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三菱リコール隠し

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三菱リコール隠し事件(みつびしリコールかくしじけん)とは、2000年(平成12年)7月に発覚した三菱自動車工業(以下、三菱自工)の乗用車部門およびトラックバス部門(通称:三菱ふそう、現:三菱ふそうトラック・バス)による、大規模なリコール隠し事件をいう。

その後も、2004年(平成16年)にトラック・バス部門の更なるリコール隠しが発覚。乗用車部門も再調査され、国土交通省によると、2000年(平成12年)時点の調査が不十分だったことが判明した。これが決定打となって、三菱自工・三菱ふそうはユーザーの信頼を失い販売台数が激減、当時筆頭株主であったダイムラー・クライスラー(現:ダイムラーAG)から資本提携を打ち切られるなど、深刻な経営不振、廃業の危機に陥ることとなったが、その後三菱グループ三菱重工業三菱商事三菱東京UFJ銀行)による様々な救済を受け、廃業の危機を脱した。

企業倫理の問題として、自動車業界とは異業種ではあるが、タイレノール殺人事件ジョンソン・エンド・ジョンソン製品への毒物混入事件)における迅速な対応などと対比されることもある。

また本事件を基にした、池井戸潤経済小説空飛ぶタイヤ』も出版された。

概要

2000年(平成12年)7月18日までに、当時販売台数ベースでトヨタ自動車日産自動車本田技研工業に次ぐ乗用車国内シェア4位の自動車メーカーであった三菱自動車工業(三菱自工)が、1977年(昭和52年)から約23年間にわたり、10車種以上(最初の届け出だけでもランサーエボリューションを含むランサー、およびギャランレグナムディアマンテパジェロチャレンジャーシャリオグランディスなど乗用車系で6件約45万9,000台、大型・中型トラックで3件約5万5,000台)、計18件約69万台にのぼるリコールにつながる不具合情報(クレーム)を、運輸省(現・国土交通省)へ報告せず社内で隠蔽していた事実が、同年6月に運輸省自動車交通局のユーザー業務室になされた、三菱自動車社員による匿名内部告発で発覚した。

内部告発の内容は、不正の要所を衝いており、どのように調査を進めるべきか、どこに資料や情報が隠されているか、どのように隠蔽工作を見破るべきかまで指示する具体的なものであった[1]。「品質保証部の更衣室のロッカー」「本社と岡崎の情報を突合せよ」という、あまりにも具体的過ぎる情報である[2]

運輸省によると、三菱自工はユーザーからのクレーム情報を、本社の品質保証部に集約・管理していたが、クレーム情報のうち、運輸省向け届出情報は「Pマーク」を、運輸省に知られたくない物などに「秘匿」の意味で「Hマーク」を付けて区分し、同省の定期検査では、H区分のクレームを提示していなかった。二重管理による情報仕分けは、1977年(昭和52年)から行われ、同社が東芝に作らせた品質情報管理システム[3]を導入した1992年(平成4年)以降は、コンピュータシステムで分類していた。

その一方で、リコール制度発足から30年以上にわたって、運輸省に欠陥を届け出ずにユーザーに連絡して回収、修理する「ヤミ改修」も行われていた。リコールの案件は、「ランサーなどでエンジン関連部品のクランクシャフトのボルトに欠陥があり、エンジンが停止する」「ギャランなどで燃料タンクのキャップが壊れ燃料が漏れる」「RVRのスライドドアが不具合を起こす」など[4][5][6]

一連のリコール隠しにより欠陥車を放置した結果、同年6月には熊本市内で、ブレーキの欠陥によりパジェロがワゴン車に追突、ワゴン車に乗っていた2人が首に2週間の怪我をする人身事故が発生している。このリコール隠し事件の責任を取り、当時の代表取締役社長であった河添克彦が同年8月28日に引責辞任する意向を固め[7]、9月8日の正式発表[8]を経て11月1日付で辞任した[9][10]

また同年8月27日には、警視庁交通捜査課などが道路運送車両法違反の疑いで、三菱自工本社や岡崎工場(愛知県)など5ヵ所を家宅捜索した[11]

東京地方検察庁は翌2001年4月25日、1999年の運輸省の立入検査で約10,300件の不具合情報を隠したとして、三菱自工の宇佐美隆副社長らを道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で書類送検した。副社長らは5月8日、東京簡易裁判所から罰金20万円、法人としての三菱自工も同40万円の略式命令を受けた。

