宗谷 (列車)
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宗谷 サロベツ | |||
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概要 | |||
国 |
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種類 | 特急列車 | ||
現況 | 運行中 | ||
地域 | 北海道 | ||
前身 | 特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」 | ||
運行開始 | 2017年3月4日 | ||
運営者 |
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路線 | |||
起点 |
札幌駅(宗谷) 旭川駅(サロベツ) | ||
終点 | 稚内駅 | ||
営業距離 | 396.2 km | ||
平均所要時間 | 平均5時間04分(宗谷) | ||
運行間隔 |
1往復(宗谷) 2往復(サロベツ) | ||
列車番号 |
50D+号数(スーパー宗谷) 61D・62D(サロベツ) | ||
使用路線 | 函館本線・宗谷本線 | ||
車内サービス | |||
クラス | グリーン車・普通車 | ||
座席 |
グリーン車指定席:1号車(半室) 普通車指定席:1 - 3号車(1号車半室) 普通車自由席:4号車 | ||
技術 | |||
車両 | キハ261系気動車(苗穂運転所) | ||
軌間 | 1,067 mm(狭軌) | ||
電化 | 非電化 | ||
最高速度 | 120 km/h | ||
|
宗谷(そうや)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線経由で運行している特別急行列車。
本項目では、同一経路で運行されている特急「サロベツ」とともに、宗谷本線、天北線で運行されていた優等列車の沿革についても記述する。
概要
1960年(昭和35年)7月1日に準急「宗谷」(そうや)として札幌駅 - 稚内駅間で運転開始し、札幌駅 - 旭川駅間では「オホーツク」を併結していた。1961年(昭和36年)10月1日には急行列車となり、室蘭本線・千歳線を経由して函館駅発着(1964年(昭和39年)10月1日に長万部駅 - 札幌駅間を函館本線経由に変更され単独運転を開始)で運行されるようになったが、1981年10月1日には札幌駅発着に戻された。1989年5月1日の天北線廃止に伴い、札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間で運行されていた「天北」(てんぽく)を経路変更を行ったうえで「宗谷」に編入した。1992年7月1日からは昼間の1往復を別愛称の「サロベツ」に変更した。
その後、JR北海道と北海道、名寄市などが出資する第三セクター:北海道高速鉄道開発が主体となり、宗谷本線のうち旭川駅 - 名寄駅間の高速化改良事業(路盤強化、新型車両の投入など)が実施され、2000年3月11日より「宗谷」に新型車両キハ261系気動車を投入して、特急「スーパー宗谷」として運行されるようになり、同時に「礼文」を編入した。また「サロベツ」もキハ183系気動車を用いた特急に格上げされた。
2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正から、それまで札幌駅 - 稚内駅間に「スーパー宗谷」2往復と「サロベツ」1往復が運転されていたうちの2往復を旭川駅 - 稚内駅間に短縮し、札幌駅 - 稚内駅間に「宗谷」1往復、旭川駅 - 稚内駅間に「サロベツ」2往復の運行に変更された。
特急「宗谷」の走行距離は396.2kmに及び、これは日本で運行されている気動車特急で一番長いものである。
列車名の由来
「宗谷」は北見国宗谷郡や稚内市にある宗谷岬・宗谷支庁および宗谷本線に、「サロベツ」は豊富町と幌延町の海岸線沿いに広がる湿原、サロベツ原野にちなんだ命名である。
運行概況
2017年3月4日現在、「宗谷」は午前に下り1本、午後に上り1本の計1往復が運転され、所要時間は平均5時間10分である[1]。「サロベツ」は1日2往復が運転されており、旭川駅の同一ホームで札幌駅 - 旭川駅間の特急「ライラック」に接続する。「宗谷」・「サロベツ」両列車ともに、車内販売は行われていない。
