大統領 (大韓民国)
大韓民国 大統領 대한민국의 대통령 (大韓民國의 大統領) | |
---|---|
大統領 | |
名前 | |
担当官庁 | 青瓦台(청와대) |
任期 | 5年(再選禁止) |
職務代行者 |
李洛淵 (国務総理) |
初代 | 李承晩(이승만) |
創設 | 1948年7月20日 |
公式サイト | 青瓦台 |
大韓民国大統領(だいかんみんこくだいとうりょう、朝鮮語: 대한민국의 대통령)は、韓国の国家元首である。韓国の政治体制は大統領制のため、国民の直接選挙で選ばれる大統領に非常に強力な権限がある。
なお、アメリカの場合と異なり、1960年以降の韓国には副大統領が存在しない(後述)。
概要
現在の大韓民国憲法(第六共和国憲法、1987年採択)の規定では、大統領は国家元首(第66条1項)かつ韓国三軍(陸・海・空軍)の統帥権保有者(第74条1項)であり、行政権を有する政府首班という地位にある(第66条4項)。その他、大統領には非常措置権が与えられているが、その発動には制約が加えられている(第76条)。また、大統領に国会の解散権はなく、公民権の停止も認められていない。なお、大統領は内乱又は外患の罪を犯した場合を除いて在任中に刑事上の訴追を受けない(第84条)。
大統領の報酬(給料)は、韓国政府(人事革新処)の定める公務員の報酬・手当に関する規定にて年毎に改定され、2016年の年額給与は2億1200万ウォン[2]だった。それに加え、大統領秘書室によるサポート及び大統領警護室による警護を受ける(大韓民国大統領室も参照)。大統領秘書室には「特殊活動費」と呼ばれる予算の一部が割り当てられており、2016年の割当額は146億9200万ウォン[3]。特殊活動費はその内訳を開示する必要が無いため、いわゆる機密費的な性格を併せ持つほか、朴槿恵政権時代には大統領の衣服など私的な支出にも一部が流用されていたといわれる[3]。
大統領の選出
大韓民国の大統領 | |
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大統領章 | |
各種表記 | |
ハングル: | 대통령 |
漢字: | 大統領 |
発音: | テトンニョン |
日本語読み: | だいとうりょう |
アルファベット転写: | Daetongnyeong |
韓国の大統領選出は、憲法67条の規定に従って行われる。大統領には、国会議員の被選挙権があり、選挙日の時点で満40歳に達している韓国国民が立候補することができる。大統領は、韓国国民の普通・平等・直接及び秘密の選挙によって選出される。投票の結果、最高得票者が2人以上いる場合は、国会の在籍議員の過半数が出席した公開の会議において多数票を得た者が当選者となる。大統領候補者が1名しかいない場合でも選挙は実施され、選挙で得票した信任票数が有権者総数の3分の1以上でなければ、大統領として当選することは出来ない。
選挙は、現任大統領の任期が満了する場合には、任期満了日の70日前から40日前までの間に実施される。大統領が欠位となったとき、あるいは大統領当選者が死亡もしくは判決その他の事由によりその資格を喪失したときは、欠位・資格喪失から60日以内に後任の大統領を選挙しなければならない(68条)。
選挙終了後、大統領当選者の任期は韓国の公職選挙法第14条第1項に基づいて開始日が決定される[4]。選挙が現任大統領の任期満了前に行われる場合、現任者の任期満了日の翌日午前0時から次期大統領の任期が始まる。選挙が現任大統領の任期満了後に行われた場合、または大統領が欠位の状況下で選挙が行われる場合は、中央選挙管理委員会が選挙の当選者を確定させた瞬間から任期が始まる[1]。この規定により、2017年に選出された19代大統領の文在寅は、第六共和国体制下で初めて当選決定と同時に政権移行の準備期間も無く大統領職へ就くことになった[4]。
