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青木宣親

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青木 宣親
Norichika Aoki (Nori Aoki)
ヒューストン・アストロズ #3
カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2014年4月26日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県日向市
生年月日 (1982-01-05) 1982年1月5日(42歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 NPB / 2004年7月17日
MLB / 2012年4月6日
年俸 $5,500,000 (2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年
WBC 2006年2009年2017年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2006 野球
2009 野球

青木 宣親(あおき のりちか、1982年1月5日 - )は、宮崎県日向市出身のプロ野球選手外野手)。右投左打。MLBヒューストン・アストロズ所属。MLBでは2014年のみ登録名を「Nori Aoki(ノリ・アオキ)」としている。

NPB史上2人目のシーズン200安打達成者およびNPB史上唯一の2度のシーズン200安打達成者(2005年2010年)。NPB歴代4位のシーズン安打記録(209安打)を保持する(2016年シーズン終了時点)[2]

妻は元テレビ東京アナウンサー、フリーアナウンサーの青木佐知(旧姓・大竹)、2児の父。好物は、うどん

経歴

プロ入り前

日向市立日知屋小学校に入学した後に1年生時から正式に全日知屋スポーツ少年団の一員となり、6年生時には投手として県大会優勝を果たす[3]。しかし日向市立富島中学校ではチームがそれほど強くなく、県大会の上位進出は果たせなかった[3]宮崎県立日向高等学校では2年生時からエースとなり、3年生時の春季大会で優勝を果たすも夏の大会は準々決勝で敗れた[3]早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に指定校推薦で進学。本人は「とにかく勉強するよりなかった」と語っている[4]。高校時代に肩を壊したため、大学では野手へ転向した[3]

早大の同期には鳥谷敬比嘉寿光由田慎太郎、1学年上には和田毅、1学年下には田中浩康、2学年下には武内晋一越智大祐がおり、後に6人全員がプロ入りした強力打線「1番・田中、2番・青木、3番・鳥谷、4番・比嘉、5番・武内、6番・由田」でチャンスメーカーとして活躍し、早稲田大学野球部史上初の4連覇に貢献している。 2002年の3年春の東京大学1回戦では5打数5安打5打点1四球の活躍で、1試合6得点という六大学野球記録を達成した。同年の東京六大学野球秋季リーグ戦では、打率.436で首位打者のタイトルを獲得した。同リーグにおいて、ベストナインを3回受賞している。通算58試合出場で190打数63安打(打率.332)、0本塁打、20打点。

2003年11月19日に行われた2003年のドラフトヤクルトスワローズから4巡目指名を受け、入団した。背番号は「23」。

ヤクルト時代

ヤクルト時代 (2006年)

2004年は一軍での出場は10試合に終わったものの、二軍では打率.372でイースタン・リーグ首位打者と最高出塁率を獲得。リーグ2位の21盗塁を記録し、自慢の俊足をアピールした。同年のフレッシュオールスターゲームではMVPを獲得した。

2005年稲葉篤紀の移籍により手薄になった外野手争いで台頭。開幕から中堅手としてレギュラーに定着。2番を打っていた序盤は低打率で三振を量産していたが、徐々に安打が出始め、6月からは1番に定着した。10月6日にはセ・リーグ記録の192安打を更新。10月11日、イチロー以来史上2人目となるシーズン200安打を達成。最終的には210安打に届かなかったものの、プロ野球新記録のシーズン169単打を記録するなど、202安打を放って最多安打、打率.344でセ・リーグ首位打者新人王にも選出された。

