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菊タロー

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菊タロー(きくたろー、1976年11月17日 - 、大阪府大阪市生野区出身)は日本の男子プロレスラーで、覆面レスラーである。かつて大阪プロレスにおいてえべっさんのリングネームで活躍してたが、そのときにはギミック上1976年1月10日今宮戎神社の「十日戎」の中日)生まれ、今宮戎境内出身を名乗っていた。

菊タローはリングネームであり、また覆面レスラーの素顔、本名は正式には公表されていないが、過去の経歴からその正体は菊澤光信だとファンの間では言われている。えべっさんのギミックになる前には大仁田厚と組むなどインディーでの経験が豊富であり、素顔のみならず、様々な覆面レスラーに変身している。又、上記の活動もあって人脈も広い。オフにはNOSAWA論外らと海外に繰り出すこともある。日高郁人の中学生時代の写真を何故か持っていて、それをネタにZERO1-MAXのS-ARENA興行で日高の秘密を暴露している。

経歴

W★INGプロモーションユニバーサル・プロレスリングの練習生を経て、1994年、FULLでプロレスデビュー。その後、フリーランスとして様々な団体での活動を行うが、一時期はDDT所属だったこともある。1999年7月24日大阪プロレスにて、大阪・光明アムホールでザ・モンキーマジックを相手に『えべっさん』としてのデビューを果たす。当初はフリーのままでの参戦だったが、2004年に所属契約を交わす。くいしんぼう仮面との「大阪名物世界一選手権」を中心とした爆笑を呼ぶ抗争や、入場時のお賽銭パフォーマンス、さらに武藤敬司のコピーである「えべ藤さん」、アブドーラ・ザ・ブッチャーのコピーの「えべドーラ・ブーチャン」など、有名レスラーの完璧なコピーで人気を博した。大阪プロレスの他、新日本プロレス全日本プロレスにも参戦した。2005年4月24日の大阪・デルフィンアリーナでの試合を最後に大阪プロレスとの契約が切れて退団、フリーとして活動することとなった。

『えべっさん』のキャラクターが大阪プロレスの登録商標となっている事(その為、マスクやコスチュームは退団時にすべて大阪プロレスに返上)と、2005年4月29日から2代目えべっさんが大阪プロレスに登場した為、フリー後最初の試合となった2005年5月7日東京・ディファ有明での「ディファカップ」以降はえべ太郎のリングネームを使用し、マスク・コスチュームも若干変更(意匠権に引っかかる部分を中心に変更)した。

しかし、えべ太郎のリングネームも大阪プロレス側からクレームが入った為、2005年5月14日アメリカペンシルバニア州フィラデルフィアのECWアリーナで開催された「ベストオブベスト5」(ジュニアヘビー級のワンナイトトーナメント)を最後に使用を止め、暫定的なリングネーム太郎(太郎としての試合は無し)を経て、2005年5月20日の全日本プロレス・後楽園ホール大会からは菊タローのリングネームを名乗っている。以降、全日本プロレスを中心に国内・海外を問わず、明るく楽しいプロレスで活躍中。

全日本にチーム3Dが参戦した際は、スポークスマン(兼テーブル叩きつけられ役)を務めていた。お笑いを主体としたスタイルでありながら、このような受けの強さ(やられっぷりの良さ)を見せられるのは、インディー時代の経験の賜物といえよう。最近のライバルは全日本プロレスの重鎮の渕正信やレフェリーである和田京平を挙げている。厳格なイメージの和田だが、菊タローの試合ではネタに付き合うこともあり、菊タローのブログ上では彼のイベントに和田が遊びに来た、一緒にパチスロを打った、などの報告があり、本人もコメントを書きこんだことから、プライベートでも気が合うようである。ZERO1-MAXではP-Force Menの新メンバーKTP-101.5kgとしての活動も見られるようになった。

PC玄人、ゲーマーとしても知られており、ファミ通編集部によくちょっかいを出しに行ったりすることが多く、同紙上でコラムを執筆している。PCに関しては週刊アスキーにて自作PCの使用感をレポートする連載を持ち、TAKAみちのくが愛用しているノートパソコンは元は彼のものであったりとそちら方面でのサポートもしっかりしている。

タイトル歴

  • 大阪名物世界一選手権
  • 大阪プロレスバトルロイヤル選手権

得意技

  • 七福神固め
  • えびす落とし
  • シャイニング・菊ザード

外部リンク