直近の大統領選挙
民主化宣言以降、現行の選出方法によって行われた大統領選挙は下記の通りである。
- 1987年:第13代大統領選挙
- 1992年:第14代大統領選挙
- 1997年:第15代大統領選挙
- 2002年:第16代大統領選挙
- 2007年:第17代大統領選挙
- 2012年:第18代大統領選挙
- 2017年:第19代大統領選挙
大統領の任期、及び欠位と職務代行
大統領の任期は5年で、重任(再選)は出来ない(第70条)。仮に、憲法改正により任期延長や重任解禁がなされたとしても、改憲提案時の現職大統領には適用されない(第128条第2項)。また、現行の第六共和国憲法(1987年採択)では任期途中の自発的な大統領の職務辞任について特に規定されていないが、韓国の憲法学者の間では第68条や第71条にある「欠位」と見なす意見が提起されている[5]。
重任禁止規定は、朴正煕による長期間の独裁を招いた反省の上に作られた規定である[6]。1963年樹立の第三共和国では、大統領の任期は4年で重任も1回のみとされていた。だが、朴正煕は本来禁止されていた三選を可能にする憲法改正(3選改憲)を実施したり、十月維新を通じて大統領の選出方法を国民の直接選挙から、統一主体国民会議の代議員による間接選挙へ変更する改憲(維新憲法制定)を強行したりして、結果的に16年弱にわたって政権を維持し続けた。
このような経緯から、長期独裁を許した反省として、重任禁止規定は全斗煥政権が制定した第五共和国憲法(1980年採択)で初めて導入され、民主化宣言を経て第六共和国憲法へと受け継がれた。以後、盧泰愚以降の歴代大統領はいずれも1期5年限りで退任している。しかし、重任が禁止されているために継続的な政策の実施が難しくなっているとの指摘もあり、民主化以降も重任禁止規定に関する改憲が議論に上ることがある[7][8]。
なお、何らかの事情で任期途中の大統領職が欠位となるか、または大統領が事故で職務不能となった場合には、国務総理(首相)を第1位、法律で定められた国務委員(各国家行政機関の長)を第2位以下とする継承順で大統領の権限が代行される(第71条)。
建国以来、韓国では大統領の権限代行が下記の通りに起きている(詳細は下記参照のこと。)。
- 1960年:許政内閣首班/国務総理[9] - 四月革命で張勉副大統領、李承晩大統領・尹潽善副大統領代行が同時に辞任し、大統領職が欠位となったため。
- 1979年:崔圭夏国務総理 - 朴正煕大統領暗殺事件で朴正煕大統領が死亡し、大統領職が欠位となったため。
- 1980年:朴忠勲(박충훈)国務総理代理[10] - 粛軍クーデターの余波で崔圭夏大統領が辞任し、大統領職が欠位となったため。
- 2004年:高建国務総理 - 盧武鉉大統領が国会の弾劾訴追を受けて職務停止となったため。
- 2016年~2017年:黄教安国務総理 - 朴槿恵大統領が国会の弾劾訴追を受けて職務停止となり、弾劾裁判で失職して大統領職が欠位となったため。
弾劾
任期中、大統領は内乱又は外患を除き刑事上の訴追を受けない(第84条)が、憲法第65条の規定で国会による弾劾の追訴を受けることがある。
大統領、国務総理(首相)、また最高裁判所や憲法裁判官など国家の評議員に憲法違反または公法違反の行為があれば国会による弾劾提起の対象となる(1988年大韓民国憲法第65条第1項)。国会は議員総数の3分の1以上の賛成により弾劾案を提起でき、過半数が承認すれば訴追が決定する。ただし、大統領の弾劾は成立要件がより厳しくなっており、議員総数の過半数の賛成による弾劾案の提起と、3分の2以上の賛成による承認が必要となる(同第2項)。訴追対象者は、罷免されないことが決定するまでは職権を停止される(同第3項)。罷免は最大の弾劾決定であるが、弾劾を受けたことによっても民事上・刑事上の責任は免責されない(同第4項)。
