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ダウンタウン (お笑いコンビ)

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ダウンタウンは、吉本興業所属の人気漫才コンビ

メンバー

浜田雅功 (はまだ まさとし)

松本人志 (まつもと ひとし)

  • ボケ担当。3人兄弟の末っ子(二男)。愛称は「松ちゃん(まっちゃん)」・「まっつん」(学生時代の友人らが使う)。番組の企画や構成にも参加したりする。

概要

1980年代前半の漫才ブームでB&Bツービート紳助・竜介等の早いテンポの「ビート漫才」が脚光を浴びた後、遅くてスローテンポな「ダラダラ漫才」を確立させた漫才コンビでもある。ダウンタウン登場以降漫才のレベルが急激に上がり視聴者の笑いに対する意識も変った。現在は、テレビ番組を中心に幅広く活躍中。ソロでの活動も積極的に行っている。

小学校より同級生であった浜田と松本は、浜田の誘いにより高校卒業後に吉本NSC1期生としてコンビを結成。コンビ名は「松本・浜田」「まさし・ひとし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、1983年に「ダウンタウン」と命名。2005年11月オリコンの「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」で好きな芸人部門1位に輝くなど、テレビ雑誌などの一般アンケートによるお笑いコンビの人気ランキングには常に上位に名を連ね、多くのファンに支持される。また、テレビ業界内での評価も高く、お笑いコンビでは唯一、TBSフジテレビ日本テレビにてゴールデンタイムプライムタイムに看板番組を持つ。デビューから20余年たった現在も第一線で活躍する名実ともに日本を代表するお笑いコンビである。

高校卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)に一期生として入り、師匠を持たないいわゆるノーブランド世代のはしりとなる。同期にはトミーズハイヒール内場勝則浜根隆前田政二などがいる。一部で松本とトミーズ雅は仲が悪いといわれた事もあったが、松本は著書でトミーズを友人と認める発言をし、雅はテレビ等で松本との友情の逸話を語る事も少なくない。一説では雅が松本を若手の頃に殴り、十年ちかく経ってから雅が松本にブラウン管越しに謝罪をした、というのがある。初めはトミーズがダウンタウンより売れていたが90年代前半頃からそれが逆転し、どんどん売れていくダウンタウンに雅が嫉妬していたのは事実で、本人も「さんまのまんま」に出演した際にその事を話している(また、浜田は自身の司会を務める『浜ちゃんと!』(読売テレビ)でトミーズ、ハイヒール、内場勝則とともに共演)。また後輩の清水圭との不仲もささやかれていたが、浜田とはドラマ「明日があるさ」で共演している(ジョージアのCMでも共演。清水は浜田と同期の青年実業家役)。若手時代からハイヒールとは仲が良く、浜田の番組で共演したこともある。リンゴの脱走を三人で手伝ったことがある、とモモコが語っていた。

松本の手によるシュールレアリスム溢れるネタは、以降漫才のスタイルがほとんどダウンタウンのコピーになってしまったといわれるほどの強烈なインパクトを与えた(ダウンタウンは、かの島田紳助松本竜介の影響を強く受けており、紳・竜の漫才テープをそっくりそのまま真似できるほど繰り返し聴いていたという。しかし島田紳助は「(ダウンタウンが)それほど自分たちの影響を受けているとは思わなかった」と語っている)。因みに島田紳助が漫才から身を引いたのは、当時まだ有名ではなかったダウンタウンの漫才を見た事がきっかけの一つと語っている(ちなみに新聞の見出しは「紳竜解散! サブローシローらには勝てない(ダウンタウンは当時まったくの無名だったため省略された)」だった。余談ではあるが、新人時代には多くの先輩芸人から疎まれたダウンタウンの2人だが、サブローシローの2人には可愛がられたらしい。)。それは、「ダウンタウンの遅いテンポの漫才では売れない」との紳助の読みが、ある日のダウンタウンの舞台を見て間違っていた事に気付いたからと言われている。一週間区切りの日程で、ダウンタウンの漫才が観客にどう映っているかを見た紳助は、その足で会社へと出向き、自らの漫才からの引退の旨を伝えたという。浜田自身は上方よしおの技術にも強く影響を受けている。才能がモノを言うボケ、努力とテクニックがモノを言うツッコミという定説通り、浜田は多くの先輩芸人のツッコミを観察・研究し、今のスタイルを完成させたらしい。

