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竹田恒治

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恆治王
竹田恆治
竹田宮
続柄 竹田宮恒徳王第二男子

身位 皇籍離脱
敬称 殿下皇籍離脱
出生 (1944-08-03) 1944年8月3日(79歳)
満洲国の旗 満洲国 新京特別市
配偶者 岡田幾美子岡田茂の娘)
子女 恒昭
恒智
父親 竹田宮恒徳王
母親 三条光子
役職ブルガリア共和国日本国特命全権大使
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竹田 恒治(たけだ つねはる、1944年昭和19年)8月3日 - )は、日本旧皇族外交官竹田宮恒徳王第二男子。皇籍離脱前の身位は恒治王)。元在ブルガリア共和国日本国特命全権大使

経歴

1944年昭和19年)、満洲国新京特別市で生まれる。当時父竹田宮恒徳王は、関東軍参謀として満洲国に駐在していた。占領期の1947年昭和22年)、父が皇族の身分を離れたため、同時に、皇族の身分を離れた。

その後、学習院をやめ慶應義塾高等学校を受験して入学。その後、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。非常に身長が高く180センチ以上あり、学生時代はラグビー、アイスホッケーの選手として活躍した。卒業後企業家の岡田茂の娘幾美子と結婚した。

1967年昭和42年)伊藤忠商事に勤務。[1]2001年(平成13年)伊藤忠商事大洋州総支配人となり、伊藤忠豪州会社社長および伊藤忠ニュージーランド会社社長を兼ねる。同社理事を経て2005年平成17年)から2007年平成19年)6月まで中央設備エンジニアリング社の社長を務めた。

2007年(平成19年)8月7日、在ブルガリア共和国日本国特命全権大使に就任して、9月ブルガリアに赴任して、10月25日ゲオルギ・パルヴァノフ大統領に信任状を奉呈した。2010年(平成22年)に駐ブルガリア日本大使より退任した。

2013年(平成25年)、日本アイスホッケー連盟の会長候補となるも、連盟の混乱を理由に辞退する[2]

血縁

竹田宮系図
北白川宮2
能久親王
 
 
竹田宮1
恒久王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竹田宮2
恒徳王
(臣籍降下)
禮子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(皇籍離脱)
恒正王
(皇籍離脱)
素子女王
(皇籍離脱)
紀子女王
(皇籍離脱)
恒治王
竹田恆和


関連項目

参考文献

  • 竹田恒泰執筆『語られなかった皇族たちの真実』

脚注

  1. ^ 語られなかった皇族たちの真実222頁
  2. ^ [1]
  3. ^ ゲーム関連企業の才民((PSYMIN))を起業した後、退社し、電通に入社。コンピューターゲームをスポーツとして行うEスポーツ事業を展開した。同社退社後プロポーカープレイヤー。
  4. ^ 講演 E-Sportsの現状と今後の展望
  5. ^ 第 22 回 Buddha - 日本のプロ Counter-Strike チームとして活動した 4dimensioN をスポンサード
  6. ^ 三菱商事勤務
  7. ^ 語られなかった皇族たちの真実223頁

外部リンク