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ドナルド・ラムズフェルド

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ドナルド・ラムズフェルド(Donald Henry Rumsfeld、1932年7月9日 - )は、アメリカ合衆国第21代の国防長官。ジェラルド・R・フォード政権下、米国史上最小年で国防長官に就任した経歴を持つ。イラク戦争では、ブッシュ政権内で終始、強硬な攻撃論を主張した。

プロフィール

イリノイ州シカゴ生まれ。1954年にプリンストン大学卒業後、1957年まで海軍でパイロット、飛行教官などで兵役を務めた。全米海軍レスリングでチャンピオン。

アイゼンハワー政権下、ワシントン入り。1962年、イリノイ州の下院議員(共和党)に30歳で当選し、1964年、1966年、1968年と、4期連続当選を果たす。

任期中の1969年に下院議員を辞任、ニクソン政権に参加してホワイトハウス入りし、

  • 機会均等局長(Director of the Office of Economic Opportunity
  • 大統領補佐官(Assistant to the President

などを務めた。当時の機会均等局での部下に現・副大統領リチャード・チェイニー(Dick Cheney、Richard Bruce Cheney)がいる。

1973年、ワシントンを離れ在ベルギー北大西洋条約機構(NATO)米国大使に就任。1974年、フォード大統領に呼び戻され、大統領首席補佐官(White House Chief of Staff member of the President's Cabinet)を務め、次いで1975年には合衆国史上で最年少(43歳)第13代国防長官(1975-1977)に就任した。

1977年に国防長官を辞任し、製薬企業や通信企業を経営しつつレーガン政権下で、軍備や戦略、日米関係、中東問題、など各種の諮問機関で委員を務めている。米国がイラクを支援していたころの1983年12月19日、イラクを訪問し、サッダーム・フセインと90分におよぶ会談を行なっている。1998年、米連邦議会の嘱託による超党派の「弾道ミサイル脅威評価委員会」(ラムズフェルド委員会とも呼ばれる)で委員長を務め、米国本土ミサイル防衛(NMD)の報告書を提出、戦略ミサイル防衛構想を推進した。

2000年12月、米国大統領選挙戦の終盤にジョージ・ブッシュが国防長官への起用を発表。翌2001年ブッシュ政権が誕生し、同政権下で国防長官を務めている。

外部リンク


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