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フィリップ・ホジナー

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フィリップ・ホジナー
ファイル:Philipp Hosiner (26512485333).jpg
2016年のホジナー
名前
ラテン文字 Philipp Hosiner
基本情報
国籍  オーストリア
生年月日 (1989-05-15) 1989年5月15日(35歳)
出身地 アイゼンシュタット
身長 178cm
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 1.FCウニオン・ベルリン
ポジション FW
背番号 16
利き足
ユース
1996-2001 オーストリアの旗 SCアイゼンシュタット
2001-2002 オーストリアの旗 SV St.マルガレーテン
2002-2005 オーストリアの旗 AKAブルゲンラント
2005-2006 オーストリアの旗 SVマッテルスブルク
2006-2008 ドイツの旗 TSV1860ミュンヘン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2009 ドイツの旗 TSV1860ミュンヘンII 31 (12)
2009-2010 ドイツの旗 SVザントハウゼン 20 (1)
2010-2011 オーストリアの旗 ファースト・ヴィエナFC 33 (13)
2011-2012 オーストリアの旗 FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング 38 (15)
2012-2014 オーストリアの旗 FKアウストリア・ウィーン 64 (41)
2014-2015 フランスの旗 スタッド・レンヌ 12 (0)
2015-2016 ドイツの旗 1.FCケルン 15 (1)
2016- ドイツの旗 1.FCウニオン・ベルリン 24 (6)
代表歴
2011-2013 オーストリアの旗 オーストリア 5 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フィリップ・ホジナーPhilipp Hosiner1989年5月15日 - )はオーストリアアイゼンシュタット出身のサッカー選手2. ブンデスリーガ1.FCウニオン・ベルリン所属。ポジションはフォワード

経歴

7歳で地元のSC Eisenstadtに入団。オーストリア・ブンデスリーガに属するSVマッテルスブルクの育成部門などで育ち、16歳で2. ドイツ・ブンデスリーガに属するTSV1860ミュンヘンのU18チームに移籍。

2006-07年シーズンにはドイツ・U18全国選手権で優勝し、決勝戦ではVfLヴォルフスブルクを相手に決勝点を決めた。2007-08年シーズンには23試合で16得点を記録した。

当時の育成部門でのチームメートにはユリアン・バウムガルトリンガーバイエル・レバークーゼン)やトビアス・シュトローブルボルシア・メンヒェングラートバッハ)、ティモ・ゲプハルトハンザ・ロストック)らがいた。

2007-08年シーズン後、同クラブでプロ契約を結びトップチーム昇格を果たす。初シーズンは基本トップチームで練習をしながらドイツ・レギオナルリーガに属するセカンドチームで公式戦に出場。31試合で12得点8アシストを記録し、チームのトップスコーラーになった。

その後は3. リーガに属するSVザントハウゼンオーストリア・エアステリーガ(オーストリア2部)に属するファースト・ヴィエナFCオーストリア・ブンデスリーガ1部に属するFCアドミラ・ヴァッカー・メードリングへと徐々にステップアップを果たし、2012年8月31日オーストリア・ブンデスリーガに属するFKアウストリア・ウィーンへ移籍した。

ペーター・シュテーガー監督(現在1.FCケルン監督)の下チームにもフィットし、2012-13年シーズンでは30試合で27得点7アシストを記録。7年ぶりとなるリーグ優勝に貢献する。

2013-14年シーズンではオーストリア・ブンデスリーガでは34試合に出場し14得点8アシストを記録。UEFAチャンピオンズリーグの予選では4試合で1アシスト、アトレティコ・マドリードFCポルトFCゼニト・サンクトペテルブルクと同グループになったUEFAチャンピオンズリーグの本大会では6試合に出場し2得点1アシストを決めた。

2014年夏、フランス・リーグ・アンに属するスタッド・レンヌに移籍したが、当初は原因不明のまま体調不良に悩まされるようになりほぼシーズンを通して試合に出場できなくなる。様々な精密検査を行った結果、体調不良の原因と診断された約2kgの重さにまで膨れ上がった腎細胞癌2015年1月に発見され、2月に手術を受けた[1]。その後はリハビリを続け、2015年5月には試合勘を取り戻すためにスタッド・レンヌのセカンドチームの公式戦に出場。[2]

2015年夏にはドイツ・ブンデスリーガに属する1.FCケルンにレンタル移籍。徐々に試合勘を取り戻し、15試合に出場し1得点を決めた。

2016年夏、スタッド・レンヌにはレンタルバックせず、2. ブンデスリーガに属する1.FCウニオン・ベルリンした。2016-17年シーズンでは24試合に出場し6得点1アシストを記録した。

プレースタイル

スピードと正確なシュート技術、ゴール前での冷静なプレーが特徴。ツートップでは主に身長のあるターゲットプレーヤーと組み、自らのスピードを生かして危険なスペースへの侵入を繰り返す。

プロデビュー当初は主にカウンターで生きるフォワードとして評価されていたが、FKアウストリア・ウィーンに移籍以降は1,5列目に下がりチームの組み立てに参加することも多くなったため、フォワードとしてはボールに触れる回数やパス本数が多い。2013-14年シーズンでの1試合当たりの平均ボールタッチ数は51,3回、平均シュート数は5,05本、シュートに繋がる味方へのラストパスは平均で2,84本であった[3]。プレースタイルが似ていることからウルグアイ代表エディンソン・カバーニと比較された[4]。また、決定力が高いことで知られており、2012-13年シーズンの7月から1月まで挙げた21得点のために打ったシュートは僅か64本、と3本に1本のシュートがゴールに入る決定力であった[5]

基本ツートップもしくはワントップのフォワードとして試合に出場しているが、チーム事情によってはトップ下として出場することもある[6]

タイトル

クラブ

TSV1860ミュンヘン
  • ドイツ・U18全国選手権 優勝(1回): 2006-07
FKアウストリア・ウィーン

所属クラブ

代表歴

U20までのカテゴリーでは招集され、2011年にA代表デビューを果たすが、同じフォワードのポジションにギド・ブルクシュタラーシャルケ04)やマーティン・ハルニックハノーファー96)、マルク・ヤンコFCバーゼル)、マルコ・アルナウトヴィッチストーク・シティFC)らがいるため、2017年5月現在A代表には招集されていない。

脚注

外部リンク