2006年WBC日本代表に選ばれ、中堅手として6試合に出場して優勝に貢献。7月21日に行われたオールスターゲームの第1戦目(明治神宮野球場)ではMVPを獲得(フレッシュオールスターMVP経験者によるオールスターMVP受賞は簑田浩二(阪急)・石井浩郎近鉄)以来となる3人目。翌日にも藤本敦士阪神タイガース)がMVPを受賞し、4人目のダブル受賞者となっている)。オールスター第1戦目でMVPを獲得した際は、松坂大輔から先頭打者安打、二盗成功後に三盗失敗、平凡な右翼フライを落球、吉井理人から本塁打を打つなどした。2006年1月1日に放送されたスポーツマンNo.1決定戦の「ショットガン・タッチ」で世界新記録となる13m60cmを記録。パワーフォースでもNo.1を獲得し、総合3位に輝いた。シーズンでは首位打者こそ逃したものの、両リーグトップの192安打を放ち2年連続の最多安打のタイトルを獲得。課題であった三振が減少、四球が増加し、本塁打打点出塁率も大幅に向上した。得点圏打率.399はリーグトップ。また、41盗塁を記録して赤星憲広の6年連続を阻止し、自身初の盗塁王を受賞した。

2007年7月10日に出場373試合目での史上最速500本安打を達成。チームメイトのアレックス・ラミレスとはシーズン終盤までハイレベルな首位打者争いを繰り広げ、リーグ4位の80四球と警戒されたが、打率.346で2度目の首位打者と初の最高出塁率のタイトルを獲得。安打数はリーグ1位のラミレスの204安打に次ぐ193安打を記録。2005年に記録した自身のセ・リーグシーズン最多安打記録(202安打)はラミレスに抜かれた。また3年連続100得点以上となる114得点でリーグ最多得点を記録。本塁打も20本の大台に乗せ、長打率は初めて5割を超えた。2番が犠打の少ないアダム・リグスから犠打の多い田中浩康に変わったことにより出塁後に犠打による進塁のパターンが増えたため、盗塁数は41から17と激減した。前年まで3番だった岩村明憲の移籍や俊足の飯原誉士の台頭などで、シーズン中は1番だけでなく2番・3番での起用も多かった。古田敦也の引退試合では、古田の前の4番を打った。オフには足の回転を速くする新たなバッティングフォームに変えている。

ヤクルト時代 (2008年)

2008年5月5日に脇腹痛で初の怪我による登録抹消を経験するが、5月29日に復帰後は着実に安打を積み重ね、例年以上の高打率を記録。同じく杉村繁の指導を受けた経験のある内川聖一と共に首位打者争いを繰り広げた。8月には宮本慎也とともに北京五輪代表に選出された。西武から移籍した福地寿樹が1番打者として定着したため、シーズンでは主に3番打者として起用。得点圏打率が前年より下がり、首位打者・最高出塁率も内川に譲ったものの、自己最高の打率.347を記録。規定打席到達者でリーグ最少の47三振と安定感を見せ、チームでは盗塁王に輝いた福地に次ぐ31盗塁も記録した。

2009年2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、2度目の出場。左翼を本職とする選手がいないチーム事情から、経験の少ない左翼手を中心に出場するも、堅実な守備を披露。3番打者として全試合に出場し、37打数12安打・打率.324・0本塁打・7打点の好成績で、大会ベストナインに選出された。3月26日、WBCの活躍により宮崎県知事東国原英夫から宮崎県民栄誉賞を授与された。レギュラーシーズンでは体を痛め調整が上手く出来なかった影響でレギュラー定着以降では初めての大不振に陥り、前半戦を通した打率は.249と大きく低迷。更に怠慢守備も指摘され、一時期は福地との配置転換で左翼手に回される(後述)など苦しんだ。不振に喘ぐ中、ファン投票でオールスターゲームに4年連続で選出され、第1戦では9回に武田久から逆転2ラン本塁打を放って自身2度目のオールスターMVPを獲得。そしてオールスター明けの後半戦からバットを変えるなどの試行錯誤を繰り返した結果、打率4割台と復活を見せ、4番を務めるなどチーム3年ぶりのAクラスの確保、クライマックスシリーズ出場に貢献した。打率は.303と3割以上を保ち、前年苦手としていた得点圏打率も.307を記録し、出塁率.400で自身2度目の最高出塁率のタイトルを獲得した。クライマックスシリーズでも打点を記録するなど活躍したが、3点差の2死一、二塁の場面で岩瀬仁紀の前に空振り三振を喫した。シーズン終了後にテレビ東京のアナウンサー・青木佐知(旧姓・大竹)と結婚し、11月5日に痛みの原因だった両足首三角骨を摘出するために手術を受けた。球団から背番号「1」への変更を打診され続けていたが、ヤクルトの背番号1番はこれまで若松勉池山隆寛岩村明憲といった生え抜きスターが背負ってきた名誉ある背番号であるため、青木本人が時期尚早と固辞し続けていた。しかし、12月3日、若松の殿堂入りを祝う会に出席したことをきっかけに、2010年から背番号「1」を背負うことを決意した[5]

