祖の継室(2番目の王妃)。

本貫は楊州であり、漢原府院君趙昌遠の娘。1638年仁烈王后の後を受け王妃に冊封され、1649年仁祖が世を去ると大妃となった。仁祖との間に子はなかった。

孝宗が崩御した時と嫁である孝宗正室・仁宣王后が亡くなった時の荘烈王后の服喪問題で2度の礼訟論争があった。

1688年8月26日に昌慶宮で亡くなった。尊号は慈懿恭慎徽献康仁淑穆、 徽号は貞粛温恵、謚号は荘烈。京畿道九里市徽陵

仁祖の庶子で貴人 趙氏の息子、崇善君李澂(東平君李杭の父)の妻:永豊郡夫人申氏は姪。