この時点で、国土交通省から「全ての自動車欠陥情報を開示」するよう求められたが、1997年以前の情報を隠し、クラッチハブの欠陥対策をとらなかった[12]

このリコール隠しで、三菱自工は市場の信頼を失い販売台数が急減。最高経営責任者(CEO)に、資本提携先のダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロートを迎え入れ経営再建をはかるが、2002年、大型車(ザ・グレートスーパーグレートエアロエース、エアロクィーンエアロスターエアロキングなど)のタイヤホイール)脱落事故が発生し、構造上の欠陥と更になるリコール隠しの疑念が濃厚となる。

2003年、三菱自工はトラック・バス部門を子会社の三菱ふそうトラック・バスとして分社化するも、2004年には、2000年のリコール隠しを更に上回る74万台ものリコール隠しが発覚、2004年4月22日、三菱自工の筆頭株主であったダイムラー・クライスラーが財政支援の打ち切りを発表。三菱自工の社長に就任していたエクロートが任期を待たずして4月26日限りで辞任した。

同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故(後述)で、三菱ふそう前会長の宇佐美や元常務ら7人が神奈川県警察逮捕され[13]、同月27日に横浜区検察庁横浜地方検察庁は宇佐美ら5人と法人としての三菱自工を起訴した[14]。さらに、6月10日には別の事故で三菱自工の河添元社長や宇佐美ら元役員6人が、神奈川県警察・山口県警察などに逮捕された[15]

一連の不祥事により、三菱自工及び三菱ふそうは、以下の制裁措置を受けた。

2006年9月には、ユーザーから寄せられた不具合情報を共有可能とする新品質情報システムの導入を発表した。これにより、不具合の原因究明における統計分析の迅速化や、販売会社での修理手順・見積もりの照会などを可能とし、品質改善の迅速化を図っているとしている[18]。しかし2005年2月に把握していた欠陥を、2012年に国交省に内部告発されるまでリコールしない、2016年(平成28年)4月には10・15モード燃費JC08モードの燃費偽装など、その後も問題を起こしている。

本事件は刑事裁判となり、全てが三菱自工および三菱ふそう側の有罪で確定した。なお、2008年1月に横浜地方裁判所が有罪判決を下した際には、弁護団が「なぜ有罪になるのか理解できない。こんな判決では、製造会社の場合、人身事故が起きたら、企業のトップは必ず刑事責任を取らなくてはいけない。極めて安直だ」とコメントし、閉廷後すぐに控訴している[19]。また、佐高信は宇佐美の責任を追及する声が部下たちから上がってきていないようであることや[20]、「あの三菱自動車が」という論調であったことを指摘している[21]

死亡事故

一連のリコール隠しにより、2002年に2件の死亡事故が発生した。

横浜母子3人死傷事故

2002年1月10日、神奈川県横浜市瀬谷区下瀬谷2丁目交差点付近の中原街道で発生した事故[22]

綾瀬市内の運送会社が所有する重機を積載して片側2車線の走行車線(事故当時、付近にガードレールはなかった)を大型トレーラートラックのトラクター(ザ・グレート、1993年製)の左前輪(直径約1m、幅約30cm、重量はホイールを含めて140kg近く)が外れて下り坂を約50m転がり、ベビーカーを押して歩道を歩いていた大和市在住の母子3人を直撃。母親(当時29歳)が死亡し、長男(当時4歳)と次男(当時1歳)も手足に軽傷を負った[23][24]

神奈川県警が車両の検分を行ったところ、事故を起こした車両はハブが破損し、タイヤホイールブレーキドラムごと脱落したことが判明[25]。三菱自工製の大型車のハブ破損事故は、1992年6月21日に東京都内で冷凍車の左前輪脱落事故が確認されて以降計57件発生し、うち51件で車輪が脱落していた(うち事故車両と同じ1993年製が7割を占めていた[26])。

三菱自工側は、一貫してユーザー側の整備不良が原因と主張したが、事故を起こした車両と同じ1993年に製造された三菱自工製のトラックに装着されているハブの厚みが、その前後の型や他社製よりも薄い構造であり、六角ボルトへのトルクを強く掛けすぎた場合や、カーブや旋回時に掛かる荷重により、金属疲労が生じ、ハブが破断しやすいことも判明した[27]