2010年は監督代行の小川淳司によって3番固定だった打順から再び1番固定に戻ると、例年よりハイペースで安打を重ね、日本プロ野球史上初となる2度目のシーズン200本安打を達成(最終的には2005年に記録した202安打を更新し、歴代3位となる209安打を放った)。また自己最高の打率.3585を記録し、自身三度目となる首位打者を獲得すると同時に、若松勉の持つシーズン打率.3583の球団記録を更新。この年は出塁率、OPSにおいても自己最高の数字を記録した。

2011年は全試合に出場したが、この年より導入された統一球の影響からかシーズン当初より不調が続いた。最終的に安打数こそセリーグ2位の170本を記録したが打率は.292に終わり、6年連続で継続していたシーズン打率3割の記録が途切れた。この年までの日本での通算打率は.329だが、通算4000打数以上が条件である通算打率へのランクインには100打数足りていない。10月28日に第1子である長女が誕生[6]。11月10日にはポスティングシステムを行使してのメジャー挑戦を表明[7][8]。12月18日に250万ドルでミルウォーキー・ブルワーズが交渉権を得たことが発表された[9]

ブルワーズ時代

ブルワーズ時代 (2013年)

2012年1月にアリゾナ州メリーベール英語版の球団施設でワークアウトを受け、球団首脳のプレーチェックを受けた[10]。17日に交渉が纏まり、総額250万ドルの2年契約(3年目は年俸190万ドルの球団オプション)でブルワーズへの入団が決定[11]。背番号は「7」。それまで着けていた背番号「1」はコーリー・ハートが、「23」はリッキー・ウィークスがそれぞれ着けていたため、それ以外の空き番号から選ぶ必要があった。スプリングトレーニングでは27試合の出場で打率.299、1本塁打、9打点、OPS.801を残し、スプリングトレーニング参加選手最多の4三塁打を記録。4月6日のセントルイス・カージナルス戦の5回に代打でメジャーデビュー。ハイメ・ガルシアと対戦し、1打数無安打に終わった。20日のコロラド・ロッキーズ戦ではメジャー初本塁打かつプロ入り後初となるランニング本塁打を記録[12]。4月は主に代打や守備固め要員として起用されたが、5月から先発での起用が増え、5月下旬からスタメンに定着。6月7日のシカゴ・カブス戦では日本人初となる、サヨナラ本塁打を含む1試合2本塁打を記録した[13]。前半戦は77試合の出場で打率.301、5本塁打、OPS.818、11盗塁の成績を残し、日本人選手としてはイチロー以来となる打率3割での折り返しを達成[14]。後半戦当初は無安打が続き、7月は打率.260に終わるが、20試合連続出塁を記録するなど出塁率は.342を記録。8月以降は復調し、9月28日のシンシナティ・レッズ戦では10号本塁打を含むメジャー移籍後初の3長打を記録し、日本人ルーキー史上3人目の二桁本塁打・二桁盗塁を達成[15]。10月2日のサンディエゴ・パドレス戦で日本人ルーキーではイチロー以来となる30盗塁に到達[16]。後半戦は74試合の出場で打率.278、5本塁打、OPS.763、19盗塁を記録。日本人史上8人目の規定打席に到達し、シーズン通算では打率.288、ナ・リーグのルーキー中4位の出塁率.355、同7位タイの10本塁打、同1位の30盗塁などを記録し、新人王の投票では5位であった。1番打者としての出塁率.353はリーグ2位だった。