前述の旭川駅 - 名寄駅間高速化事業に伴い、札幌駅 - 名寄駅間の最高運転速度は130km/hに引き上げられた。この高速化事業竣工とともに投入されたキハ261系気動車は車体傾斜装置や高出力のディーゼルエンジンなどを搭載し新型電車並みの走行性能を有する車両であることから、札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は旧「宗谷」時代から約1時間もの大幅な短縮が図られた。特に函館本線内の札幌駅 - 旭川駅間では、789系電車、785系電車を使用する「スーパーカムイ」とほぼ同等の所要時間で走行していた。2013年10月31日までの「スーパー宗谷」の札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は4時間56分 - 4時間59分(4時間台)であった。
- 名寄駅 - 稚内駅間は未改良区間のため、最高運転速度は旧来の95km/hのままである。キハ261系気動車の車体傾斜装置も使用停止以前から同区間では使用せず走行した。
- なお、冬季間(例年11月下旬から翌春の雪解け時期まで)は、車両に付着した雪氷が走行中に落下して線路のバラストを跳ね上げる事故を防ぐため、函館本線内の一部の通過駅で減速運転を実施するため、定刻ダイヤから数分程度の遅延が生じる。
停車駅
- 特急「宗谷」
- 札幌駅 - 岩見沢駅 - (美唄駅) - (砂川駅) - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅
- 下り列車(稚内方面)のみ美唄駅、砂川駅に停車。
- 特急「サロベツ」
- 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅
- 全列車が旭川で札幌方面の特急「ライラック」と接続。
使用車両・編成
宗谷・サロベツ | ||||||||||
← 稚内 旭川・札幌 →
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| ||||||||||
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「宗谷」・「サロベツ」ともに苗穂運転所に所属する車両が261系気動車(基本番台)が使用される。なお、全列車が禁煙車(喫煙ルームなし)である。基本は4両編成だが、多客期には6両編成に増結される。このとき、増結の2両が21・22号車として稚内方に連結される場合と、5・6号車として札幌方に連結される場合があり、前者では普通車5両分+グリーン車1両分、後者では普通車5.5両分+グリーン車0.5両分となる。
宗谷本線内の一部駅ではホームが短いため、増結で6両編成になった場合進行方向後ろ寄りの1・2両程度はプラットホームからはみ出すためドアカットされ、乗客は別の号車から乗り降りすることとなる。
-
増結時の「スーパー宗谷」2号。上が合造車2両、下が合造車1両(いずれも2009年 函館本線茶志内駅)
-
特急「サロベツ」(2005年5月10日 稚内駅)
-
停車時の「スーパー宗谷」(2016年9月 幌延駅)
過去の使用車両・編成
- キハ183系気動車
- 2000年(平成12年)3月11日から2017年(平成29年)3月3日まで、特急「サロベツ」1往復に充当された。2006年(平成18年)3月17日までは、夜行特急「利尻」との共通運用が組まれていた。当初は
- 基本的に、苗穂運転所[注 1]に所属する専用の改造を施された3両編成が使用されていた。普通車のみのモノクラス編成であり、グリーン車は連結されなかった。また、多客期などには4 - 6両編成に増結されることがあった。専用車が使用されない場合や増結となる場合でも、120km/h運転を行なうため主に「北斗」で使用されているN183系・NN183系の使用を基本としていた[注 2]。
- 2016年以降は3号車にキハ183形0(200)番台(非貫通型先頭車)の充当が所定となり、最高速度が110km/hになっていた[2][注 3]。
宗谷本線・天北線優等列車
概説
利尻
1958年(昭和33年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間の夜行準急として運行を開始し、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となった。1968年(昭和43年)10月1日には「礼文」を統合して2往復となるが、1970年(昭和45年)10月1日に再度分離した。
1982年(昭和57年)11月15日からは14系客車(座席車)が投入され、1983年(昭和58年)4月25日から寝台車も14系に置き換えられた。
列車名は、稚内市の西方の日本海に浮かぶ利尻島が由来となっている。
天北
1961年(昭和36年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線・天北線経由で運行する急行列車として運行を開始[注 4]。
1989年(平成元年)5月1日の天北線廃止に伴い、経路変更を行ったうえで「宗谷」に編入され、「天北」の列車名は廃止された。