これを受け、三菱ふそうは2004年3月24日、製造者責任を認めて国土交通省にリコールを届け出た。さらに同年5月6日、宇佐美ら5名が道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で、品質保証部門の元担当部長ら2名が業務上過失致死傷容疑で逮捕され(5月27日に起訴)、法人としての三菱自工も道路運送車両法(虚偽報告)容疑で刑事告発された[28]

なお、この事故で死亡した女性の母親が約1億6550万円の損害賠償を求めて提訴した民事訴訟では、2007年9月、会社側に550万円の支払いを命じる判決が最高裁で確定した。このとき、原告の訴訟代理人を担当した青木勝治弁護士は、損害賠償金を代理人である自分の口座に振り込ませ、遅延損害金を含めた約670万円を預かった。しかし、訴訟当初の約1億6550万円の請求額を基準に報酬額を約2110万円と算定し、「自分が預かっている約670万円と相殺する」と通知して、原告に賠償金を一切渡さなかった。

2010年6月、横浜弁護士会は「当初550万円としていた賠償請求額を一方的に1億6550万円に増額し、これに伴う報酬の変動についても、原告に説明せず、いきなり2000万円以上という高額報酬(最高裁判所で確定した賠償額は、当初の請求額である550万円)を原告に要求した」などとして、同弁護士を業務停止6か月の懲戒処分とした[29]

山口トラック運転手死亡事故

2002年10月19日の深夜、山口県熊毛郡熊毛町(現・周南市)の山陽自動車道熊毛インターチェンジ付近で発生した事故[30][31]

鹿児島県内の運送会社に勤めていた、同県国分市在住の運転手の男性(当時39歳)が運転する、野菜を積んで大阪・名古屋方面へ向かっていた9トン冷蔵貨物車(ザ・グレート)が料金所を減速なしで通過、インター先で合流する山口県道8号徳山光線の中央分離帯も乗り越え、道路脇に設置された歩行者用地下道の入口構造物に激突した。冷蔵車は大破して男性は死亡した[32]

関係者や当時の記録によると、プロペラシャフトの一部が脱落した後、車体側に残されたシャフトが振り子のような異常振動を始めた。料金所へ向かう急な下り坂のS字カーブに入ったとき、振動はさらに激しくなり、シャフトに並行して設置されているブレーキ配管が破壊され、制動不能に陥った。

山口県警察は「この事故」に関して、通常、関西方面に向かう自動車が熊毛ICで降りることは無いから、運転手が何らかの異常を感じ、点検のため高速道路を降りようとしたのではないかとみて、この事故に関し現場検証を行った。その結果インターの手前約3.4kmの地点に、事故を起こしたトラックから脱落したプロペラシャフトの一部が発見され、路面には脱落時にできたとみられる窪みも確認された。同県警では整備不良と車両欠陥の両面から捜査を行っていたが原因は不明のままに終わり、死亡した男性が道路交通法違反(安全運転義務違反)容疑で被疑者死亡のまま送検された。

しかし後の2004年になり、山口地方検察庁は「事故は構造的な欠陥を抱えていたプロペラシャフトが破断し、それがブレーキ系統を破壊したことによって引き起こされた」と最終的に判断し、男性を改めて不起訴処分とした[33]

刑事訴訟

リコール隠し(道路運送車両法違反)

2006年12月13日、横浜簡易裁判所は、過去の報告のうち9件は虚偽と認めたが、国土交通大臣による報告要求がなく国土交通省リコール対策室による要求であり犯罪成立要件を満たしていないとして、無罪判決とした。しかし、2008年7月15日、東京高等裁判所は、リコール対策室に権限が委ねられており国交相も了承しており犯罪が成立するとしてこれを破棄し、宇佐美ら3人と法人としての三菱自工に対し、それぞれ求刑通りの罰金20万円の有罪判決とした[34]

2010年3月9日、最高裁判所第1小法廷は被告側の上告を棄却、宇佐美ら3人の有罪が確定した。法人としての三菱自工も、二審有罪判決の上告を行わず有罪が確定している[35]

横浜母子3人死傷事故(業務上過失致死傷)

2007年12月13日、横浜地方裁判所は「欠陥の把握は可能だった。放置すれば人に危害が及ぶことも容易に予測できた」と認定し、元市場品質部長と元同部グループ長の両被告にいずれも禁固1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。