大統領弾劾の提起の場合は、国会は、国会在籍議員の過半数(韓国国会は定数300人なので150人以上。但し、欠員や欠席が生じた場合は反対票とみなされる。)の賛成を得て大統領の弾劾訴追を発議し、発議から24時間以降72時間以内に無記名投票を行う。投票の結果、国会在籍議員の3分の2以上(韓国国会は定数300人なので200人以上。但し、欠員や欠席が生じた場合は反対票とみなされる。)の賛成があれば弾劾が決議され、大統領は憲法裁判所による弾劾裁判の判決が出るまで職務が停止される。
国会での弾劾決議を受けて憲法裁判所は180日以内に審判を行い、裁判官の3分の2以上(韓国の 憲法裁判所の裁判官は9名なので6名以上。但し、退任や欠員が生じた場合は反対票とみなされる。)の賛成があれば大統領に対する弾劾が成立し、大統領は直ちに罷免される。弾劾訴追が棄却、または却下された場合は職務の特性上、訴追を受けた大統領は直ちに復職する。一方で弾劾が成立した場合、大統領は罷免から5年間は公職につくことができない。また、弾劾追訴の事由によっては罷免後に民事・刑事上の責任を負わされる可能性があり、この場合制度の趣旨から赦免の対象とならないとする見解が一般的である。また、罷免された大統領は大統領職経験者に対する礼遇が全て剥奪される[11]。
韓国の弾劾裁判は一審制のため、憲法裁の宣告と同時に弾劾可否の決定が確定する。ただし、「憲法裁の決定に影響を与える重大な事項が判断されていない場合」に限り再審ができるという法的解釈がある。それによると、再審を望む場合、当事者は再審の理由を認知してから30日以内か、弾劾決定から5年以内のいずれかの期間で請求する必要がある[11]。
国会の弾劾決議から憲法裁判所による判断が下されるまでの最長180日間、訴追された大統領は引き続き大統領としての身分が維持される。大統領官邸「青瓦台」での生活が続けられる他、身辺警護・儀典等の礼遇や業務推進費を除いた給与も訴追前と同様に受けることができる。ただし、職務が停止されている間は「統治行為」と見られるすべての活動が停止されるため、「青瓦台」内の大統領執務室への出入りも制限されるが、例外的に非公式で業務連絡を受ける場合がある[12]。
大統領が職務を停止されている間は、国務総理を第1位、法律で定められた国務委員(各国家行政機関の長)を第2位以下とする継承順で大統領の権限が代行される。
2017年3月現在、国会から弾劾訴追の決議を受けた大統領は下記のとおりである[13]。
- 2004年:盧武鉉大統領訴追(大統領代行:高建) - 弾劾裁判で棄却判決となり復職(2004/5/14憲法裁宣告)
- 2016年:朴槿恵大統領訴追(大統領代行:黄教安) - 弾劾裁判で罷免判決となり失職(2017/3/10憲法裁宣告)
大統領の権限および義務
主な権限
憲法に規定された大統領の職務権限は下記のとおりである。
- 国会で議決された法案に対し、異議がある場合は特定期間内に再議を請求する、いわゆる拒否権(第53条)
- 国の元首として、外国に対して国家を代表する(第66条)
- 必要に応じて、外交・国防・朝鮮統一・その他国家の安危にかかわる重要政策を国民投票にかける(第72条)
- 条約を締結・批准し、外交使節を信任・接受し、又は派遣し、宣戦布告及び講和を行う(第73条)
- 憲法及び法律が定めるところにより、国軍を統帥する(第74条)
- 法律で制限された範囲における大統領令の発令(第75条)
- 国会を開く余裕がない時の財政・経済上の処分、及びこれに関連する範囲における法的効力を持った命令の発令(第76条)
- 交戦時で国会開催が不可能な際の法的効力を持った大統領命令の発令(第76条)
- 戒厳令の宣布(第77条)
- 公務員の任免(第78条)
- 恩赦の実施(第79条)