列車名は経由路線である天北線にちなんだもので、沿線地域の国名「天塩国」と「北見国」が由来となっている。
- 廃止時の停車駅
- 札幌駅 - 岩見沢駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - (小頓別駅 - 中頓別駅 - 浜頓別駅 - 鬼志別駅) - 南稚内駅 - 稚内駅
- ( )は天北線内の停車駅
- 14系客車導入前は江別駅・美唄駅・砂川駅にも停車していた。
- ( )は天北線内の停車駅
礼文
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/JR_Hokkaido_kiha54_500_rebun.jpg/220px-JR_Hokkaido_kiha54_500_rebun.jpg)
1961年(昭和36年)10月1日に旭川駅 - 稚内駅間を宗谷本線経由で運行する準急列車として運行を開始し、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となった。1968年(昭和43年)10月1日に急行「利尻」と統合されて一旦愛称が消滅するが、1970年(昭和45年)10月1日に再分離されて復活した。
1986年(昭和61年)12月7日にはキハ54形気動車が投入されたが、2000年(平成12年)3月11日に特急「スーパー宗谷」に編入されて廃止された。
なお、運行開始から廃止に至るまで一貫して冷房非搭載車で運行されたため、「礼文」は日本の定期急行列車としては史上最後の非冷房列車となった。
列車名は稚内沖合に浮かぶ礼文島が由来となっている。
なよろ
1965年(昭和40年)10月1日に札幌駅 - 名寄駅間の急行列車として運行を開始した。以後、一部列車が小樽駅発着で運行されるなどして存続したが、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。
列車名は名寄市に由来する。なお、「なよろ」の列車名は1990年(平成2年)9月1日から旭川駅 - 名寄駅間の快速列車として現在も使用されている(なよろ (列車)を参照)。
- 廃止時の停車駅(急行列車区間のみ)
- 札幌駅 - 江別駅 - 岩見沢駅 - 美唄駅 - 砂川駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅
沿革
宗谷本線では、樺太が日本の統治下だった時代に、東京方面との速達のために函館駅と稚内駅を結ぶ急行列車が運行されていた。全国的に急行列車が希少であった時代の1本である。しかし、太平洋戦争後に樺太が日本の施政を離れたため、戦後、優等列車の運行が再開されるまでには13年を要した。
国鉄時代(戦前)
- 1924年(大正13年)6月1日:函館駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間の急行1・2列車の急行区間が従来の函館駅 - 滝川駅間から函館駅 - 名寄駅間に延長する形で[3]、宗谷本線初の優等列車が運転開始。当時は浜頓別駅(のちの天北線ルート)経由で、名寄駅 - 稚内駅間は普通列車として運転された。
- 1926年(大正15年)9月25日:天塩線(現在の宗谷本線)音威子府駅 - 幌延駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間の全通[4][5]に伴い、それまで浜頓別経由だった急行1・2列車が幌延経由に変更[5]。夏季は全区間を急行列車として運転[6]。
- 1928年(昭和3年)9月10日:急行1・2列車が通年で全区間急行として運転開始。同時に時間短縮を優先させるため、札幌駅を経由せず室蘭本線経由に変更[6]。
- 1937年(昭和12年)6月1日:急行1・2列車が再び札幌経由に変更[6]。
国鉄時代(戦後)
- 1958年(昭和33年)10月1日:札幌駅 - 稚内駅間で夜行準急「利尻」(りしり)が函館本線・宗谷本線経由で運転開始[5]。同列車に三等寝台車を連結[5]。
- 1960年(昭和35年)7月1日:札幌駅 - 稚内駅間で準急「宗谷」(そうや)が函館本線・宗谷本線経由で運転開始[7]。札幌駅 - 旭川駅間は準急「オホーツク」(札幌駅 - 網走駅間)と併結していた。
- 1961年(昭和36年)10月1日:準急「宗谷」が急行列車に昇格し、運行区間を函館駅 - 稚内駅間(室蘭本線・千歳線経由)に変更[7]。同時に、札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間(函館本線・宗谷本線・天北線経由)の急行「天北」(てんぽく)[8]、さらに旭川駅 - 稚内駅間(宗谷本線経由)の準急「礼文」(れぶん)が運行開始。
- 1962年(昭和37年)10月1日:「天北」が「狩勝」との併結を解消し、併結相手が「はまなす」のみとなる。「はまなす」の編成には一等車が連結されていたが、「天北」は二等車のみだった。