2009年2月2日、東京高等裁判所は元市場品質部長と元同部グループ長の両被告にいずれも禁固1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した地裁判決を支持し、両被告の控訴を棄却した。判決では、「事故原因を強度不足と断定できなくても、その疑いがあった時点でリコールしていれば2002年の事故も防止できた」として、両被告の過失を認定した。

2012年2月8日、最高裁判所は上告を棄却し有罪判決が確定した。事故原因については、過去に多数発生した破損事故にハブの摩耗の程度が激しくないものも含まれていたなどとして、「強度不足の欠陥があったと認定できる」とした[36]

山口トラック運転手死亡事故(業務上過失致死)

この事故をめぐり、業務上過失致死罪に問われた件については宇佐美を含む4名は控訴を取り下げ、一審横浜地裁で言い渡された禁固2年、執行猶予3年の有罪判決が確定している[37]

略年表

  • 1990年6月 - 大型車で確認できる最初のクラッチ系統の破損事故が発生。
  • 1992年6月 - 大型車で最初のハブ破損事故が発生。
  • 1996年5月 - クラッチ系統についてリコール対策会議が開かれる。欠陥を認識したが、リコールは届け出ず2000年にかけて「ヤミ改修」を続ける。
  • 1999年6月 - 広島県内で中国ジェイアールバスが運行する高速バス車両のハブが破損し、車輪が脱落。これまでに十数件のハブ破損があったが、元市場品質部長と同部グループ長は対策を怠り、母子死傷事故を引き起こした(2004年5月27日に業務上過失致死傷罪で起訴)。
  • 1999年7月 - 8月 - バスの車輪脱落で個別対策会議。運輸省に「整備不良」と報告することを決定。
  • 2000年7月18日 - リコール隠しが発覚、河添社長が引責辞任。このときの調査対象を過去2年間のみとしたため、それ以前の問題に手が付けられることは無かった。これを最初に報じたのは『読売新聞』7月18日付夕刊である[38]
  • 2000年11月 - 河添の後任に園部孝(故人、- 2003年10月29日)が就任。園部は2002年6月から死去日まで会長職を務めた。
  • 2002年1月10日 - 横浜市でハブ破損による母子死傷事故発生(前述)。三菱自工側はトラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
  • 2002年1月 - 2月 - 母子死傷事故をめぐる「マルT対策本部会議」が技術的根拠もなく、ハブの交換基準を決定。
  • 2002年2月 - 宇佐美ら、国交省に対しハブについて、技術上根拠がないまま「摩耗が0.8mm以上のハブを交換すればタイヤ脱落を防げる」と虚偽の報告(2004年5月27日に起訴)。
  • 2002年10月16日 - 横浜市でトラクターのクラッチ系統が破損。国交省には「整備不良が関係。多発性なし」と報告。
  • 2002年10月19日 - 山口県熊毛町でクラッチ系統の破損でブレーキが利かなくなった冷蔵車が暴走し、運転手の男性が死亡(前述)。三菱自工側は、トラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
  • 2003年10月24日 - 母子死傷事故で、神奈川県警が業務上過失致死傷容疑で三菱自工本社などを家宅捜査。2004年1月にも再捜査。
  • 2004年3月11日 - 三菱ふそうの2度目のリコール隠しが発覚。
  • 2004年5月6日 - 三菱ふそうの宇佐美前会長ら7人を神奈川県警が逮捕(後に三菱ふそうの元部長2人については「宇佐美らの指示に従う立場で、関与の程度が低い」として釈放)。
  • 2004年5月27日 - 横浜区検察庁横浜地方検察庁が道路運送車両法違反(虚偽報告)などの罪で、6日に逮捕された7人のうち5人と、法人としての三菱自動車を起訴。
  • 2004年6月2日 - 三菱自工が乗用車で「ヤミ改修」があったことを発表。延べ4,000人以上を動員して1979年以降のデータを全て自主的に調査し、発表した。また三菱ふそうも大型車の欠陥問題で29人の処分を発表。
  • 2004年6月10日 - 三菱自工の河添元社長ら元役員6人を業務上過失致死傷の疑いで逮捕。
  • 2004年6月14日 - 新たに43件のリコールを発表。国土交通省への欠陥リークを受けて、1週間後の14日に発表。この欠陥が原因の事故は、人身事故が24件、火災事故は101件。
  • 2005年3月30日 - 三菱自工は法人として、リコール隠し当時の旧経営陣に対し、民事訴訟を提起。
  • 2005年4月15日 - 前年9月届出のリコールに対する再リコールを発表。原因を解明できぬままリコールを実施したため、対策実施済み車に火災事故が4件発生。加えて再リコールに先立つ緊急点検における作業手順の徹底不足による、2件の火災事故発生が明らかになる。