2013年は開幕から1番・右翼手としてスタメン起用され、開幕戦となった4月1日のコロラド・ロッキーズ戦では日本人史上4人目となる開幕戦での本塁打を記録[17]。4月は打率.250に終わるが、5月は14試合でマルチ安打を記録し打率.343と復調する[18]。6月5日のオークランド・アスレチックス戦でNPB/MLB通算1500安打に到達[19]。5月25日のピッツバーグ・パイレーツ戦の第3打席から6月10日のマイアミ・マーリンズ戦の第1打席まで、球団タイ記録となる72打席連続無三振を記録[20]。19日には育休リスト入りし第2子となる長男の誕生に立ち会う[21]。7月8日のレッズ戦でシーズン100安打に到達した[22]。前半戦は88試合の出場で打率.294、4本塁打、出塁率.360、10盗塁の成績を残す。28日のロッキーズ戦でNPB/MLB通算100本塁打に到達[23]。8月10日のシアトル・マリナーズ戦では岩隈久志とメジャー移籍後初対戦するが4打数無安打を喫する[24]。9月7日のカブス戦ではヤクルト時代のチームメイトの林昌勇から安打を放ちシーズン150安打に到達[25]。後半戦は66試合の出場で打率.276、4本塁打、出塁率.350、10盗塁を記録し、シーズン通算では最終的に155試合の出場で打率.286、8本塁打、出塁率.356、リーグ11位の20盗塁の成績を残し、三振率5.9パーセントは両リーグで最も少なく、140本の単打はリーグ最多であった。シーズン終了後には全米野球記者協会ミルウォーキー支部の会員投票によりブランドン・キンツラーと共にチームの“unsung hero(縁の下の力持ち)”に選ばれる[26]。10月29日にチームが翌年の契約オプションを行使[27]

ロイヤルズ時代

2013年12月5日にウィル・スミスとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[28][29]。ロイヤルズでは東京ヤクルト入団時と同じ背番号「23」を着用することが12月10日に決定し[30]、登録名は「Norichika Aoki」から「Nori Aoki」へ変更された。

2014年は開幕から1番・右翼手としてスタメン起用される。4月26日のボルチモア・オリオールズ戦ではチェン・ウェインとメジャー移籍後初対戦[31]。6月10日のニューヨーク・ヤンキース戦では黒田博樹とメジャー移籍後初対戦する[32]。5月下旬から死球による腕や足の痛みに苦しみ[33][34]、5日のカージナルス戦ではヤディアー・モリーナの投手への返球が頭部に当たることもあった[35]。6月17日のデトロイト・タイガース戦では左脚を痛め途中交代し[36]、21日に軽度の肉離れと診断されてメジャー移籍後初の故障者リスト入りする[37]。後半戦から復帰する予定だったが、アレックス・ゴードンの故障に伴い7月11日に復帰する[38]。前半戦は69試合の出場で打率.260、本塁打なし、出塁率.328、7盗塁の成績で折り返す。7月24日のクリーブランド・インディアンス戦ではプロ入り後初の指名打者として出場し、延長14回にサヨナラ安打を記録[39]。8月5日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではロイヤルズ移籍後初本塁打となる満塁本塁打を記録[40]。14日のアスレチックス戦ではNPB/MLB通算500打点を記録[41]。8月24日まではシーズン通算打率.261、出塁率.330を喫し、この月絶好調だったジャロッド・ダイソンの起用に伴い出場のない日もあった。しかし27日のミネソタ・ツインズ戦から9月3日のテキサス・レンジャーズ戦まで6試合連続安打を記録してからは復調[42]。15日にはこの日から3連戦となったシカゴ・ホワイトソックス戦で4安打を記録し[43]、翌日の第2戦でも4安打を記録[44]。さらに翌々日の第3戦でもクリス・セールから3安打を放ち、ジョージ・ブレットが持つ3連戦での球団安打記録を更新[45]。15日からの1週間で14安打、長打3本、打率.636などと活躍して週間MVP受賞が期待されたが、実際の受賞者は先発投手として2勝0敗などを記録したコーリー・クルーバーであった。9月は打率.379と絶好調で、後半戦は61試合の出場で打率.317、1本塁打、出塁率.377、10盗塁の成績を残す。シーズントータルでは、故障の影響もあって打撃面ではメジャー挑戦後最低の成績で、盗塁数も最低の17に留まったが、守備面では初めてDefでプラス(0.2)になった。チームは1勝差で地区優勝には届かなかったがワイルドカードを獲得し[46]、29年ぶりのポストシーズン進出を果たした[47]