- 1964年(昭和39年)10月1日:「宗谷」が単独運転となり、長万部駅 - 札幌駅間を函館本線経由に変更。同時に一等車の連結を開始。
- 1965年(昭和40年)10月1日:この日のダイヤ改正で、札幌駅 - 名寄駅間の急行「なよろ」が運行開始[3]。2両編成で、1日1往復。当初は札幌駅 - 旭川駅間で急行「大雪」(札幌駅 - 網走駅間)を併結していた。
- 1966年(昭和41年)3月5日:準急列車制度改変に伴い、「利尻」・「礼文」が急行列車に昇格。準急「かむい」を延長・格上げする形で急行「なよろ」が1往復増発され、2往復となる。「なよろ」1本に一等車の連結を開始。
- 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正。「なよろ」下り1本を札幌発から小樽発に延長。一等車連結列車を1往復に拡大。旭川駅 - 稚内駅間の昼行急行「礼文」を夜行急行「利尻」と統合。昼行は「利尻」1号、従来の夜行は「利尻」2号とする。また、「天北」が単独運転を開始。この時点でも二等車のみだった。
- 1969年(昭和44年)5月10日:等級制度が廃止され、モノクラス制に移行。一等車をグリーン車、二等車を普通車に変更。
- 1970年(昭和45年)10月1日:この日のダイヤ改正で、「なよろ」の小樽始発列車を手稲始発に短縮。「利尻」1号を急行「礼文」に再分離。「礼文」の列車名称が復活。また、「天北」にグリーン車の連結を開始。
- 1972年(昭和47年)
- 1975年(昭和50年)7月18日:ダイヤ改正に伴い、「なよろ」2往復すべてにグリーン車が連結される。また、「天北」の小樽駅発着を終了。
- 1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正。「なよろ」の札幌発着列車を小樽発着に延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。
- 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正に伴い、「なよろ」のグリーン車連結を終了。また、「なよろ」の小樽発着列車を札幌発着に再び短縮。
- 1981年(昭和56年)10月1日:急行「宗谷」の運行区間を札幌駅 - 稚内駅間に短縮(函館駅 - 小樽駅 - 札幌駅間は特急「北海」に系統分離。これにより「北海」は1往復増の2往復となる)[7]。「なよろ」の上り札幌終着列車を小樽終着に延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。
- 1982年(昭和57年)11月15日:「利尻」を14系客車に置き換え。当初は座席車のみだったが、1983年(昭和58年)4月25日から寝台車も14系となる。
- 1984年(昭和59年)2月1日:急行「なよろ」廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:「宗谷」・「天北」を14系客車に置き換え。
14系化後の急行「宗谷」(稚内駅 1986年) 札幌駅に停車中の14系急行「天北」(1987年9月10日)。 - 在来気動車キハ56系がグリーン車を除き冷房を搭載しておらず、居住性が良くなかったため、利用者サービスの一環からの車種変更で全車冷房化・特急並み接客設備を実現したが、当時の定期昼行列車としては珍しく客車による運転となった。また、夜行列車である「利尻」と共用することで、経費節減を図ったのも変更の理由とされる。「利尻」との共用編成となる上り「宗谷」、下り「天北」では寝台車を一部グリーン席扱いのコンパートメント席として運転していた。下り「宗谷」、上り「天北」は14系座席車のみの編成だった。牽引機関車は「利尻」と同じく幹線用大型機・DD51形が用いられたが、軌道が脆弱な天北線経由の「天北」は名寄駅 - 稚内駅間を軽量中型のDE10形・DE15形牽引で運行、これも異例の措置であった。
- 1986年(昭和61年)
- 8月:「宗谷」「天北」のコンパートメントグリーン席扱いを廃止。これにより、定期列車で道内の急行列車のグリーン車取り扱い終了。ただし、「利尻」との共用編成となる上り「宗谷」、下り「天北」の寝台車についてはキハ400形・キハ480形気動車への置き換えまで、普通車自由席扱いとして開放していた。
- 12月7日:「礼文」に新型車両キハ54形を投入。通常2両編成で運行された。
民営化後
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/JR_hokkaido_kiha400_141_sarobetsu.jpg/220px-JR_hokkaido_kiha400_141_sarobetsu.jpg)