- 勲章等栄典の授与(第80条)
- 国会の同意に基づき、国務総理を任命する(第86条)
- 国務総理が提請した国務委員を任命する(第87条)
宣誓と義務
大統領職への就任に際し、就任する者は「私は、憲法を遵守し、国家を保衛し、祖国の平和的統一並びに国民の自由及び福利の増進並びに民族文化の暢達に努力し、大統領としての職責を誠実に遂行することを国民の前に厳粛に宣誓します」と宣誓する(第69条)。
また、大統領は憲法に従い在任中に以下のような義務を負う。
- 国の独立、領土の保全、国の継続性及び憲法を守護する責務(第66条)
- 祖国の平和的統一のために誠実に努力する義務(第66条)
- 法的効力を持つ大統領令を発令した際に発令事由を公布する義務(第76条)
- 国会への戒厳令布告の報告、及び国会が出す戒厳令解除要求に従う義務(第77条)
- 一般的な恩赦を実施する際に国会の同意を得る(第79条)
- 国法上の職務行為を文書によって行う。その際、必ず国務総理及び関係国務委員の副署を得る。(第82条)
- 兼職の禁止(第83条)
大統領経験者への礼遇
大統領職退任後、大統領経験者は身分及び礼遇に関して法律で特別に定められる(第85条)ようになっており、2016年12月時点では「元大統領の礼遇に関する法律」(전직대통령 예우에 관한 법률)を根拠に大統領職経験者は下記の礼遇を受けられる[14]。
- 在任中の報酬年額の95%にあたる額の年金(元大統領本人に対し)
- 在任中の報酬年額の70%にあたる額の遺族年金(元大統領の死後、配偶者に対し)
- 秘書3人、運転手1人(元大統領本人に対し)
- 秘書1人、運転手1人(元大統領の死後、配偶者に対し)
- 交通・通信・事務所提供支援(本人以外に家族のものも含む)
- 医療費(本人以外に家族のものも含む)[15]
ただし、任期途中で罷免等により退任した大統領職経験者は大統領警護室による身辺警護(通常5年、本人が希望すれば最長で10年)のみ受けるほか[16]、退任後に禁固以上の刑が確定した場合は、警護・警備を除く全ての礼遇が剥奪される[14][15]。
2017年10月末時点で存命中の大統領職経験者は4人いるが、法に定められた礼遇を全て受けることができる人物は李明博ただ一人となっている[17]。
韓国大統領一覧
以下表中、代 は歴代大統領、人 は何人目の大統領。
代 | 人 | 大統領の氏名 | 所属政党 | 在任期間 | 備考 | 政体 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 李承晩 イ・スンマン 이승만 |
韓国民主党 ↓ 自由党 ↓ 無所属 |
1948年7月20日 - 1952年8月15日 |
国会議員による間接選挙にて選出。 憲法改正で大統領選挙を直接選挙制に変更(抜粋改憲)。 |
第 一 共 和 国 | ||
2 | 1952年8月15日 - 1956年8月15日 |
直接選挙により選出。 憲法改正により三選禁止を撤廃(四捨五入改憲)。 | ||||||
3 | 1956年8月15日 - 1960年4月26日 |
直接選挙により選出。 再選の為に大規模な不正選挙(3.15不正選挙)を強行するも、4・19革命で失脚し米国へと亡命。革命後に3.15不正選挙の結果が無効とされる。 | ||||||
- | - | 許政 ホ・ジョン 허정 |
民主党 | 1960年4月27日 - 1960年8月12日 |
大統領権限を臨時代行 内閣首班[9]として代行(1960年4月27日 - 1960年6月15日) 国務総理として代行(1960年6月15日 - 1960年8月12日) |
第 二 共 和 国 | ||
4 | 2 | 尹潽善 ユン・ボソン 윤보선 |
民主党 ↓ 新民党 |
1960年8月13日 - 1961年5月19日 |