オークランド・アスレチックスとのワイルドカードゲームでポストシーズン初出場。9回に同点犠飛を放ち、チームは延長12回で勝利[48]ロサンゼルス・エンゼルスとのディビジョンシリーズ第1戦でポストシーズン初安打を記録[49]。第3戦では1985年フランク・ホワイトとジョージ・ブレットに次ぐ球団史上3人目のポストシーズン全打席出塁を記録し[50]、チームも3連勝でシリーズを突破する[51]。ボルチモア・オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズも4連勝で突破し、チームのポストシーズン8連勝はメジャー歴代最長記録となった[52]サンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズでは、第1戦は1-7で敗れチームの連勝が止まる[53]。チームは第2戦で29年ぶりとなるワールドシリーズ初勝利を挙げるが[54]、2試合連続無安打で第3戦から先発を外れ[55]風邪も発症[56]。第4戦では代打で出場するも併殺打を喫し[57]、第5戦でも先発を外れ守備のみの途中出場に終わる[58]。第6戦で先発に復帰。2打席目でワールドシリーズ初安打となる適時打を放ち、チームも10-0で勝利し3勝3敗となる[59]。第7戦も先発出場するが3打数無安打を喫し、チームも2-3で敗れシーズンを終えた[60]。ポストシーズン通算成績は41打数8安打で打率.195、出塁率.292、OPS.487、特にワールドシリーズでは14打数1安打で打率.071[61][62]と精彩を欠いた。シーズン終了後にFAとなった[63]

ジャイアンツ時代

2015年1月19日に、年俸470万ドル+出来高の単年契約(翌年の契約は年俸550万ドルの球団オプション)でサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ[64][65]。背番号は、ロイヤルズ時代と同じ「23」で、ベンチコーチのロン・ウォタスが着用していた背番号を譲ってもらう形となった[66]。開幕から1番・左翼手としてスタメン起用され[67]、開幕から9試合連続安打を記録[68]。5月25日から27日のブルワーズ戦では3試合で9安打を記録し[69][70][71]、28日のアトランタ・ブレーブス戦まで自己最長となる5戦連続マルチ安打を記録[72]。6月は11日のニューヨーク・メッツ戦まで8試合連続安打を記録し[73]、20日までにリーグ5位の打率.317を記録。オールスターファン投票の中間発表でも外野手部門4位に位置づけるほど好調を維持していたが[74][75]、20日のロサンゼルス・ドジャース戦で右足に死球を受け右足腓骨を骨折し[76]、21日に故障者リストに登録された[77]。7月21日にAAA級サクラメント・リバーキャッツにリハビリ登録され[78]、その後メジャーに復帰。8月9日、シカゴ・カブス戦でジェイク・アリエータから頭部に死球を受け途中交代[79]。12日のヒューストン・アストロズ戦で復帰したが、4回が終わったところでめまいの症状を訴え、5回の守備からベンチに退いた[80]。7日間の故障者リスト入りを経て20日に復帰したものの、その日から5試合連続で三振を喫するなど調子を落とした。そのまま試合に出続けていたが、打率は頭部死球前の.302から.287にまで急降下した。9月5日、練習前に脳震盪のような症状が再発した為スタメンを外れた。その後、数週間のリハビリが必要と診断され休養。シーズン中の復帰を目指していたが、そのままシーズンを終えた[81]。最終的にMLB挑戦後初めて規定打席に到達出来なかった。11月4日に球団が契約オプションを行使せずFAとなった[82]

