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グラム・メタル

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グラム・メタル (Glam Metal)は、ヘヴィメタルのサブジャンル。1970年代末に生まれ、1980年代に世界的に人気を博した。外見に大きく起因する音楽ジャンルである。 なお、これらのバンド/アーティストのうち主たる活動拠点がロサンゼルスである者を日本では「LAメタル」と呼び、ジャンル上細分化している。

概要

ニューヨーク・ドールズはグラム・メタルに影響を与えたバンドの一つと知られている。

髪はロング・ヘアをスプレーで膨らませ(そのため別名ヘア・メタルとも呼ばれる)、濃い化粧を施し、けばけばしく肉体を強調した衣装 (スパンデックスタイツや、Tシャツをタンクトップ風に切り落とした「カットTシャツ」など)とアクセサリーを身につけた。その出で立ちは1970年代にイギリスで生まれたグラム・ロックと比較され、レザーや鋲をまとったクラシック・メタルと並ぶ、ヘヴィ・メタルの大きな特徴となった。その分かりやすい特徴のため、ブーム終焉後もヘヴィ・メタルの外見的イメージに大きな影響を与えている。

音楽性は、「グラム・ロック」にくくられるイギリスのアーティスト、T-REXスレイドデヴィッド・ボウイなどよりも、ニューヨーク・ドールズキッスエアロスミスチープ・トリックのようなアメリカのバンドや、AC/DCなどの影響下にあるシンプルなリフを基本に、ヘヴィ・メタルのリズムをアップデートしたものが多かった。 歌詞はを始めとしてセックスドラッグアルコール、反抗心などがテーマとなっていた。

このようなルックスとパフォーマンスの煌びやかさ、そして若者の欲望をストレートに歌ったシンプルでポップなサウンド、同時期のMTVなどのメディアとともに、1980年代初期にアメリカを拠点として人気を得た。初期のグラム・メタルで人気を呼んだのはクワイエット・ライオットモトリー・クルーラットなどである。

1980年代中期にはさらにポイズンボン・ジョヴィブルー・スクリームなど新しいバンドが続々台頭してきた。この頃には売り上げが数百万枚を数えるバンドが続出するなど世界的な一大ブームとなっている。 新人バンドや、LA出身のバンドのみならず、ハートホワイトスネイクスコーピオンズといった1970年代から活動するベテランバンドも、グラム・メタル風の見た目を取り入れる傾向があった。

しかし1980年代末期にガンズ・アンド・ローゼズらが登場して以降、グラム・メタルとして扱われていたバンドも派手なメイクを控えるようになってゆく。1990年代に入ると、グランジオルタナティヴ・メタルのバンドがメインストリームとなり、グラム・メタルのブームは急激に衰退していった。ただし、グランジの人気とは関係なく、似たようなバンドばかりデビューしたことで、シーン自体が劣化したことが原因との意見もある[1]

2000年代以降は、ザ・ダークネスネガティヴウィグ・ワムBlessed by a Broken Heartなどグラム・メタルに影響を受けたバンドがアメリカ国外から現れた。また、80年代に活動していたバンドも、「Rocklahoma」などのフェスティバル、あるいはツアーで活動を続けている。

批判と反応

このムーブメントに関しては、ミュージシャンからも批判が出ており、ハノイ・ロックスのメンバーで、80年代後半にソロ活動をしていたマイケル・モンロー(自身も派手なメイクがトレードマークだった)は、「今の連中は流行っているからメイクをしているだけで、あまりに不自然」と語っていた。また、ニュー・オーダーは、1987年に発表した"Touched By The Hand Of God"のビデオ・クリップで、同様にスラッシュ・メタルバンドのM.O.D.1989年の"True Colors"のビデオ・クリップでグラム・メタルのパロディを演じていた。

一方、グラム・メタルとして扱われていたバンドの側にも批判的な意見は届いており、イナフ・ズナフのメンバーであったドニー・ヴィーは「音楽を表すやり方としてああいう見た目にしていただけなのに、そういう風に(批判的に)扱われるなんて思っていなかったからショックだった」[2](彼らは、エアロスミスのジョー・ペリーから「音楽は気に入っていたけど、あのメイクとファッションを見て彼らへの熱は冷めてしまった」と言われていた[3])と、ポイズンのCC・デヴィルは「デヴィッド・ボウイがメイクすると『天才』と言われるのに、俺達がメイクすると『女装したバカ』と言われる。メイクをやめたことで音楽をまじめに捉えてくれる人が増えたことは確かで、それは音楽を生業としている人間にとっては最も重要なこと」と語っていた[4]

主なグラム・メタルアーティスト

1980年代以降

2000年代以降

関連項目

脚注

  1. ^ Vito Bratta: A Rock N Roll Technician That Got Lost In All The Noise | destroyerofharmony”. 2014年12月1日閲覧。 ホワイト・ライオンの元ギタリスト、ヴィト・ブラッタのインタビューより
  2. ^ ミュージック・ライフ」1991年7月号 本誌記者現地独占取材 イナフ・ズナフ ホームタウン、シカゴでインタビュー(後編)より抜粋
  3. ^ イナフ・ズナフのアルバム「ストレングス」国内盤 (AMCY-240) ライナーノーツより抜粋
  4. ^ BURRN!1989年9月号、CC・デヴィル 来日時インタビューより抜粋