憲法改正により国会議員による間接選挙によって選出[18]。 | |||
1961年5月19日 - 1962年3月22日 |
5・16軍事クーデターで国家再建最高会議が政権掌握。憲法停止。 | 軍 政 | ||||||
- | - | 朴正煕 パク・チョンヒ 박정희 |
国家再建最高会議 ↓ 民主共和党 |
1962年3月22日 - 1963年12月16日 |
国家再建最高会議議長による軍政 | |||
5 | 3 | 朴正煕 パク・チョンヒ 박정희 |
民主共和党 | 1963年12月17日 - 1967年7月1日 |
新憲法の下で民政に復帰 直接選挙により選出 |
第 三 共 和 国 | ||
6 | 1967年7月1日 - 1971年7月1日 |
直接選挙により選出 憲法改正により三選禁止を撤廃(3選改憲) | ||||||
7 | 1971年7月1日 - 1972年12月26日 |
直接選挙により選出 1972年10月17日に非常戒厳令(十月維新) | ||||||
8 | 1972年12月27日 - 1978年12月26日 |
憲法改正により統一主体国民会議による間接選挙 新憲法下で「維新体制」を標榜し独裁を強化 |
維 新 体 制 |
第 四 共 和 国 | ||||
9 | 1978年12月27日 - 1979年10月26日 |
統一主体国民会議による間接選挙 在任中に暗殺(朴正煕暗殺事件) | ||||||
- | - | 崔圭夏 チェ・ギュハ 최규하 |
無所属[19] | 1979年10月26日 -1979年12月7日 |
国務総理兼任。朴正煕大統領の暗殺に伴い、大統領権限を臨時代行 | 第 四 共 和 国 | ||
10 | 4 | 崔圭夏 チェ・ギュハ 최규하 |
無所属[19] | 1979年12月8日 - 1980年8月16日 |
統一主体国民会議による間接選挙 粛軍クーデターで軍内部の実権を奪取した全斗煥・盧泰愚らによる5・17クーデターによって、軍部に政権を掌握され、辞任。 | |||
- | - | 朴忠勲 パク・チュンフン 박충훈 |
無所属[19] | 1980年8月16日 - 1980年9月1日 |
国務総理代理[10]として大統領権限を臨時代行 | 軍 政 |
第 四 共 和 国 | |
11 | 5 | 全斗煥 チョン・ドゥファン 전두환 |
民主正義党 | 1980年9月1日 - 1981年3月2日 |
統一主体国民会議による間接選挙 第五共和国憲法制定(憲法改正) | |||
12 | 1981年3月3日 - 1988年2月24日 |
憲法改正により大統領選挙人団による間接選挙にて選出。 第六共和国憲法制定(憲法改正)。粛軍クーデターや光州事件等により、退任後に死刑判決(高裁で無期懲役に減刑され、後に特赦)。 |
第 五 共 和 国 | |||||
13 | 6 | 盧泰愚 ノ・テウ 노태우 |
民主正義党 ↓ 民主自由党 |
1988年2月25日 - 1993年2月24日 |
憲法改正により直接選挙による選出。 粛軍クーデター・光州事件及び大統領在任中の不正蓄財により、退任後に軍刑法違反で懲役刑(後に特赦)。 |
第 六 共 和 国 | ||
14 | 7 | 金泳三 キム・ヨンサム 김영삼 |
民主自由党 ↓ 新韓国党 ↓ ハンナラ党 |
1993年2月25日 - 1998年2月24日 |
直接選挙による選出 | |||
15 | 8 | 金大中 キム・デジュン 김대중 |
新政治国民会議 ↓ 新千年民主党 |
1998年2月25日 - 2003年2月24日 |
直接選挙による選出。 太陽政策を推し進め、2000年6月に北朝鮮の金正日総書記との南北首脳会談を実現。在任中にノーベル平和賞を受賞。 | |||
16 | 9 | 盧武鉉 ノ・ムヒョン 노무현 |
新千年民主党 ↓ 開かれたウリ党 ↓ 大統合民主新党 ↓ 民主党 |
