野村達雄
野村達雄 Tatsuo Nomura | |
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生誕 |
石磊[1] 1986年[2] 中国黒竜江省[2] |
国籍 |
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出身校 |
信州大学工学部情報工学科[2] 東京工業大学大学院情報理工学研究科修士課程[2] |
職業 |
google エンジニア(Googleマップの開発)(2011年-2015年)[2] Niantic, Inc. ゲームクリエイター(Pokémon GOの開発)(2015年-)[2] |
受賞 | コンピュータサイエンス領域奨励賞 |
野村 達雄(のむら たつお、1986年[2] - )は中国・日本出身でアメリカ合衆国在住のエンジニア、ゲームクリエイター。GoogleマップやPokémon GOなど実験的なモバイル・アプリケーションの開発に携わる。中華人民共和国黒竜江省生まれ[2]、長野県長野市出身[2]。米国カリフォルニア州サンフランシスコ在住[3]。
人物・経歴
内祖母は福井県小浜市出身の中国残留日本人[4][5]。外祖父は中国人。幼少時の名前は石磊。両親及び4人の姉と中国で、土と藁でできた家に住み、主食がトウモロコシ粥という極貧の生活を送った[6]。
豆腐の行商についていたが、よりよい生活を求めて9歳のとき親戚を頼り一家で来日し、1995年練馬区の小学校に編入。1997年、長野市に移住[7]。姓は祖母の野村とし、名は日本語の教科書の登場人物にちなみ達雄とした。当初は日本語も話せなかったが、建設現場や豆腐工場で働く両親のもと、小学校時代から新聞配達等をして働き、中学時代にパソコンを購入し独学でプログラミングを習得。その後信州大学4年時に日本国籍を取得。信州大学卒業後は、東京工業大学大学院に進学し松岡聡の指導のもとスーパーコンピュータの研究を行い高い評価を受ける。「ステンシル計算を対象とした大規模GPUクラスタ向け自動並列化フレームワーク」により情報処理学会2011年度コンピュータサイエンス領域奨励賞受賞[8][9][10][2][1]。
2011年東京工業大学大学院理工学研究科数理・計算科学専攻修士課程を修了し、同年グーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。2013年からGoogle Inc.に移り、2015年から社内ベンチャーNiantic Labsに所属。同年Niantic, Inc.に移籍。同社プロダクト部門シニアマネージャー、Pokémon GOのプロダクトマネージャー等を務める[11][2][1]。
Googleのエイプリルフール企画において[2]、エンジニアとしてファミコン版Googleマップ8bit(2012年)、Googleマップ宝探しバージョン(2013年)、ポケモンチャレンジ(2014年)などを開発[2]。2015年にGoogleからNiantic, Inc.へ移籍し[2]、ゲームクリエイターとしてPokémon GOの開発・運営に携わる[2]。
著書
- 『ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる』小学館集英社プロダクション (2017/7/19)
参照
- ^ a b c d 「夢の揺り籠 西から東へ ポケモンGO開発者・野村達雄氏」日本経済新聞2017/4/7
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o (フロントランナー)ゲームディレクター・野村達雄さん 「ポケモンGO」開発に抜擢
- ^ ポケモンGO開発者は東工大出身 元スパコン研究者
- ^ 『ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる』小学館集英社プロダクション
- ^ 朝日新聞2017年1月14日
- ^ 『ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる』小学館集英社プロダクション
- ^ 『ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる』小学館集英社プロダクション
- ^ 「学長と語る伝統対談Vol.5」信州大学
- ^ 「野村達雄氏が「2011年度コンピュータサイエンス領域奨励賞」受賞」東京工業大学2012.01.30
- ^ 「2011年度コンピュータサイエンス領域奨励賞受賞者一覧」情報処理学会
- ^ 「ポケモンGO開発リーダーは30歳の“ゲーム制作素人”だった!」2016年11月17日10時30分 スポーツ報知