マリナーズ時代

2015年12月3日にシアトル・マリナーズと1年契約(2017年の相互オプション付き)を結んだ。[83]。背番号は「8[84]

2016年は開幕から不振に陥り、4月の月間打率が.205と出遅れた。5月は月間.284と持ち直したが、6月は再び不調で、6月24日にAAA級タコマ・レイニアーズへ降格となった。降格までの成績はMLB挑戦後ワーストとなる打率.247、OPS.636。特にこれまでのシーズンで得意にしていた対左投手との対戦成績が打率.177と苦しんだ。降格の理由の一つとして、監督のスコット・サーバイスもこの点を指摘している。AAA級では打率.369と結果を残し、約一か月後の7月21日に再昇格。復帰後は主に相手先発が右投手の時に先発起用され、打率.316と好調だったが、直近の対戦投手に左投手が集中するという理由で8月27日に再降格。9月6日に再昇格すると、20試合の出場で打率.379、3本塁打を放つなど復調、チームのポストシーズン争いに貢献した。シーズントータルでは規定打席には届かず、メジャー5年間で、打率、出塁率はキャリアワースト。守備面でもレフト、センターの守備でDRS-4、UZR/150-8.0を記録した。走塁面では盗塁成功率.438(7盗塁9盗塁死)に、牽制死も目立ち、守備走塁に精彩を欠き、総合指標はfWARで+1.2、rWARで1.5だった。

アストロズ時代

2016年11月3日ウェイバー公示を経てアストロズへ移籍した[85]。この時点では保有権がマリナーズからアストロズに移っただけであり、青木は年俸調停権を持っているため、2017年の契約は確定していなかった[86]。11月30日、アストロズと1年550万ドルで契約した[87]。WBC2017日本代表に選出される(背番号は7)。

選手としての特徴

打撃

ヤクルト時代 (2010年)

日本プロ野球では通算打率.329を記録し[注釈 1]、首位打者を3度獲得。安打を量産することから「安打製造機」と称される。メジャーリーグのスカウトからは「MLB以外でプレーしている選手の中で最高の選手。めっきり少なくなった理想的なリードオフマン」[88]「パワー以外のすべてを兼ね備える。コンタクト能力に秀でており、2番打者として理想的な選手」[89]と評されていた。

卓越したミート感覚で安打を量産し[90]、2ストライク後の打率は2007年には球界1位、2010年にもリーグ1位を記録[91][92]。「強く振ること」を心がけ本塁打数が前年から10本増加した2006年からは二桁本塁打を記録する長打力も備えた[93]。プロ入り当初は左投手を苦手としていたが[94]、2005年から2011年にかけては右投手に対し打率.327、左投手に対し打率.333と左右の違いを苦にしなくなった。MLB挑戦後の2013年~2015年にかけては、毎年打率.330以上を記録し、対左を得意とするようになっている。10打数に1個以上の割合で四球を選ぶ選球眼も備え、2007年から2010年まで4年連続で出塁率4割以上を記録した。メジャーリーグ移籍後も三振率で両リーグトップを記録し、ブルワーズ時代に監督を務めていたロン・レニキーから「天賦の才を持っている。あんなに手と目をうまく連動させる選手は、これまで見たことがない」と絶賛された[95]