2003年2月25日 - 2004年3月12日 |
直接選挙による選出。 国会の大統領弾劾訴追により大統領権限停止。 | |||
権限停止期間 (3月12日 - 5月14日) |
高建国務総理が大統領権限を臨時代行。 | |||||||
2004年5月14日 - 2008年2月24日 |
弾劾訴追の棄却により、職務に復帰。在任中の収賄疑惑により退任後に捜査を受け、投身自殺(公式発表による)。 | |||||||
- | - | 高建 コ・ゴン 고건 |
新千年民主党 | 2004年3月12日 - 2004年5月14日 |
国務総理兼任。盧武鉉大統領の職務停止に伴い、大統領権限を臨時代行。 | |||
17 | 10 | 李明博 イ・ミョンバク 이명박 |
ハンナラ党 ↓ セヌリ党 |
2008年2月25日 - 2013年2月24日 |
直接選挙による選出 | |||
18 | 11 | 朴槿恵 パク・クネ 박근혜 |
セヌリ党 ↓ 自由韓国党 |
2013年2月25日 - 2016年12月9日 |
直接選挙による選出 朴正煕元大統領の娘。初の女性大統領及び親子2代での大統領。 国会の大統領弾劾訴追により大統領権限停止。 | |||
権限停止期間 (2016年12月9日 - 2017年3月10日) |
黄教安国務総理が大統領権限を臨時代行。弾劾訴追の結果、憲法裁判所が弾劾妥当の決定を下したことにより失職。退任後、在任中に国内最大の財閥・サムスングループから約束分も含めて日本円で43億円余りの賄賂を受け取ったとされる収賄疑惑によって逮捕された[20][21]。 | |||||||
- | - | 黄教安 ファン・ギョアン 황교안 |
無所属[22] | 2016年12月9日 - 2017年5月10日[1] |
国務総理兼任。朴槿恵大統領の職務停止に伴い、大統領権限を臨時代行。 | |||
19 | 12 | 文在寅 ムン・ジェイン 문재인 |
共に民主党 | 2017年5月10日[1] - |
朴槿恵大統領の罷免に伴う前倒しの大統領選挙で当選し、引き継ぎ期間がない状態で大統領に就任。 |
韓国大統領の末路
過去の大韓民国の大統領は、在任中に暗殺されたり、退任後に自身や身内が刑事捜査によって逮捕・起訴されて有罪判決を受けたり自殺したり、あるいは糾弾を受けて亡命を余儀なくされるなどして、不幸な末路を迎えている例が多い[23]。
- 李承晩:革命により国外へ亡命。
- 尹潽善:クーデターにより任期満了前に辞任。
- 朴正煕:夫人と自身が暗殺される。
- 崔圭夏:クーデターにより任期満了前に辞任。
- 全斗煥:退任後に不正蓄財と民主化運動弾圧の罪で逮捕・投獄・死刑判決。
- 盧泰愚:退任後に不正蓄財と民主化運動弾圧の罪で逮捕・投獄。
- 金泳三:次男の金賢哲が斡旋収賄と脱税で逮捕。
- 金大中:長男の金弘一・次男の金弘業(김홍업)・三男の金弘傑(김홍걸)が権力を悪用した不正蓄財で逮捕・投獄。
- 盧武鉉:在任中に弾劾訴追、兄盧建平(노건평)の逮捕、収賄疑惑で自身の投身自殺。
- 李明博:兄の李相得が斡旋収賄で逮捕[24][25][26]。
- 朴槿恵:知人の崔順実に国政への介入を許したことで弾劾訴追・罷免、罷免後に収賄疑惑で逮捕[20][21]。
朝鮮日報は、1993年の文民政権発足以後に誕生した5人全ての大統領が、「大統領になったことを後悔する」という発言をさせるような、軍事政権時代と同様の不正蓄財事件を起こし続ける問題の原因として「帝王的大統領制」(Imperial Presidency)とされる大統領の圧倒的な権力によって、大統領の親類や側近が「虎の威を借る」ことが可能な制度にあると指摘している。親族を大切にする儒教の影響の強さを原因の一つとする意見もある[27][28]。