しかしデビュー時、2人が向かい合うように立って声を張らずに喋り続けるダラダラした漫才スタイルは、横山やすしから「チンピラの立ち話」と叱責されるほど異端であり(松本が相方の浜田雅功とライト兄弟時代に出演した演芸番組(「ザ・テレビ演芸」)で、「家庭内暴力の報道が少なくていいな」という浜田に対する松本の「どこがええねん、親を甘やかしたら駄目ですよ、親なんか子供が本気出せばすぐに殺せるというこを教えとかなあいつらに」と言ったネタに対して、やすしが「親をけなしたり、それはテレビで言うような漫才ちゃうやん。八尾(大阪府八尾市)のチンピラが立ち話しでもしとんのか!」と言い放っている)、一般に定着するには数年を要した。このやすしとの一件について松本は「チンピラの立ち話で結構。チンピラが立ち話をしていて、何か聞いてみたら面白かった。それでいい。」と著書で語っている。漫才に関しては、ビデオ「ダウンタウンの流」を最後に封印している。形を作った漫才をやらない理由として、「カッチリ作った漫才よりも、ガキでやってるフリートークの調子いい時の方が面白いんじゃないかと考えると難しい」と語っている。

「漫才師」という古めかしい肩書きを嫌い、松本は「スーパーギャグメッセンジャー」などと自称していたこともある。その後は「お笑い芸人」「コメディアン」と自称することが多いが、そのころは「お笑い芸人」という言い方は漫才師以上に古式ゆかしい言い方だったが、今やそんなイメージなく、若手でも抵抗なくそう名乗ることができるのはダウンタウンのおかげでもある。松本自身は「もう漫才をやらないんですか?と聞かれることが多いけど、やるとかやらない以前に僕には漫才師の血が流れてる」と「漫才師」という職業への愛情を語っている。「欽ちゃんの仮装大賞」に出演時の肩書きは「松本人志(27) 2名 大阪府 漫才師」であった。

番組に出る際は、浜田はカジュアルな服装で、松本はスーツ姿で臨む。松本はネクタイの先をズボンの中に入れるのが常となっている。

ブレーン的位置にいる高須光聖や、ミュージシャンとしても活動する倉本美津留らの放送作家陣は、彼らの成功に無くてはならない存在であった。

松本人志の著書『遺書』『松本』(共に週刊朝日で連載したものをまとめたもの)は出版界では異例の550万部の売り上げを記録。タレント本売り上げでは、黒柳徹子窓ぎわのトットちゃんに次ぐ歴代2位を今(2006年現在)も守っている。他の著書に、『図鑑』『松本』『松本人志 愛』『松本坊主』『シネマ坊主』『シネマ坊主2』『松本裁判』『プレイ坊主』『松本人志の二元論 好きか、嫌いか』『定本・一人ごっつ』『哲学(島田紳助との共著)』などヒット多数。番組本以外は最低でも20万部以上売れるベストセラー作家でもある。どの著書も松本の突飛な発想が好評で、注目を集めた。

浜田雅功がメインボーカルをつとめる、H Jungle with tの1st single『Wow War Tonight』は200万枚を超えるセールスを記録した。その後奥田民生プロデュースでも楽曲を発表した。また、2004年11月「浜田雅功と槇原敬之」というスペシャル・ユニットで松本作詞のクリスマスソング「チキンライス」をリリースした。