- 1988年(昭和63年)11月3日:「宗谷」・「天北」に高速専用気動車であるキハ400形・キハ480形気動車を導入。ただ、導入されたのが13両と少ないため、多客期にはキハ56系気動車が増結用として使用された。これにより、不定期ながら再びキハ56系が宗谷本線の急行列車で使用されるようになった。また、キハ54形急行仕様車もごくまれであったが、使用されていたこともあった。これにより、上り「宗谷」、下り「天北」の寝台車両の座席扱いも終了した。
- 1989年(平成元年)5月1日:天北線廃止により「天北」を経路変更を行ったうえで「宗谷」に編入。
- 1991年(平成3年)3月16日:「利尻」に寝台客車(14系)を併結したキハ400形・キハ480形気動車を投入。以降、「利尻」は気動車と客車の混結編成として運行される。
- 1992年(平成4年)7月1日:「宗谷」3・4号を「サロベツ」として分離。4両編成のうち、最後部車両は名寄駅で切り離された。
2000年代の動き
- 2000年(平成12年)
- 2006年(平成18年)3月18日:ダイヤ改正により、以下の通り変更[9]。
- 「利尻」が臨時列車化され、6月から臨時特急「はなたび利尻」として運転開始。江別駅・美唄駅・砂川駅は通過。
- 「スーパー宗谷」2号の運転時刻を7時台後半から前半に繰り上げ。3号の運転時刻を17時台前半から後半、4号の運転時刻を16時台から18時にそれぞれ繰り下げ。
- 「スーパー宗谷」・「サロベツ」が全車禁煙化。
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)10月1日:ダイヤ改正で「スーパー宗谷」1号の停車駅に美唄駅・砂川駅を追加し、運転時刻を約40分繰上げ。また2号車を自由席に変更[報道 2]。車内公衆電話のサービスを終了[報道 3]。
2010年代の動き
- 2010年(平成22年)12月4日:「スーパーカムイ」減便の代替で、下り「サロベツ」の停車駅に美唄駅・砂川駅を追加[11]。
- 2011年(平成23年)7月5日:11時46分頃 岩見沢駅を定時発車後の「スーパー宗谷」2号が、二度のアラーム鳴動・モニタ画面に異常表示。幌向駅にて点検の際、4号車エンジン下部より潤滑油漏れと補機駆動軸が脱落していることを確認[12]。
- 2012年(平成24年)6月・9月:特急「まんぷくサロベツ号」が運行。土曜日(6月2・30日除く)に下り列車、日曜日(6月3日除く)に上り列車を通常の特急「サロベツ」に代えてノースレインボーエクスプレスで運転。
- 2013年(平成25年)
- 2月12日:函館線の伊納駅 - 納内駅間を走行中の「スーパー宗谷」2号の先頭車両付近で発煙。ドアの開閉などに使う空気圧縮機のゴム製ベルトがローラーとの摩擦で発熱したのが原因[13][14]。
- 6月:特急「まんぷくサロベツ号」が運行。2012年と同様に通常の特急「サロベツ」に代わり、ノースレインボーエクスプレスを投入するが、下り列車は火曜日と金曜日(28日除く)、上り列車は水曜日と土曜日(29日除く)の運転となる。
- 7月7日:6日15時45分頃に発生した「北斗」14号の出火事故を受け、183系の一部車両[注 8]が使用停止となった影響で、当面の間「サロベツ」が全区間運休となる[15]。これに伴い、同年8月1日から旭川駅 - 稚内駅間に臨時の快速列車が代替運行される[16][17][18]。
- 11月1日:「サロベツ」は11月以降も運休を継続する[1][19]。なお、「スーパー宗谷」の最高速度引き下げは今回のダイヤ修正では見送られている[20]。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)4月1日:「スーパー宗谷」の車内販売を廃止[23]。
- 2016年(平成28年)11月11日:札幌発稚内行き特急「スーパー宗谷1号」が納内駅 - 伊納駅間を走行中、乗降用のドアが閉まっていることを示す運転席の表示が一瞬消えるトラブルが発生。伊納駅で1号車のドアが約5センチ開いているのを車掌が確認したため、全てのドアを手動で施錠して運転を再開したが、旭川駅で運転打ち切りとなり、旭川駅 - 稚内駅間はバスで代行輸送した。この影響で、折り返しの特急「スーパー宗谷4号」も運休となった[新聞 3]。
- 2017年(平成29年)3月4日:ダイヤ改正に伴い、以下の運用に変更[報道 6]。
- 宗谷本線の特急列車の運行体系が再編され、札幌駅 - 稚内駅間の特急「宗谷」1往復(号数表示なし)、旭川駅 - 稚内駅間の特急「サロベツ」2往復(1 - 4号)[新聞 4][新聞 5]とされる。これに伴い、「スーパー宗谷」の列車名を廃止。
- 車両は「宗谷」・「サロベツ」とも全てキハ261系気動車(基本番台)による4両編成とする。
