井川祐輔
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名前 | ||||||
愛称 | イガ | |||||
カタカナ | イガワ ユウスケ | |||||
ラテン文字 | IGAWA Yusuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1982年10月30日(41歳) | |||||
出身地 | 千葉県成田市 | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | DF | |||||
背番号 | 4 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1997 1998-2000 |
吹田千里FC ガンバ大阪ジュニアユース ガンバ大阪ユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2001-2003 2003-2004 2004-2005 2006-2007 2008- |
ガンバ大阪 →サンフレッチェ広島 (loan) →名古屋グランパスエイト (loan) →川崎フロンターレ (loan) 川崎フロンターレ |
21 (1) 23 (0) 41 (1) 175 (2) 1 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年1月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
井川 祐輔(いがわ ゆうすけ、1982年10月30日 - )は、千葉県成田市出身のプロサッカー選手。Jリーグ ディビジョン1・川崎フロンターレ所属。ポジションはディフェンダー。元日本代表。
来歴
千葉県成田市出身であるが、3歳から大阪で育った。ユース時代から年代別代表に選出される。
2001年、ガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。「ポスト宮本恒靖」との呼び声も高かったが、出場機会を求めて2003年シーズン途中からサンフレッチェ広島に期限付き移籍。広島ではすぐにレギュラーをつかみ、J1昇格に貢献した。2004年途中からは名古屋グランパスエイト、2006年からは川崎フロンターレに期限付き移籍。2008年シーズンより川崎に完全移籍となった。
2006年9月20日のナビスコカップ準決勝第2戦では、井川はベンチスタートであったが、ピッチ上への出番が来る前に審判へ執拗な抗議をし、後半0分に退場処分を受けた。ピッチ上にいない選手が退場となる非常に珍しいケースであった(退場だがチームは数的不利にはなっていない)。チームは2-3で敗れた(チーム内では前年の森勇介に続き2例目)。
2008年5月、キリンカップサッカー2008で岡田武史監督から日本代表メンバーに初招集された。岡田監督は「井川に関しては前から注目していたが、Jリーグでのパフォーマンスも非常に素晴らしいのでぜひ一度呼んでみたいと思っていた」とコメントした[1]。しかし出場機会はなかった。
2010年8月18日、名古屋グランパス戦で左第5中足骨を骨折、全治4週間の怪我を負った[2]。
2011年9月20日にモデル、グラビアタレントの安藤沙耶香と結婚したことを発表した。
2016年昨年からスタメンに定着していた谷口彰悟、この年から加入して来た奈良竜樹とエドゥアルドの活躍もありベンチを温める日が続いた。その後奈良竜樹の骨折、エドゥアルドが肉離れで戦列を離れた為しばらくはスタメンに定着したもののシーズン終盤に自身も怪我をしてしまい、そのままシーズンを終える形になった。
人物
- 本人曰く「秋葉原に通っている」。2007年の川崎フロンターレのファン感謝デーではヲタ芸(フロンターレでは「ンタ芸」と呼ばれている)を踊った。
- 2007年に体重が10キロ近く増えてしまい「メタボ」と呼ばれていたが、ダイエットに成功した。しかしチームメイトからはいまだに「メタボ」と呼ばれている。
- また、2008年から川崎フロンターレの携帯サイト「モバイルフロンターレ」内でブログ「脱・メタボ日記」を開設した。2010年2月からはアメーバブログに移籍し、「続・脱メタボ日記」に改題して現在も更新中。
- 年ごとに頻繁に髪形を変える選手としても知られていて、名古屋時代にドレッドヘアーにして試合に出たことがある(これは、当時のチームメイト、クライトンの通訳に頼んだもの)。2008年ごろには、ユニフォームの背番号のところまでかなり長かったが、翌年には短髪になり、さらに短くなり坊主になった。
- 稲本潤一はガンバユースの先輩であり仲がいい。ただし、双方がガンバに所属していた期間は半年ほどである。
学歴
所属クラブ
- ユース経歴
- 吹田千里FC
- ガンバ大阪ジュニアユース
- ガンバ大阪ユース
- プロ経歴
- 2001年 - 2003年8月 ガンバ大阪
- 2003年8月 - 2004年6月 サンフレッチェ広島 (レンタル移籍)
- 2004年7月 - 2005年 名古屋グランパスエイト (レンタル移籍)
- 2006年 - 2007年 川崎フロンターレ(レンタル移籍)
- 2008年 - 川崎フロンターレ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | G大阪 | 25 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
2002 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2003 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | ||||
広島 | 37 | J2 | 15 | 1 | - | 3 | 0 | 18 | 1 | ||
2004 | 19 | J1 | 6 | 0 | 2 | 0 | - | 8 | 0 | ||
名古屋 | 3 | 11 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 14 | 1 | ||
2005 | 12 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 17 | 0 | |||
2006 | 川崎 | 4 | 22 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 26 | 0 | |
2007 | 19 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 26 | 1 | |||
2008 | 30 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 35 | 1 | |||
2009 | 22 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 28 | 1 | |||
2010 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | |||
2011 | 28 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 31 | 1 | |||
2012 | 21 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 26 | 0 | |||
2013 | 14 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 17 | 0 | |||
2014 | 16 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 18 | 0 | |||
2015 | 23 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
2016 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 246 | 3 | 33 | 1 | 18 | 1 | 297 | 5 | |
日本 | J2 | 15 | 1 | - | 3 | 0 | 18 | 1 | |||
総通算 | 261 | 4 | 33 | 1 | 21 | 1 | 315 | 6 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2007 | 川崎 | 4 | 5 | 0 |
2009 | 7 | 0 | ||
2010 | 3 | 0 | ||
2014 | 3 | 0 | ||
通算 | AFC | 18 | 0 |
- Jリーグ初出場 2001年10月20日 J1・2nd 第10節対浦和レッドダイヤモンズ戦(万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 2003年9月6日 J2第32節対ヴァンフォーレ甲府戦(広島ビッグアーチ)
- 先発出場 52分ゴール
- J1初得点 2007年9月15日 J1第25節 大分トリニータ戦 (等々力陸上競技場)
タイトル
クラブ
- ガンバ大阪ユース
- 日本クラブユース選手権(U-18):1回(1998年)
- Jユースカップ:1回(2000年)
代表歴
- U-20日本代表(2001年)
- U-22日本代表(2002年)
- 日本代表(2008年)
脚注
- ^ 日本代表メンバー発表 岡田監督会見 キリンカップ2008、スポーツナビ、2008年5月15日。
- ^ KAWASAKI FRONTALE:井川祐輔選手のケガについて、川崎フロンターレ公式、2010年8月19日。
- ^ 川崎F・井川、脱メタボで初招集、スポーツニッポン、2008年5月16日。