利用者:野村かどかわ/sandbox
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錦町楽天地(にしきちょうらくてんち)は、東京都下立川市の赤線。現在の錦町一丁目十五番。錦町楽天地は風俗街としての性質を担っており、戦前までは陸軍の郭所(遊郭)、戦後は米兵の赤線地帯として栄えた[1]。郵便番号は190-0022[2]。
沿革
戦前
1930年(昭和5年)より、軍部(立川飛行場 飛行第五大隊)の遊郭として栄え、市内の料亭や旅館の要請により芸者を派遣するかたわら、指定地内で女郎屋も兼ねて、その数は全部で約30軒であった[3][4]。
戦後
1946年(昭和21年)1月のGHQによる 公娼制度廃止後には、遊郭から接待所へと、娼妓達は接待婦にと言い直された[5]。
1946年(昭和21年)11月には、日本政府が特殊飲街または赤線地帯認可をしたために、法制度上も復活する事となる[6]。 (米軍に接取された錦町楽天地は、おもに白人が利用した)[7]。
1956年(昭和31年)8月調べで、錦町楽天地には、48業者、181従業員数を数えた。[8]。
1958年(昭和33年)2月売春防止法施行により自主廃業となった[9]。
立川市全体
立川市の赤線は、遊郭のように何人も遊女をかかえるのではなく、1軒で夫婦が女の子を2 - 3人かかえるというシステムのものであった[10]。
基地周辺の立川駅北口(曙町、高松町)にかけては、米兵相手のキャバレー、バー、パンパン宿、ホテル、旅館が立ち並び、立川駅南口(錦町、富士見町、羽衣町、柴崎町)の一部にも同様の施設が置かれた[11]。
立川市の好景気により、赤線業者、パンパン業者達は、横須賀等の他の地区からも女の子を集め、1947年(昭和22年)頃には、特殊女性の数は市内で600名を超えた[12]。
朝鮮戦争時の1950 - 1952年(昭和25 - 27年)頃には、基地の存在による街娼達が5,000人を超えて、都下1番の規模となった[13]。
進駐軍の強姦が日常的におこなわれ、「日本人の女性は実に強姦しやすい。そう騒ぎもせず抵抗もしない」と米兵はのたまったが、女の子が抵抗をすれば殺され、日本人で助けようとする男がいれば、重労働10 - 15年の刑が処せられる状態であった[14]。
なお、当時においては、厳重なプレスコードがあり、日本人が強姦の事実を口外しようものならば、占領政策違反、米軍非協力の罪を課され、重労働の刑に処せられた。この事は、米軍が、この事実を日本人に知られる事よりも、日本の新聞をとおして米国本土の兵士の母、妻、恋人に知られる事を恐れたためであった[15]。
出典
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 42 - 51
- ^ 日本郵便 郵便番号検索
- ^ 上村 (2008) p. 123 - 125
- ^ 中野 (2007) p. 86
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 42 - 51
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 42 - 51
- ^ 中野 (2007) p. 86
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 42 - 51
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 42 - 51
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 42 - 51
- ^ 上村 (2008) p. 123 - 125
- ^ 上村 (2008) p. 123 - 125
- ^ 上村 (2008) p. 123 - 125
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 60 - 77
- ^ 立川・女の暮らし聞き書きの会 (1992) p. 60 - 77
参考文献
- 上村敏彦、2008、『花街・色街・艶な街 色街編』、街と暮らし社 p.123 - 125
- 西田稔、1956、『オンリーの貞操帯』、第二書房
- 西田稔、1953、『基地の女』、河出書房 p.23 p.26 - 27 p.135 - 137 p.215
- 神崎清、1974、『売春』、現代史出版会 p.197
- 三田鶴吉、1987、『立川飛行場物語(下)』、けやき出版
- 東京都民生局、1973、『東京都の婦人保護』、東京都民生局
- 中野隆右編集、2007、『立川(昭和二十年から三十年代)』、ガイア出版 p.86 p.156
- 立川・女の暮らし聞き書きの会、1992、『つむぐ八号(占領下の暮らし)』、立川・女の暮らし聞き書きの会 p.42 - 51 p.60 - 77