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文世光事件

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文世光事件(ムン・セグァンじけん、문세광 사건)は1974年8月15日に元大韓民国大統領朴正煕の夫人、陸英修など2名が在日韓国人文世光(ムン・セグァン、문세광)に射殺された事件である。この日は日本からの解放記念日である光復節の祝賀行事がソウルの国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席している時の出来事であった。

事件

赤化統一を目指した文は1973年10月ごろ、朴大統領の暗殺計画を思い立った。その後朝鮮総連の支援を受けながら、用意を着々と進めて(大阪府内の派出所拳銃を盗んだり、韓国への偽造ビザや偽造パスポートを作成した)8月6日、韓国に入国した。

事件当日、文は日本政府高官になりすまし、国立劇場に入る。 そして、朴大統領が祝辞を読みあげている途中に文が壇上に向け何発か拳銃を撃った。が、朴大統領は反射的に演壇の後ろに隠れ難を逃れた。

文は目標を失った為、大統領夫人の陸に向け4発撃った。 陸はその後病院に搬送され5時間40分にもおよぶ手術もむなしく、死去した。

また式典に合唱団の一員として参加していた女子高生1名も銃撃をうけ、死亡した。

裁判

10月7日に初公判が開かれ、文は法廷に立った。文は大筋で犯行を認め、1審、2審、終審の全てで死刑宣告された。

宣告から3日後の12月20日、ソウル拘置所で文の死刑が執行された。

その後の日韓関係

この一連の事件の為、日韓関係は国交正常化後、最悪に陥った。理由は、朝鮮総連が関連している事件であるのは韓国側の捜査で明白だったのに対し、日本側は総連の関与はないという姿勢を見せた事、文が所持していた拳銃が大阪の派出所より盗まれた物であった事に因る。

謝罪のない日本側に対し、朴大統領は「日本は本当に友邦なのか?」と問いただし、ついには「日本は赤化工作の基地となっている」という言葉まで出た。 その後急速に関係は悪化し、国交断絶寸前までいった。 しかし、大統領の側近が「このまま断絶してしまえば、今までの苦労が水の泡になってしまう」と説得し、最悪の事態はまぬがれた。 なお、日本を「赤化工作基地」とみなす認識は、韓国人にとってしばしば反日感情を正当化する根拠の一つでありつづけた。

小説「夏の炎」

梁石日が文世光事件を題材にして、小説「死は炎の如く」を2001年に発表し、後に「夏の炎」と改題され文庫化される。文をモデルにした在日の青年、宋義哲が主人公。70年代の大阪を舞台に、政治運動に身を投じる宋が、祖国へ思いを募らせながら謎の人物達に導かれ、やがて学生時代の恋人と共に朴大統領暗殺へと向かっていく。宋に目をつけ、大統領暗殺へと手引きする謎のグループの存在などフィクションと思われる要素を加えながらも、大阪の派出所から盗まれた拳銃で朴襲撃を実行に移すなどの実際の事件の詳細に沿ったストーリーが展開され、ベトナム戦争、朴政権と米国との確執、金日成政権下の北朝鮮との関係、日本における政治運動や在日の人々の状況といった、当時の国際関係や政治などを、事件の背景に見ることができる。

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