軽自動車エンジンに関する問題

国土交通省の調査の結果、法律違反はなかったとされたものの、軽自動車エンジン(3G83型)のオイル漏れの不具合については、2005年(平成17年)2月に把握していたにもかかわらず、2012年に国交省に内部告発がなされるまでリコールを行わないなど極めて不十分な対応があった。詳細は三菱自動車・3G83エンジンに関する問題を参照。

影響

  • 2004年のリコール隠しにより、三菱ふそう川崎硬式野球部三菱自動車岡崎硬式野球部が一時活動を休止した。また、「エアロミディ」が国交省の制裁措置により一時販売中止となったり、TBS系列で放送されていた『関口宏の東京フレンドパークII』のスポンサー降板により「パジェロ」の視聴者プレゼントが中止され、同番組の代名詞であった応援団(番組観覧者)による「パジェロ!パジェロ!」の掛け声も一時姿を消した(2006年10月16日放送分より三菱自工のスポンサー復帰及びパジェロのフルモデルチェンジに伴い復活[出典無効])。
  • 横浜母子3人死傷事故においては、三菱自工が欠陥を認めるまでの間、事故車両を運転していた運転手男性の自宅に対して「人殺し」などの中傷ビラが家の壁に貼られたり、無言電話などの嫌がらせが相次ぎ、男性が経営していた運送業は廃業している[39]
  • 2000年のリコール隠しにより、三菱車の販売台数が低下。2001年には大江工場(愛知県名古屋市港区)が、2003年にはカープラザがそれぞれ閉鎖に追い込まれた。
  • 運輸業界においては三菱車を買い控える動きが強まり、特にバス業界では伝統的に三菱ユーザーで知られた事業者においても同様であった。尚、前述の中国ジェイアールバスは三菱製の車両の導入を中止、以後の新車はコミュニティバス用に導入されたトヨタ・ハイエースを除き全車いすゞ自動車製で統一されている。
  • 田中辰巳は、この体質のために「隠蔽といえば三菱自動車、三菱自動車といえば隠蔽」と言われるくらいに隠蔽の代名詞となったと手厳しい評価を下している[40]

