西サハラ問題
西サハラ問題 |
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歴史的背景 |
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政治 |
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解放闘争 |
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国連の関与 |
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西サハラ問題(にしサハラもんだい)とは、アフリカ北西部にある西サハラの領有権を巡って、南北分割統治を主張するモーリタニア(1979年には領有権を放棄)とモロッコ、独立を画策するサハラの狼と呼ばれたエル・ワリを中心とするポリサリオ戦線(POLISARIO、サギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線)の対立問題のことをいう。
歴史
2006年11月11日マドリードにて
西サハラは1886年にスペインの保護領となると、1924年にスペイン領サハラとしてアラブ人とベルベル人を中心とする住民をスペインが植民地として支配してきた。
1975年11月6日、モロッコが主導した緑の行進がタルファヤで行なわれた。 11月14日、マドリード協定によりスペインは領有権を放棄。 11月20日、フランシスコ・フランコ死去。
しかし、スペインの了承の下、西サハラ北部をモロッコ、南部をモーリタニアが分割統治をする秘密協定が結ばれ両国が領有すると、独立を目指すポリサリオ戦線はサハラ・アラブ民主共和国(Sahrawi Arab Democratic Republic、SADR)の樹立を宣言し、アルジェリアやリビアの支援を受け1976年から武力闘争を開始した。
1979年、ポリサリオ戦線は西サハラ南部を領有するモーリタニアと停戦協定を締結し、モーリタニアは西サハラ領有権を放棄したが、モロッコがその南部を含めて併合したことで、モロッコとポリサリオ戦線の対立に拍車をかけた。
1983年にアフリカ統一機構(OAU、現在のアフリカ連合(AU))が独立問題を決める住民投票実施を提案し、モロッコもそれを受け入れたものの1984年、OAUにサハラ・アラブ民主共和国が加盟したことで、モロッコはOAUを脱退。紛争は継続することとなった。
1988年にモロッコは住民投票の受け入れを了承し、1991年4月、国連の仲介でモロッコとポリサリオ戦線は停戦に合意。その年の9月に国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が派遣され、活動を開始している。
しかし、投票権を持つ「西サハラ住民」の定義をめぐる問題で、幾度となく投票が延期され、膠着状態は今なお続き、実質的に管理下に置いているモロッコは西サハラのインフラ整備を推進するなど、投票が行われた際の併合可決に向けた動きを加速させている。
2016年9月、モロッコはAUへの再加盟申請を行ったことを明らかにした[1]が、西サハラに対する領有権の主張は変えていない[2]。モロッコは2017年1月31日に再加盟が認められた。
出典
- ^ “Morocco Asks to Re-join African Union After 4 Decades”. Voice of America. 2016年9月24日閲覧。
- ^ “AU加盟申請…脱退以来、32年ぶり復帰へ”. 毎日新聞. (2016年9月24日) 2016年9月24日閲覧。