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白建宇

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白 建宇
各種表記
ハングル 백건우
漢字 白建宇
発音: ペッ・コヌ
ローマ字 Kun-Woo Paik
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白 建宇(ペク・コヌ、クン=ウー・パイクとも、Kun Woo Paik 1946年5月10日 - )は韓国出身のピアニスト。現在はパリ在住。

略歴

10歳でグリーグピアノ協奏曲を韓国国立交響楽団と共演し、デビュー。中学卒業後に渡米、ニューヨークジュリアード音楽院で学んだ。ジュリアードを卒業した後1967年にイギリスへ渡りローナ・カボスに師事。1970年代初期にはイタリアグイド・アゴスティドイツヴィルヘルム・ケンプにも師事した。

スタイル

当初はラヴェルプロコフィエフなどの作品を多くてがけ、その延長線上でソラブジの《薫る庭》なども韓国人で初めて弾いている。その彼が打鍵のスピードを落とし叙情性を強調し始めたのはフォーレのアルバムを出した頃になる。近年はベートーヴェンにも取り組むなど、芸風を広げている。その一方で現代音楽にも造詣が深く、姜碩煕のピアノ協奏曲の初演者でもある。これはアメリカを離れ、グイド・アゴスティに一からピアノを学びなおしたことが大きいとされておりブゾーニへの深い傾倒はアゴスティからの影響であることを彼を含めた周囲が認めている[1]。韓国人として初めてメシアンの20のまなざし全曲を手掛けた[2][3]

ディスコグラフィー

彼の不得手なコンクール歴のためメジャーデビューがままならなかったころDanteからプロコフィエフ戦争ソナタをリリースした[4]。このアルバムがクラウス・ハイマンの目に留まりプロコフィエフのピアノ協奏曲の弾き手が見つかっていなかったNaxosから協奏曲全集でメジャーデビュー。しかもこれはワルシャワの演奏会からのライブレコーディングである。このレコーディングを契機にDeccaへ移籍してショパンの協奏曲全集を吹き込むと同時に、ベートーヴェンのピアノソナタ全集を東洋人として初の海外メジャーレーベル録音を達成。現在は国際ピアノコンクール審査員としても重要なポジションについていることが多い。RCA Red Sealからリリースされたラフマニノフの協奏曲全集も東洋人初の海外メジャーレーベル録音である。ムソルグスキーピアノ曲全集といった、人があまりやらないものもある。

受賞歴

脚注

  1. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、22 Mar 2017 15:22:14 UTC閲覧。
  2. ^ 外部リンク
  3. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、2017年3月22日 15:50:44 UTC閲覧。
  4. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、22 Mar 2017 15:25:37 UTC閲覧 。

外部リンク