2016年の崔順実ゲート事件発覚以降でも、関与が表面化していない周辺人物が「自分だけは例外」だと信じ、「ミル(韓国語で竜)[29]」になることを信じて不正をしていると、韓国の大統領制度を批判している[30]。
副大統領
大韓民国の副大統領 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 부통령 |
漢字: | 副統領 |
発音: | プトンニョン |
日本語読み: | ふくとうりょう |
アルファベット転写: | Butongnyeong |
建国直後の第一共和国時代には、副統領(ふくとうりょう)と呼ばれる副大統領職が設置され、大統領が職務を継続できない事態になった場合に大統領職を自動的に継承することになっていた。
大統領と同様に、当初は国会議員の無記名投票によって選出されていたが、第1次憲法改正(1952年7月7日)によって国民の普通・平等・直接・秘密選挙による選出となった。ただしその際、韓国では選出方式として、アメリカの副大統領のように大統領のペアとして選出される方式を採らず、大統領選挙と同時に行われる副統領選挙の結果で選出する方式を採った。そのため、与党への反発から1956年(第三代大統領選挙)以降は正副大統領が与野党別々の政党から選出されると言うねじれ現象が発生し、高齢の李承晩大統領が職務を継続できなくなったら自動的に与野党が交代する事態が続いていた。1960年の選挙で与党・自由党が大規模な不正行為を起こしたのは、これも一因となっている。
結局、1960年の四月革命で李承晩政権が崩壊すると、第3次憲法改正時に大統領と副大統領の役割が見直され、第二共和国体制の発足時に副統領職は不要な役職として廃止された(韓国憲法の改正については、大韓民国憲法#沿革参照)。
これ以降、韓国では副大統領に相当する専門職が設けられず、国務総理(首相)が大統領権限代行を務める形式になっている。
代 | 副統領の氏名 | 在任期間 | 所属政党 | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
漢字 | カタカナ | ハングル | 就任年月日 | 退任年月日 | |||
1 | 李始栄 | イ・シヨン | 이시영 | 1948年7月24日 | 1951年5月9日 | 韓国民主党 | 国会議員による間接選挙。 国民防衛軍事件発生により辞任。 |
2 | 金性洙 | キム・ソンス | 김성수 | 1951年5月17日 | 1952年5月29日 | 韓国民主党 | 釜山政治波動の政府対応に抗議しての辞任。 |
3 | 咸台永 | ハム・テヨン | 함태영 | 1952年8月15日 | 1956年8月14日 | 無所属 | 憲法改正により直接選挙での選出に変更。 |
4 | 張勉 | チャン・ミョン | 장면 | 1956年8月15日 | 1960年4月23日 | 民主党 | 4・19デモを受け辞任。 |
副大統領代行 | 尹潽善 | ユン・ボソン | 윤보선 | 1960年4月23日 | 1960年4月26日 | 民主党 | 張勉の辞任を受け、副大統領代行に就任。 李承晩政権の崩壊と共に辞任。 辞任後、憲法改正により役職廃止。 |
脚注
- ^ a b c d 韓国大統領選 当選認定して即任期開始…異例づくめの移行手続き - 産経新聞・2017年5月9日
- ^ 韓国・朴槿恵大統領の2016年給与が決定!前年から70万円アップに―韓国紙 - Record China・2016年1月6日
- ^ a b 大統領の活動費を大幅削減 野党の問題指摘で=韓国国会 - 聯合ニュース・2016年11月4日
- ^ a b 韓経:【社説】韓国、先進化法・公聴会法の改正なければ次の大統領も失敗する - 中央日報・2017年3月17日
- ^ “헌법학자들 "대통령 하야, 헌정중단·파괴와 무관"”. ソウル経済新聞. (2016年11月15日) 2016年11月17日閲覧。