二人が絡んでの企画ものの音楽活動も数多くこなしており、ヒットを多発している。 ゲイシャガールズエキセントリック少年ボウイオールスターズRe:Japanなど。

日本を代表するベテラン芸人にも関わらず、罰ゲームなどで体を張ったり(真冬の海に裸で入る等)、ヨゴレ役になる事が若手芸人よりも圧倒的に多い。が、松本は「世間は、自分たちが若手をいじめて楽しんでいると思っている」と時々ぼやく。

- - 同世代との絡みがほとんどないダウンタウンだが、「夢で逢えたら」で共演したウッチャンナンチャンとは仲が良く、ウッチャンナンチャンがダウンタウンより3年後輩で年齢もダウンタウンのほうが上であるにも関わらず、『松ちゃん』『浜ちゃん』と呼ばれている。その為か、ウンナン一派の出川哲朗(出川は学年こそ同じだが、後輩であるため、『松本さん』『浜田さん』と呼ぶことが多い。)や勝俣州和との仕事も多く、最近では「リンカーン」でさまぁ~ずとも共演している(2006年の笑いの祭典で松本は三村とコントも行った。)。近年では殆ど共演が観られない両組だが、2003年に開催された第3回M1グランプリでは松本と南原お笑い第三世代代表として決勝戦の審査員を務め、しかも、隣同士の席順であったために、めったに観られないツーショットとして、お笑いファンを喜ばせた。また、最近では内村NOPLANの一員として「HEY!HEY!HEY!」に度々出演し、共演を果たしている。

二年先輩の芸人、とんねるずとの不仲説が噂されたこともある。しかし確たる事実があるわけでもなく、真相は定かではない。なお、この2組の共演は1994年10月3日に放送された「FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル」を最後に、現在に至るまで10年以上も実現していない。このスペシャルの収録前に浜田が石橋貴明の楽屋へ挨拶へ行った際、若手芸人やファンを追い払うかのように振舞ったため浜田がそれに憤りを感じた、という説がある。しかし実際の放送で浜田はとんねるずの二人に積極的に絡んでおり、石橋も浜田の方を向いて笑ったりしていたため、真偽のほどは不明。 - 日本テレビでオンエアされていたとんねるずの番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」から遅れて、ダウンタウンの「生生生生ダウンタウン」がTBSで始まった頃は、マスコミがこの二組をライバルのように扱うことも多かった。 - しかし「生生生生」で松本が「始まりましたね、生でダラダラダウンタウン」と言えば、翌週の生ダラ終了間際、木梨が「来週も生生生生とんねるず見てねー」とエールを送ると言った具合で、当人たちはマスコミの煽りも楽しんでいた感すらある。 - さらに松本は「とんねるずとは班が違う」や「Re:Japanうたばんに出てもいいし、野猿HEY!HEY!HEY!に出てもええのに、なんで実現せえへんねやろ?」と「放送室」でも発言している。自著『松本』にもとんねるずの番組を見た、といった発言が見られる。

実は浜田、松本の2人はプライベートではあまり親密ではない。仲が悪いわけではないが、移動手段や楽屋が早くから別だったり、お互いの携帯番号すら知らないらしい。因みに、携帯電話というものが普及してから2人が電話で話したのは「ごっつええ感じ」で浜田が怒り狂ってロッカーを蹴り、右足を剥離骨折した時に松本から電話した、ただの一度きりである。お互いが2人きりになる事が出来ないらしく、打ち合わせ等で担当マネージャートイレに行かない様に延々と喋り続けるらしい。時折そのことを松本がネタとして話すことがある。

略歴

松本人志と浜田雅功は潮小学校大成中学校の同級生であったが、二人が親密になりはじめたのは同じクラスになった中学2年生の頃。二人は同級生らと放送部に入る。高校は別だった。お互いを「はまちょん」「まっつん」と呼び合う仲だった。