打撃フォームは例年マイナーチェンジしており[96]、「打てない時期が続くとき、元に戻せるなら問題は簡単です。なかなかそうはいかないから、逆にフォームをちょっとずつ切り替えていくことで打てない時期を短くできる」と言い、何通りかの打撃フォームを状態によって使い分ける[97]

守備・走塁

守備ではジャイアンツ移籍後は第2回WBCでも経験した左翼手として起用されている。ブルワーズ時代とロイヤルズ時代は主に右翼手として起用され、2014年まで右翼手としてDRS13、UZR12.9を記録。外野守備では捕球経路の取り方の不安定さとフェンス際の飛球処理に難があることが指摘されているが[98]、スピードを生かした守備範囲の広さが高く評価されている[98][99]。ヤクルト時代にはメジャーのスカウトから「肩は20-80段階で45(やや平均未満)。レフトが向いている」と評される[88]など肩は特別強いわけではないものの、正確な送球を持ち味としている[96]。一方で、FANGRAPHSにおけるDef指標では2012年から2015年の合計で-9.4としており、平均以下となっている。

ヤクルト時代は中堅手として起用され、2006年・2007年と2年連続で300刺殺以上を記録(セ・リーグ1位)し、ゴールデングラブ賞に選出された。2008年には失策を減らしリーグ1位の守備率.996を記録。2005年から2009年までは簡易RFでリーグトップ3に入っていたが[100]、2010年は右翼方向の打球の処理が悪くUZR-6.3と平均を下回り[101]、失策や記録に残らない雑なプレーを見せることもあった[96]。2009年には監督の高田繁から守備の怠慢さを指摘されており、特に2009年7月30日の広島東洋カープ戦での中堅守備では、田中浩康が弾いた打球に対するカバーを怠ったことで東出輝裕の二塁進塁を許した(記録は田中の失策)ことを試合後に厳しく叱責され、翌日から数試合、左翼手の福地寿樹とポジションを入れ替えられたことがあった[102]。「複数ポジションをこなせるように」との当時の監督の古田敦也の方針で2006年に1試合(8月19日)だけ二塁手として起用されたこともある。

走塁面ではコンスタントに一塁到達4秒を切り[96][103]バント安打時には3.68秒を記録[104]。2006年に盗塁王を獲得している。盗塁成功率はNPB通算7割6分を記録している。メジャー移籍後は2014年までの通算7割と成功率が落ち、またロイヤルズ時代は、メジャー屈指の俊足として知られるジャロッド・ダイソンの存在もあり、試合終盤には代走を送られることもあった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 ヤクルト 10 16 15 1 3 0 0 0 3 0 1 0 0 0 1 0 0 6 0 .200 .250 .200 .450
2005 144 649 588 100 202 26 4 3 245 28 29 7 18 1 37 0 5 113 5 .344 .387 .417 .803
2006 146 680 599 112 192 26 3 13 263 62 41 12 4 1 68 2 8 78 3 .321 .396 .439 .836
2007 143 652 557 114 193 26 2 20 283 58 17 6 4 3 80 15 8 66 4 .346 .434 .508 .942
2008 112 500 444 85 154 29 5 14 235 64 31 9 1 3 42 6 10 47 10 .347 .413 .529 .942
2009 142 624 531 87 161 23 2 16 236 66 18 10 1 4 75 4 13 65 9 .303 .400 .444 .844
2010 144 667 583 92 209 44 1 14 297 63 19 4 0 3 63 7 18 61 10 .358 .435 .509 .944
2011 144 643 583 73 170 18 5 4 210 44 8 3 0 0 51 6 9 55 6 .292 .358 .360 .718
2012 MIL 151 591 520 81 150 37 4 10 225 50 30 8 7 5 43 6 13 53 6 .288 .355 .433 .787
2013 155 674 597 80 171 20 3 8 221 37 20 12 8 3 55 1 11 40 9 .286 .356 .370 .726
2014 KC 132 549 491 63 140 22 6 1 177 43 17 8 8 1 43 0 6 49 5 .285 .349 .360 .710
2015 SF 93 392 355 42 102 12 3 5 135 26 14 5 1 0 30 0 6 25 8 .287 .350 .380 .733
2016 SEA 118 467 417 63 118 24 4 4 162 28 7 9 5 1 34 0 9 45 9 .283 .349 .388 .738
NPB:8年 985 4431 3900 664 1284 192 22 84 1772 385 164 51 28 15 417 40 71 491 47 .329 .402 .454 .856
MLB:5年 649 2670 2380 329 681 115 20 28 920 184 88 42 29 10 205 2 45 214 37 .286 .353 .387 .739
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