- 「サロベツ」は旭川駅で、札幌駅 - 旭川駅間の特急「ライラック」と同一ホームで接続。札幌駅 - 稚内駅間の平均所要時間は改正前とほぼ変わらない[新聞 5]。
- 札幌駅 - 稚内駅間の特急列車を旭川駅で途中下車せずに乗り継ぐ場合に限り、通しの料金で乗車できる乗り継ぎ料金制度が適用される(旭川駅 - 網走駅間の「大雪」も同じ)。
-
急行「宗谷」のヘッドマーク
(1996年3月 札幌駅) -
急行「サロベツ」のヘッドマーク
(1996年3月 札幌駅) -
急行「利尻」と共用の14系客車を使用した急行「天北」
(下り列車、1987年9月 札幌駅) -
急行「礼文」
(1990年 旭川駅) -
急行「サロベツ」
(1998年7月 糠南駅) -
お座敷車が連結されていた「サロベツ」
(2007年10月7日) -
DE10 1694が牽引する、上り急行「天北」
(1986年 名寄駅) -
上り急行「宗谷」
(1986年 稚内駅) -
マヤ34を機関車次位に連結した上り急行「天北」
(1988年7月 音威子府駅) -
急行「礼文」のヘッドマーク
(2016年9月 幌延町)
脚注
注釈
- ^ キハ183系気動車は当初札幌運転所に所属していたが、2012年6月から10月にかけて全車苗穂運転所に転属となった。
- ^ 増結車両の中には「オホーツク」・旧「スーパーとかち」の塗装色が編成されることもあるが、こちらも120km/h運転を行うためN183系・NN183系の車両に限定されている。増結はたいてい、トイレ・洗面所付のキハ183形500番台が2号車と3号車の間に組まれることが多いが、まれにキハ182形500番台が組まれる場合もあった。4両編成の時は自由席1両分、5両編成の時は自由席・指定席各1両分が追加される。
- ^ 座席表の列数から非貫通型の充当が分かる。
- ^ 旅客営業取扱基準規程110条・列車特定区間制度の対象となり、「天北」で札幌駅 - 音威子府駅間と南稚内駅・稚内駅との間を乗車する際、天北線内で途中下車しない場合は幌延駅経由で運賃・料金を計算するものとなった。
- ^ 急行列車時代にも中間車に本系列用に改造を施したキハ182形(キハ183系気動車の中間車)が連結されることがあった。
- ^ これに伴い、上り急行「宗谷」は佐久駅への停車を取りやめた。
- ^ ただし、「サロベツ」での運用時にお座敷車両は自由席で使用されていた。
- ^ 事故車両と同種のDML30HSJ・DML30HZ形12気筒エンジンを搭載する車両(N・NN183系)の36両。
出典
- ^ a b "安全性向上に向けた輸送サービス抑制へのご理解について" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 4 September 2013. 2013年9月5日閲覧。
- ^ "列車ガイド 特急サロベツ(183系) 列車編成" (Press release). 北海道旅客鉄道. 2016年4月21日閲覧。
- ^ a b 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 88-89頁
- ^ “宗谷線の線路敷設の歩み”. 北海道高速鉄道開発 (1998年2月1日). 1998年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月5日閲覧。
- ^ a b c d 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 90-91頁
- ^ a b c 大久保邦彦・三宅俊彦編『鉄道運輸年表』(『時刻表復刻版<戦後編>』付録)日本交通公社、1977年。
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- ^ “特急スーパー宗谷、走行中ドア閉じず 300人に影響” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(社会) (北海道新聞社). (2016年11月11日). オリジナルの2016年11月12日時点におけるアーカイブ。 2016年11月12日閲覧。
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- ^ a b “一部特急、区間を短縮 来春ダイヤ、10無人駅廃止” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(経済) (北海道新聞社). (2016年12月17日). オリジナルの2016年12月17日時点におけるアーカイブ。 2016年12月17日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 特急宗谷(261系) 車両の紹介 - 北海道旅客鉄道
- 特急サロベツ(261系) 車両の紹介 - 北海道旅客鉄道