脚注

  1. ^ 櫻井稔 『内部告発と公益通報 会社のためか、社会のためか中公新書 1837 ISBN 978-4121018373、51p
  2. ^ 小田桐誠 『NHK独り勝ちの功罪』 ベスト新書 359 ISBN 978-4584123591、219-220p
  3. ^ 奥村俊宏『内部告発の力 公益通報者保護法は何を守るのか』現代人文社 ISBN 4-87798-201-9、17p
  4. ^ 中日新聞』2000年8月22日 夕刊1面1頁 「三菱自 リコール隠し23年 欠陥パジェロで事故も」
  5. ^ 『中日新聞』2000年7月19日 朝刊社会面27頁 「三菱自工リコール隠し ユーザー苦情 届け出怠る 欠陥対象は69万台」
  6. ^ 『中日新聞』2000年7月26日 夕刊第2社会面12頁 「三菱自 53万台リコール 社長、苦情隠ぺい認める」
  7. ^ 『中日新聞』2000年8月28日 夕刊 1面1頁「三菱自・河添社長辞任へ リコール隠しで引責」
  8. ^ 『中日新聞』2000年9月8日 朝刊1面1頁「三菱自 河添社長が辞任を表明」
  9. ^ 『中日新聞』2000年11月1日朝刊経済1面8頁「新社長登板2000 三菱自動車工業 園部孝氏(59) 気合入れ信頼回復」
  10. ^ Response.2000年8月28日 12時00分配信 「リコール隠し引責、三菱河添社長がついに辞任」
  11. ^ 『Response.』 2000年8月28日 12時00分配信 「ついに! 三菱リコール隠しで強制捜査」
  12. ^ 三菱自動車リコール隠し事件 | ニュースクリップ [読売新聞][リンク切れ]
  13. ^ 『中日新聞』2004年5月6日 夕刊1面1頁「ふそう前会長ら7人逮捕 タイヤ脱落 ハブ欠陥隠ぺい 虚偽報告と業過致死傷 三菱自元常務も」
  14. ^ 『中日新聞』2004年5月28日 朝刊社会面 31頁「脱輪死傷事故 三菱ふそう前会長ら起訴 虚偽報告『極めて悪質』」
  15. ^ 『中日新聞』2004年6月11日 朝刊1面 1頁「三菱自・河添元社長を逮捕 クラッチ欠陥隠ぺい 業過致死容疑 元役員5人も 神奈川・山口県警」
  16. ^ 三菱ふそうトラック・バス(株)に係る厳格な自動車型式審査の実施について - 国土交通省 2004年5月11日
  17. ^ 47NEWS』(共同通信2004年11月30日 3時8分配信 「対策不十分なら認証せず 車の型式審査で中間報告」 [リンク切れ]
  18. ^ プレスリリース - 三菱自動車 2006年9月11日
  19. ^ マッド・アマノ 『マッド・アマノの「謝罪の品格」』 平凡社新書 442 ISBN 978-4582854428、58p
  20. ^ 佐高信 『佐高信の新・筆刀両断』 講談社文庫 [さ-33-29] ISBN 978-4062753449、23p
  21. ^ 佐高信 『社長のモラル 日本企業の罪と罰』 講談社文庫 [さ-33-22] ISBN 4062730421、10p
  22. ^ しんぶん赤旗2005年1月10日配信「横浜タイヤ脱落母子死傷事故から3年/三菱ふそう 謝罪しつつ無罪主張/利益優先に殺された命」
  23. ^ 『中日新聞』2002年1月11日朝刊社会面39頁「外れたタイヤが直撃 横浜の県道 歩道の母子3人死傷」
  24. ^ 失敗知識データベース‐失敗百選 (PDF)
  25. ^ 『中日新聞』2003年10月23日朝刊1面1頁「横浜のタイヤ直撃死亡事故 三菱自を捜索へ トレーラー製造元 設計など過失の疑い」
  26. ^ 『中日新聞』2004年3月11日朝刊1面 1頁「タイヤ脱落死傷 三菱自、強度不足を認識 『整備不良』主張覆す」
  27. ^ 『Response.』 2003年10月17日 10時20分配信 「タイヤ脱落事故で神奈川県警が三菱ふそうを捜査対象」
  28. ^ 失敗事例 > 三菱自動車のリコール隠し
  29. ^ 読売新聞2010年6月2日
  30. ^ 朝日新聞』2002年10月21日 朝刊山口1面 28頁 「大型トラックの男性が死亡 熊毛町/山口」
  31. ^ 『朝日新聞』2004年5月21日 朝刊 社会面 35頁 「ブレーキ効かず激突 シャフト、配管破損 欠陥クラッチ死亡事故」
  32. ^ 『朝日新聞』2004年5月21日朝刊 1面 1頁「クラッチ欠陥、ブレーキ利かず激突死 事故の詳細判明」
  33. ^ 『Response.』 2004年11月5日 9時48分配信 「三菱ふそうトラックで死亡した運転手の名誉回復」
  34. ^ 『読売新聞』(YOMIURI ONLINE2008年7月15日配信 「三菱自動車・タイヤ脱落虚偽報告、元役員らに逆転有罪判決」 [リンク切れ]
  35. ^ 毎日新聞』2010年3月12日配信 「三菱自動車:欠陥隠し裁判 ふそう元会長ら有罪確定へ」 [リンク切れ]
  36. ^ 産経新聞2012年2月10日配信 「タイヤ脱落死傷で三菱自元部長ら有罪確定へ」 [リンク切れ]
  37. ^ 『47NEWS』(共同通信)2008年7月23日 17時59分配信 「元ふそう会長も有罪確定 三菱自事故で控訴取り下げ」 [リンク切れ]
  38. ^ 村上信夫 『会社をつぶす経営者の一言 「失言」考現学』 中公新書ラクレ 351 ISBN 978-4121503510、138p
  39. ^ 東京新聞2007年12月14日 朝刊 社会面 27頁 「三菱自元部長ら判決 遺影抱き『刑軽すぎる』 娘失った母涙と怒り - 事故車の運転手ら 苦難続きの人生」
  40. ^ 田中辰巳 『そんな謝罪では会社が危ない』 文春文庫 [た-62-1] ISBN 978-4167717117、49-51p

関連項目

外部リンク