小学生の頃、初めて松本が浜田を目撃した時、浜田の格好は白いパンタロンにパーマ頭でサンドバッグみたいな鞄を持っており、松本曰く、「モンゴルからの留学生や思た」「イタリア人かと思た」(このエピソードを語るたびに毎回違う)。逆に浜田の松本に対する印象は「正露丸(日焼けで真っ黒のため)」だったらしい。小学校での松本は、同級生の伊東くんと森岡くんとトリオ"コマ第三支部"を組み、その頃から漫才やコントを披露していた。浜田も当時からコンビを組んでいた。中学の頃、浜田と松本の相方・伊東がケンカし、浜田が勝利。「まっつん、行こうや!」という浜田の言葉に、松本は一瞬どうしようかと考えたが、浜田が歩き出した方角が浜田の自宅とはまったく反対だったことと、伊東の家がすぐ近くだったことも手伝って、知らず知らず浜田の方に付いていった。ダウンタウン誕生の瞬間である。この時の事情は、後に伊東氏が語ったワニブックス「放送室の裏」に詳しい。

浜田は高校で全寮制の学校「日生学園」に入れられた為、しばらくの間二人は離れ離れになった。厳しい学校だったらしく、何度も脱走を繰り返したと本人が話している。例えば、トイレを素手で洗わせられるほど。今田耕司はこの学校の姉妹校の浜田の二年後輩だが、こちらは脱走に成功し、退学して夜間高校に入りなおした。ちなみに、浜田はこの学校にいたということが非常にコンプレックスであるらしく、番組などで担任の先生が登場したり、何度も話題にあがっているものの、浜田自身の口から学校名が出たのを松本は一度も聞いたことがないという。脱走しては松本に電話し、お金を借りて飯を食わせてもらうという生活を続けていた。一方の松本は公立の高校「尼崎工業高校(機械科)」に入学し運動会の応援団長をしていたが、徐々にチンピラ化していき、学校をサボって中学時代から続いていた彼女とほとんどずっと遊んでいた。彼女がアルバイトに行く時は自転車の荷台に彼女を乗せ、送り迎えをしていたという。また、その彼女とラブホテルに行ったとき、ライトカバーの無い剥き出しの電球に自分の着ていた服を掛けていたら、電球の熱でその服が徐々に燃えていき、ボヤを起こしそうになった事がある。というネタか事実かわからない話を、デビュー当時はネタにしていた。また浜田と2人で買い物に行った時に浜田がお金が無く、仕方なく松本が3千円を貸したのに、いつまでも浜田が返さない事に未だに根に持っている、というネタをやり続けたことがある。これも事実かどうかはわからない。

卒業後の1982年、競艇選手の試験に落ちた浜田が、すでに印刷工に就職が内定していた松本を尼崎の公園に呼び出して、「なぁまっつんよ、あの話、覚えてるか? 吉本入れへん?」と吉本の芸人養成所「NSC」に誘った(ダウンタウンは大阪のNSC一期生)。芸能界に入った二人は先輩芸人からは「お前らなかなかおもろいやないか」と認められていたものの、客からは全くウケない日々が続き「帰れコール」を浴びたこともあった。自分たちの舞台を、自分たちで作って客引きするも全く客が入らず、「タダでもええから見て」と苦労する日々が続く。しかしデビュー6年目の1987年4月、二人の努力が実り、当時関東を中心に社会現象を巻き起こしていた番組夕やけニャンニャンフジテレビ)に対抗して毎日放送が関西ローカルで制作した「4時ですよ~だ」という初の看板番組でブレイク。関西を中心にアイドル的人気を得るようになる。1989年、「4時ですよ~だ」の終了とともに東京に進出。「恋々ときめき倶楽部」や、「全員出席!笑うんだってば」などの低視聴率番組に出演し東京の厳しさを知るが、ウッチャンナンチャンらと共演した深夜コント番組「夢で逢えたら」や、現在も続く「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」という看板番組を得て徐々にブレイク。やがて明石家さんま島田紳助と並ぶ、吉本を代表する大御所芸人となり、現在に至る。