MLBポストシーズンでの打撃成績

















































O
P
S
2014 KC 14 48 41 7 8 0 0 0 7 3 1 0 0 1 5 0 1 3 2 .195 .292 .195 .487
出場:1回 14 48 41 7 8 0 0 0 7 3 1 0 0 1 5 0 1 3 2 .195 .292 .195 .487

WBCでの打撃成績

















































2006 日本 6 7 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .200 .333 .100
2009 9 43 37 4 12 1 0 0 13 7 1 1 1 1 4 2 0 4 0 .324 .381 .351
2017 6 29 22 5 4 3 0 0 7 2 0 0 0 0 6 2 1 3 1 .182 .379 .318

北京五輪での打撃成績

















































O
P
S
2008 日本 9 39 34 5 10 1 0 1 14 7 1 0 0 1 3 0 1 5 1 .294 .359 .412 .771

[105]

年度別守備成績



左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF) 外野(OF)
















































2004 ヤクルト - - - 7 6 0 0 0 1.000
2005 - - - 144 320 3 1 1 .997
2006 - - - 146 306 9 5 5 .984
2007 - - - 143 265 6 1 2 .996
2008 - - - 112 229 7 1 2 .996
2009 - - - 141 300 9 3 2 .990
2010 - - - 144 300 5 3 2 .990
2011 - - - 144 321 8 3 2 .991
2012 MIL 13 14 0 0 0 1.000 19 22 1 1 0 .958 107 195 7 2 2 .990 133 231 8 3 2 .988
2013 - 2 1 0 0 0 1.000 149 289 9 3 0 .990 149 290 9 3 0 .990
2014 KC 5 3 0 0 0 1.000 - 119 209 5 2 1 .991 124 212 5 2 1 .991
2015 SFG 86 135 4 0 0 1.000 - 2 1 0 0 0 1.000 88 136 4 0 0 1.000
2016 SEA 99 160 4 0 2 1.000 15 28 1 1 0 .967 - 114 188 5 1 1 .995
NPB:8年 - - - 981 2047 47 17 16 .992
MLB:5年 203 312 8 0 2 1.000 36 51 2 2 0 .964 377 694 21 7 3 .990 616 1056 31 9 3 .992
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 上記の他に2006年に二塁手として、出場1、補殺1を記録している

タイトル

NPB

表彰

NPB
その他
  • WBCベストナイン: 1回 (外野手部門/ 2009年)
  • 日向市民栄誉賞第1号 (2008年) ※黒木知宏と同時受賞

記録

NPB初記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録

背番号

  • 23 (2004年 - 2009年、2014年 - 2015年、2006WBC、2009WBC)
  • 1 (2010年 - 2011年)
  • 7 (2012年 - 2013年、2017WBC)
  • 8 (2016年)
  • 3 (2017年 - )

登場曲

代表歴

脚注

注釈

  1. ^ 3900打数1284安打。4000打数以上が必要な通算打率ランキングにはランクインしていない。しかしながら、あと100打数を記録すれば、その全てが凡退であったとしても.321となり、通算打率1位であるレロン・リーの.320を上回る。

出典

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関連項目

外部リンク