進美寺
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進美寺 | |
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所在地 | 兵庫県豊岡市日高町赤崎746番地 |
山号 | 日前山 |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 慶雲2年(705年) |
開基 | (伝)行基 |
正式名 | 日前山 進美寺 |
別称 | 但馬の鎌倉幕府御祈祷所 |
札所等 | 但馬三十三観音霊場(但馬西国霊場) 第一番札所 |
文化財 | 『進美寺文書』(県指定文化財)、進美寺鰐口(県指定文化財) |
公式サイト | 日前山 進美寺 |
法人番号 | 5140005012385 |
進美寺(しんめいじ)は兵庫県豊岡市赤崎にある天台宗の仏教寺院。山号は日前山(にちぜんざん)で、「日前山 進美寺」と号する。本尊は聖観世音菩薩。鎌倉時代に鎌倉幕府御祈祷所と定められ、現在も但馬西国霊場 第一番札所として格式を誇る[1]。
歴史
進美寺山の山腹に位置する寺院。寺の歴史を記した『日前山進美寺縁起』によれば、文武天皇御宇、慶雲2年(705年)に行基菩薩が諸国の勝地を行脚。但馬国に来錫した際、この場所に奇脈を感じ聖観世音菩薩を安置して霊場を開いたことに始まるとされる[2]。これが現在に至るまで本尊として安置されている聖観世音菩薩である。往古は十三間四面の大伽藍が建立され、四十二の別院を有した。現在も但馬西国霊場 第一番札所としての格式を誇る[1]。
源平合戦までは、但馬地方は主に平家一門の知行する国であったが、平家追討の後、平家没収地に関東武士が多く入領することなった。そのため、鎌倉時代の初めにあたる建久5年(1194年)、幕府は、但馬国守護・安達親長に命じて、源平合戦の戦歿諸士・数十万柱の怨霊を封じ慰霊をするため進美寺を「幕府祈祷所(関東御祈祷所)」と定めた[3]。
五輪宝塔造立祈願文 - 鎌倉殿(将軍・源頼朝)の仰せにより全国8万4,000基の五輪宝塔を造立するにあたり、但馬国の300基を進美寺で開眼供養を行う。それは源平内乱で数十万に及ぶ戦没者を慰め怨を転じて親となそうとする趣意からである。(願主:但馬国守護・源(安達)親長)
鎌倉幕府は、建久8年10月4日(1197年)五輪宝塔三百基を造立し慰霊法要を行ったことから、以降も関東から但馬に入領した武士層を中心として崇敬を深めた[1]。
戦国時代、進美寺山の合戦で兵火に遭い伽藍が焼失したが、江戸時代、出石藩主・小出家、松平家、仙石家といずれ藩主も大檀越として歴代が名を連ね、境内の観音堂、庫裡、仁王門が順次再建された。再建されて今日に至っている[1]。
御詠歌 - 君が代を、祈る心は進美山。高き誓いの影を仰ぎて。(日前山 進美寺)
進美寺文書
寺院所蔵の『進美寺文書』は、鎌倉以降の但馬の歴史を知るために必須の貴重文書で、兵庫県の文化財に指定されている[3]。
重要文化財
- 鰐口 - 兵庫県指定文化財
- 『進美寺文書』 - 兵庫県指定文化財
境内
- 仁王門
- 本堂
- 観音堂
- 庫裏(客殿)
- 鐘楼
- 駐車場:境内にあり。無料。
行事
交通アクセス
- 鉄道
- 道路
- 一般道:日置坂自動車道
- 高速道路:
但馬三十三観音霊場
- 前後の札所
脚注
参考文献
- 『日前山進美寺縁起』
- 『寺院大図鑑(天台宗兵庫教区)』
- 『但馬の百科事典』
- 現地説明板