東京進出した今でも何らかの形で在阪民放局の番組をもっているが(例;人気者で行こう朝日放送ダウンタウンDXよみうりテレビなど)、東京進出後の関西テレビ制作の出演番組が全くない。大きな理由として自身の番組で上沼恵美子と上沼の夫(関西テレビの重役)の中傷・批判をしたらしく、そのことで関西テレビから閉め出されたという説がある。上沼夫妻との確執が原因で『HEY!HEY!HEY!』(フジテレビ)の特番が関西地区で1時間短縮(20:00スタート)されることが多い。その前の時間が上沼恵美子の『快傑えみちゃんねる』だからなおさらである。ただし、上沼恵美子は『HEY!HEY!HEY!』に出演した事があり、ダウンタウンとも問題なくトークを行っていた(上沼はダウンタウンの才能を評価していた)。また、松本紳助にて松本との共演も果たしている。以上の事から、この説の真偽は不明である。

作品

シングル

以上がダウンタウン関連のシングル。

2004年11月「浜田雅功と槇原敬之」という音楽ユニットのクリスマスソング『チキンライス』の作詞は松本が担当したりと、共同作業もある。

アルバム

ビデオ

  • ダウンタウン物語(1988年)
  • OH! MY ハレルヤ(1988年)
  • ダウンタウンホラー・大魔神怒る(1989年)
    ウッチャンナンチャンがゲスト参加したコメディ。
  • ダウンタウンの流(1991年)
    漫才、ショートコントを収録。
  • ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1-10(1995年 - 1998年)
    同テレビ番組から傑作コントを厳選。
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! Vol.1~7(1995年 - 1998年)
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 10周年記念傑作トークベストセレクションVol.1~4(1999年)
  • 明日があるさ(2001年)

DVD

  • The Very Best Of ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1~5(2003年)
  • Vol.1「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ! +名作&傑作トーク集」(2004年)
  • Vol.2「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本一人ぼっちの廃旅館2泊3日の旅! +名作&傑作トーク集」(2004年)
  • Vol.3「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本チーム絶対に笑ってはいけない温泉旅館の旅!+名作&傑作トーク集」(2004年)
  • Vol.4「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 抱腹絶倒列伝! 新作トーク集 +15年間の罰ゲームの系譜他」(2004年)
  • Vol.5「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 絶対笑ってはいけない温泉宿1泊2日の旅 in 湯河原+名作 & 傑作トーク集」(2005年)
  • Vol.6「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 山崎vsモリマン 男と女の真剣勝負! 笑の神が降りた奇跡の名場面集」(2005年)
  • Vol.7「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 笑魂投入伝! 傑作トーク集!!」(2005年)

出演

ダウンタウンとしての出演番組を記載。ソロでの出演作品は浜田雅功松本人志出演の項目を参照。

現在放送中のレギュラー番組

テレビドラマ

過去に出演したバラエティ番組

ラジオ

CM

受賞歴

  • 今宮こどもえびす新人漫才コンクール 第3回 福笑い大賞
  • NHK上方漫才コンテスト 第14回 優秀賞
  • ABCお笑い新人グランプリ 第5回 最優秀新人賞
  • 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 第21回 新人奨励賞
  • 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 第22回 奨励賞
  • 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 第23回 奨励賞
  • 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 第24回 大賞
  • 花王名人大賞(花王名人劇場) 第7回 最優秀新人賞
  • 日本放送演芸大賞(フジテレビ) 第15回 最優秀ホープ賞

書籍

関連書籍

  • タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
  • タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1~6(1995年 - 2003年、ワニブックス)
  • 発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
  • ダウンタウンの理由(1997年、集英社ISBN 4087802388
  • ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
  • ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
  • ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085

写真集

ダウンタウン一派

関連項目

(五十音順)

外部リンク