コンテンツにスキップ

藤山楢一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2404:7a82:560:a700:799c:ecbe:fe88:9965 (会話) による 2017年11月16日 (木) 18:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎略歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

藤山 楢一(ふじやま ならいち 1915年9月17日 - 1994年5月5日)は、日本の外交官。駐英国大使。

略歴

東京府出身。府立一中旧制東京高を経て、1940年東京帝国大学法学部英法科卒業。外務省入省。

英語研修(米国)、在米国大使館在独大使館勤務を経て、戦後はニューヨーク総領事館、オーストリア・インドネシア各大使館参事官、1964年に外務省大臣官房審議官、1965年に大臣官房儀典長宮内庁式部官、1968年に情報文化局長、1971年に駐オーストリア大使。1975年に駐イタリアマルタ大使。1979年から駐英大使。のち、NEC顧問。

著書に『一青年外交官の太平洋戦争 日米開戦のワシントン→ベルリン陥落』(1989年 新潮社)があり、米国留学当時、日独伊三国軍事同盟前後とでは、学生仲間の反応が冷笑に変化していったことなど周囲の態度が変化していったこと等の違いにも触れている。