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- ^ “改憲に意欲 再選制導入目指す”. 毎日新聞. (2016年10月24日) 2016年10月26日閲覧。
- ^ a b 1960年3月末時点の第一共和国では副大統領職が設置され、国務総理職が1954年以来廃止されていた。だが、四月革命が進む中で張勉副大統領が辞任し、副大統領代行となった尹潽善も李承晩大統領と同時に辞任してしまったため、当時、外務部長官だった許政が「内閣首班」として急きょ大統領権限を代行することになった。「内閣首班」による大統領権限の代行は国務総理職が復活する1960年6月15日まで続き、同日以降は許政が国務総理として大統領権限を代行した。
- ^ a b 憲法上、国務総理は大統領の任命後、国会から同意を得た上で就任しなくてはならない。だが、実際には国会の同意を得ずに一方的に国務総理へと就任した事例があり、そのようにして国務総理に就任した者を国務総理代理(朝鮮語:국무총리 서리/國務總理 署理)と称している。
- ^ a b “[韓国大統領罷免]朴槿恵氏 年金など礼遇資格剥奪”. 聯合ニュース. (2017年3月10日) 2017年3月26日閲覧。
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- ^ a b 来年の元大統領関連予算が確定 朴大統領の待遇は? - 聯合ニュース・2016年12月6日
- ^ a b 退任したMBが受け取る前職大統領礼遇は… - ハンギョレ・2013年2月20日
- ^ [韓国大統領罷免]失職でも国が警護 最長10年 - 聯合ニュース・2017年3月10日
- ^ 全斗煥と盧泰愚は退任後に粛軍クーデター・光州事件等を巡る裁判で有罪判決を受けたことにより警護・警備以外の礼遇を剥奪され、朴槿恵は弾劾訴追の成立にともなう任期途中の罷免により、警護・警備以外の礼遇を受ける資格を喪失している。
- ^ 新憲法下で議院内閣制に移行した為、政治的な実権は国務総理の張勉が握っていた。
- ^ a b c 政権与党は民主共和党
- ^ a b “韓国 パク前大統領を逮捕 収賄などの疑いで”. NHK. (2017年3月31日10時6分) 2017年3月31日閲覧。
- ^ a b “朴槿恵氏逮捕 大統領経験者では3人目=韓国”. 聯合ニュース. (2017年3月31日3時20分) 2017年3月31日閲覧。
- ^ 政権与党はセヌリ党(党名変更後は自由韓国党)
- ^ 辺真一「大統領を殺す国 韓国」(角川oneテーマ21)
- ^ 悲劇多い歴代韓国大統領」,MSN産経ニュース,2009年5月23日.
- ^ http://japanese.joins.com/article/344/156344.html
- ^ [1]「【中央時評】大統領の父親をかじって食べる息子(2)」,聯合ニュース,2013年8月2日.
- ^ “朴槿恵「絶体絶命」 韓国大統領の末路がいつも悲惨な理由”. 箱田哲也. AERA (2016年11月21日). 2017年4月7日閲覧。
- ^ “韓国の大統領はなぜ反日になるのか”. 池田信夫 (2013年11月24日). 2017年4月8日閲覧。
- ^ 崔順実が韓国文化振興のためとして設立させたミル財団への皮肉
- ^ [2]「【萬物相】「私はこんなことをするため大統領になったわけでは…」」]朝鮮日報、2016年11月5日
関連項目
- 大韓民国
- 青瓦台(韓国大統領官邸)
- 青南台(かつての韓国大統領専用別荘、2003年に廃止)
- 大韓民国国務総理(韓国の首相)
- 韓国の政党一覧
- 池東旭 『韓国大統領列伝 権力者の栄華と転落』(中公新書 2002年)※金大中まで扱う。